BLUE STAR MAGAZINE
Cover

2014.3.02

大学がフリーペーパーを出すなんて、時代も変わったものだと思う。この大学の校内にはマクドナルドもあるし、FM放送局だってある。いまや教育機関は立派な商的活動拠点ともなっている。全国からさまざまな分野の教師が集い、彼らに学ぼうとする学生も集まり、スポーツ施設が次々と増設されれば界隈には活気も生まれてくる。こうして大学を核としたキャンパスタウンが次第に形成されてくる。

上はそのフリーペーパー「BLUE STAR MAGAZINE」カバー。季刊でこれまで4号発行されている。アートディレクションは、このブログの「2007.6.14」で紹介した鈴木昌尚(まさなお)くん。仲間の編集者らとともに1年がかりで大学にプレゼンして、やっと実現化にこぎつけたのだそうだ。

亡き父親の跡を引き継いだ家業の桃栽培農園を経営するかたわら、デザインへの情熱をずっと絶やすことのなかった彼はやっとこのフリーペーパーの発刊でひとつの目標を叶えた。いつもは俯きがちなのに、律儀にも創刊号を携えて報告にやってきた鈴木くんは、心なしかちょっと誇らしげな顔をしていた。

これまでうんざりするくらいやってきたから、やりたくないことはもう一切しない。これからは、やりたいことだけしかやらないんです。この時代には到底不可能とも思えるこんなことを、夢や願望でなく、強い意志をもって実現しようとしている彼はとても逞しくみえた。そこにはもう、ボスコで毎日ぼくに叱られていた頃の彼はいなかった。心の奥にどんなに小さくてもいいから、絶やすことなく情熱の熾火を灯してさえいれば、人は寒々しく年をとらないで済むのかもしれない。 いつまでも自分がいなければ、なんてのは年長者の思い上がりにすぎなくて、いなけりゃいないできちんと、続く世代によって新しい道が敷かれていくもの。

「近頃の若者ときたら」とは、ずっとくり返されてきた常套句。

「子供叱るな来た道だもの」、「年寄り笑うな行く道だ物もの」。これはお定まりの慣用句。

どうやら人間、年取れば賢くなるというものでもなさそうだ。ときには年長者の方が傍若無人ぶりを発揮する光景に出会ったりもする。人格の凸凹は世代の別なく、等しく分布するということか。

それにしても、若者の活躍ぶりはいつだって清々しい。例えば今年の「ローザンヌ国際バレエコンクール」で1位、2位、6位と活躍が際立った日本人の若いダンサーたち。それぞれは若干17歳、15歳、18歳。

こんな34歳のベンチャー社長もいる。「人工流れ星」の事業家を目指す「ALE」代表の岡島礼奈さん。子供の頃に読んだ相対性理論の漫画で興味を持ち、東大の天文学科へ。ITベンチャーを起こしながら博士号を取得。その後、打ち上げた人工衛星から玉を放出させて人工の流れ星を作る現在の会社を起ち上げた。衛星には玉を1000個積めるので、流れ星ひとつ100万円なら採算がとれるのだそうだ。夢は見続けているだけなら、ただの夢。実現してこそ本物の夢に一歩近づくことになる。

2005年に韓国で女優デビューした29歳の杉野希妃(すぎのきき)さんも疾駆する若者の一人。朝日「on saturday be」に紹介されていた。女優、映画プロデューサー、監督の三足の草鞋を履くバイタリティーの塊のような女子。20代にして9度もロッテルダム国際映画祭の審査員として招かれている彼女の最新作「ほとりの朔子(さくこ)」は、昨年、フランスのナント三大陸映画祭で最高賞である「金の気球賞」を受賞している。 彼女は「自分のことを自分が一番知っているわけではない」と自作の登場者に語らせているように、「世界中の全員が、はざまで生きている」と社会性を織り込みながら、しっかりと世界の多様性を見据えている。その原点は広島にあった。被爆者の祖母をもつ彼女。なぜ映画をつくるのかという問いかけには「細々とでも平和な世の中をつくりたいから」。生き方のベースとなっているのは一貫して「平和」。「世界にはすごい人がいっぱい。私なんてまだまだミトコンドリアみたいなもの」と、どこまでも謙虚、しかもどこまでも図太い。

大人は若者のためによりよい社会の仕組み作りをしなくてはならないとか、いろいろ提言されているけれど、ぼくは、いつだってバトンはきちんと繋がれていくんだから「来た道」のことなんか案ずることは何もないと思っている。それよりも「行く道」のことを考えた方がいい。山だって登ったらあとは下りるしか仕方ないわけで、無数ある下山道からどれを選び取るのかと悩むことこそ必要だと思うのだ。

朝日「異才面談」コラムで小説家の童門冬二さんが「ふてくされるなよ、50代」と人事の春、悲喜こもごもの季節に際して壮年の心得を説いていた。人間50年も生きてきたら、なにがしかの学びの種はあるものだから、ここで一度人生の棚卸しをしながら客観的に自分を見つめ直す時期としたらいいという。

史実に目をやれば、戦国の名将と謳われた武田信玄は息子である勝頼を『不肖の2代目』と軽んじたために、結局、勝頼はやけくそになって父親の偉勲をみんなひっくり返してしまった。名将も2代目養成という点では、信玄は愚将であったという指摘。

翻って第二の人生をうまく生きた例として、測量家として歴史にその名を刻んだ伊能忠敬の例をあげる。伊能家に婿養子となった忠敬は、名家伊能家の財政再建に尽力し、その復興を見事に成し遂げたのちは50歳で隠居して本当にやりたかった天文学を学び始め、そこを第二の人生の出発点とした。 現役時代にはやるべきことをやりきり、隠居後の自由を確保した、後顧に憂いのない素晴らしい「行く道」を歩んだ例である。

しかし、ぼくはこのコラムを読みながら、まったく別な人物のことを考えていた。フランス人でポスト印象派の画家、ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンのことだ。証券会社の社員として、そしてごく普通の勤め人として5人の子供にも恵まれ、趣味で絵を描いていたゴーギャンは、ある日安定したこれまでの生活をすべて捨てて画業に専心する決意をする。伊能忠敬とはだいぶ異にする突然の転身ではあるが、測量家より美術家の心理の方がぼくには近しく感じられる。

この画家をモデルにしたといわれるサマセット・モームの小説『月と六ペンス』(The Moon and Sixpence)を若い頃読んだぼくは、幾つになっても心の熾火さえあれば、何かがはじまる可能性は決して閉ざされることはないんだと記憶した。たとえ広々とは決していえなくとも、深々とした第二の人生に連なるその道は、希望の道としなくてはならない。そうなるはずだったゴーギャンの道は、結果的に貧困と絶望、病苦といった茨の道となってしまったのだが…。

『月と六ペンス』は、安定した生活を捨てて、死後に名声を得た画家の生涯を友人の一人称という視点で書かれている。ただ、実際のゴーギャンとの相違点も指摘されている。そもそもノンフィクションでなく小説なんだから別にそれは構わないだろうと思うのだが。松岡正剛は千夜千冊で、イギリス諜報機関のメンバーだったサマセット・モームがスコットランドのサナトリウムで静養中に書き上げた本書についてこんな風に語っている。

「男が女に愛想をつかす理由」や「女が変わった男に惹かれる理由」、さもなくば「男が女にすがる理由」に興味があるならこの『月と六ペンス』を読んでみるべきだ。この小説にはそのすべてが活写されている。「月」は幻想を、「六ペンス」は現実をあらわしているらしい。 月と六ペンスが交差するのは、二つの人生の単なる接点なのか、はたまた分岐点なのだろうか。このままでは終わりたくないという漠然とした想いが、ある日突然わきおこり、気づくとその「来た道」は「行く道」となっている。「往(い)き」と「還(かえ)り」の交点がここにある。

親鸞の言う「人間には往(い)きと還(かえ)りがあるこの考え方には一切曖昧さがない、とは吉本隆明さんの言葉。(“往相・還相回向”)つまり「往き」の時には、自分のなすべきことをするために脇目もふらずに歩みを進めたらいい。しかし、それを終えて帰ってくる「還り」には、すべてを包括して処理に徹して生きるべきだと。

「往き」の道中だってもちろん一筋縄ではいかない。幻想と現実、意識と無意識、言語と非言語、あるいは裏と表。この決して交じり合わない二つの頂には、互いに頼りない橋がかかるだけ。人間はみな、震える橋上でこうした二項対立を抱えながら生きている。そこで両者の折り合いをどうつけるのか。 精神分析家のきたやまおさむは、世界から拒否され姿を消す「夕鶴」の「つう」に、自死したザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)の畏友・加藤和彦の悲劇を思い、重ね合わせる。人間には「本音を言葉で吐き出せる場所や、そのための人との関係」が必要で、そうすればもう少し楽に生きられるはずだし、言葉は生きる支えになると。 「かつては、裏町とか裏通りといった存在が、本音を受け止める場所として機能していたが、社会の様々な場面で裏が整理され、すべてが表になってしまった。“うら”とは本来、古語で“心”を意味します。裏の喪失が、現代人を苦しめているのです」(2月8日「逆風満帆」より)

「往き」は、裏町と言葉を支えに、こうした二項対立に折り合いをつけながら後顧に憂いのない区切りをつけることを目指すべし。そして第二の人生の起点にさしかかれば、心の熾火が照らし出す「還り」に向かってその一歩を踏み出していく。なるほど、こうしてみると、なにやら人生はブーメランにも見えてくる。「往き」と「還り」をどんな形で描くのか。空に向かって放ったブーメラン。そこに託した二つの人生は、一体どんな軌跡を描いてみせてくれるのだろうか。