自室録音との再会
ぼくが自室で発見した古い録音テープのことについて、以前このブログ(2008.3.03)に書いたことがある。70年代に録音されたこれらのテープはオープンリール・タイプのデッキでないと再生できない。しかし、とうの昔にぼくはデッキを処分してしまい、もうそこに残されている音源を聴くことはできない。
いまならiTunesで簡単に曲の入れ替えができるから、アルバムやミュージシャンのお気に入りの曲をピックアップして自分だけのコンピレーションアルバムを用意することなんか朝飯前なんだけど、それが当時はできなかった。仕方なく、選曲順にテープに録音したり、時にはテープをカットして順番を入れ替えたり、おそろしくアナログな作業を経てやっとお気に入りのプレイリストを作ることができるのだった。こうして完成した自分だけのベストアルバムを枕元に置いたテープデッキにヘッドホーンを接続して、夜な夜な聴き入っていた。こうした懐かしい選曲集はリストがあるから、いまも残っているレコードや復刻されているCDから再現することはできるのだが、自室録音した音源や、ぼくがたった一度だけ人前で演奏したコンサートの模様などは封印されたままだった。
若気の至りとはいえ、コンサートなんて無謀なことをしたものだ。しかも二部構成のコンサートでは自作曲12曲が演奏されているではないか。テープと一緒に2つ折りのプログラムが1部見つかり、当時の記憶を辿ってみた。
1971年(昭和46年)11月22日開演。バンド名は「にゅうぶらいとぷろだくつ ろんりいはあつくらぶ ばんど」。これはもちろんビートルズのサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)をもじったもの。文法的には随分おかしな英語だが、その意味合いは「新しく明るく製品化された孤独な奴らのクラブ・バンド」といったところか。入場料金は300円。メンバーは6名で、ぼくはSemi Acoustic Guitarと12st Guitar、そしてVocalを担当していた。
他に6st GuitarとVocalが2名、Steel Gutar、Banjo、Electric BassとViolinが各1名、そしてドラムスという構成。自作曲のタイトルを列挙してみよう。
「銀河鉄道終列車」、「子守唄」、「招待状」、「なまけもの」、「嘘」、「ラムプ」、「長い髪は雨をよそおって」、「名残り」、「結婚」、「知恵の輪」、「まず海と空」、「黒いロマンセ」。作詞は数人で分担し、ぼくは10曲作曲していた。しかし譜面もなく、メロディもまったく覚えていない。プログラムに掲載されている歌詞を1曲ピックアップしてみよう。
「知恵の輪」
黄昏が横切って
上に拡がる曇ったまなざし
あてもなく近づいて
不眠のボートは滑り出す
丸く小さく輪になって
今ボクは泳いでる
ボクをとりまく知恵の輪は
いつも決まってなかなか解けない
めぐりめぐって目を覚ます
舞い散る雪を見つめながら
あれがボクだと心に決めて
ひとつのかけらを追ったけど
幾度やってもいつも決まって
何処へともなく消えてゆく
あのことばは忘れよう
あのことは忘れよう
内証的でいかにも青臭い歌詞。同時代的に影響を受けていた「はっぴいえんど」の松本隆、稲垣足穂、高田渡などの作風を色濃く宿している。
作曲以外にもカバーが数曲含まれている。高田渡の「鉱夫の祈り」や「銭がなけりゃ」、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(Crosby, Stills, Nash & Young=CSN&Y)のメンバーStephen Stillsの「A childrens song」、フィナーレは加川良の「伝道」だった。
いくらプログラムを眺めて記憶を辿ってみても肝心のサウンドが再現できないから、それはあくまでも懐かしくも恥ずかしい茫洋とした記憶として漂い、一向に像を結んでくれない。一つだけ確かなことは、熱に浮かされたこの出来事で、やはり自分には音楽の才能はないんだなと強く認識させられたことだった。
さて、この古いテープにはもうひとつの懐かしい思い出が残されているはず。それは自宅をスタジオ代わりにして一人で録音した音源だ。もう二度と人前で演奏するのは止めようと決心したものの、まだぼくの内部には演奏してみたいという欲求がくすぶっていた。当時所有していたのは6st Electric Guitar とナイロン弦のガットギター、それにアンプとマイクだけ。そんなシンプルな楽器構成でもよいから、今度はひとりで気ままに重ね録りしてみようと思い立った。さっそく友人からリズムボックスを借りてきてテープに重ね録りしていく。防音設備などない自宅部屋なので、外からの犬の鳴き声なんかが入ってしまうこともあったけど、アナログ感覚満載のなかなか楽しい作業だった。ただひとつだけ残念なことは、デッキの回転速度が狂っていて録音を繰り返していくにつれ音程が少しづつ高くなってしまい、完成した時には少年のような声になってしまったこと。笑ってしまうほど初歩的なレベルではあるけれど、ミュージシャンがスタジオに籠もってアルバム作りに没頭するような疑似体験を確かにその時ぼくは味わっていたのだから、その心躍る思い出もテープには記録されているはずである。
セピア色の記憶はそのままそっと凍結しておいた方がいい。封印を解いたとたんにそれはすっかり色褪せた薄っぺらな記憶へと変質してしまうかもしれない。青臭く、恥ずかしい自分と対面する勇気はあるのか?記憶の中でフリーズさせておくのも知恵というものなのではないか。そんな風にぼくはずっと思ってきたのだが、潔くテープを捨ててしまうこともできずに6年半の年月が流れて、少しづつ心境にも変化が…。
きっかけは、知り合いがThe Bandの解散コンサートの模様を収録した映画「The Last Waltz」のDVDを持ってきてくれたことだった。1976年、カリフォルニア州サンフランシスコのウインター・ランドでの解散ライブをマーティン・スコセッシ監督の元、1978年に映画化したものだ。当時ビデオでぼくはこの映画を観たのだが、こうして見直すと改めて感慨深いものがある。何よりもバンドリーダーでギタリストのロビー・ロバートソン(Robbie Robertson )が印象的。いまではすっかり恰幅のいいオヤジになってしまったロビーも、当時はまだスリムでとてもセクシー。故人となってしまった3人のメンバーもスクリーンでは生き生きと演奏している。年を重ねるにつれ次第に狡くなり、凍結の知恵などと言い訳をしていたぼくだったが、バンドの演奏を見ていたら、青臭くたって恥ずかしくたって、生き生きとしてた頃の記憶ならいいじゃないか、と何だか「天の声」が聞こえたような気がして無性にテープを再生してみたくなってきた。
誰かまだテープデッキを持っているだろうと探してみたが、すでに処分してしまったという人ばかり。仕方なくハードオフのジャンクやネット検索して、たまにヒットしても本格的なプロ仕様ばかりでぼくが使っていた2chのシンプルな機種はまったく見当たらない。どうやらこのタイプのデッキは世間からすっかり消え去ってしまったようだ。途方に暮れていると、知人がレンタル用のオープンリール・レコーダーなら京都に専門店があると教えてくれた。さっそく、録音したテープの仕様などを連絡すると、それならこの機種で再生できるでしょうと返事があり、発送してもらうことになった。
ほどなく大きなダンボールが届き、荷解きするとずっしりと重いデッキが収まっていた。同じ状態で返送しなくてはならないので荷姿記録撮りしてから、本体を出してみるとずっしりとした重量で40kgはあるだろうか。オーディオ機器の音質は重さと比例するような気がするから、それだけで何となく安心感をおぼえてしまう。同封されていた随分丁寧な取り扱い説明書に目を通し、テープをセットする。古いテープはデッキのヘッド類をすぐに汚してしまうため、良好な音質で再生するためには「無水エタノール」をつけた綿棒でクリーニングできるよう準備しておく必要がある。レンタルした業者から事前に説明を受けていたから、前日に薬局で「無水エタノール」を購入して再生に備えた。
さて、準備OKだ。はじめにぼくが一人で自宅録音したテープを再生してみよう。ちょっと緊張しながら再生ボタンを押し込むと42年ぶりの懐かしい音が聞こえてきた。ノイズもあるし、もちろん音質はよくない。しかし想定していたほど情けない音楽でもなかったので、ほっと胸をなで下ろす。メモ書きされていたクレジットを見てもすっかり忘れていた曲もある。全15曲録音されていた。
1-Most of us are sad (Glenn Frey)
2-Take it easy (Jackson Brown)
3-introduction (Instrumental)
※44秒ほどのフィンガーピッキング奏法のアコースティックギターの演奏曲。クレジットがないので誰の曲なのか不明。
4-Reay or not (Jackson Brown)
5-Birds (Neil Young)
6-Honky Tonk Women (Jagger & Richard)
7-Love in Vain (Jagger & Richard)
8-Every Woman (Dave Mason)
9-The Long & Winding Road (Paul McCartney)
10-Is it too late ※出典不明
11-Gray Day (Instrumental)(Jesse Colin Young)
12-Star Spangled Banner (Instrumental) ※アメリカ国歌・ジミヘンのカバー
13-Starbound(J.J. Cale)
14-Rainy days and Mondays(Paul Williams)
15-Jam (Instrumental)※おそらくオリジナル
楽器はアコースティックとエレクトリックギターにベースギター。ファズなどの効果音をつける機材も使用していた。バンジョーも入っていたので誰かに貸してもらったんだろう。それからドラムス代わりのリズムボックス。キーボードやピアノはないし、弾けもしないから厚みに欠けるが、それでもシンプルな楽器構成で一応楽曲の体を成している。全曲聴き終わると、拙いながらも我ながら健闘しているじゃないかと、42年前の自分の肩をたたいてあげたい気持ちになった。誰に教わったわけではないけど、ちゃんとハモってる。厚みを感じさせるコーラスはそれなりに演奏と拮抗していて、ボーカルはつくづく音楽を形作る大切な要素なんだと実感する。もちろん出来は素人の域を出ていないし、拙いことにかわりはないのだが、自分なりに音楽を楽しもうとしている心意気は伝わってくる。うん、これなら記憶の封印もまんざら悪くないかも、と思うのだった。iPodなんかでいつでも気軽に再生できるように、デッキからICレコーダーにコピーしてmp3としてデータ保存しておいた。(たぶん滅多に聴かないだろうが…)
さて、次はいよいよライブ録音だ。会場の職員が残しておいてくれたコンサート模様を収録したテープなのだが、これはモノラルなので臨場感などまったく伝わってこない音源。しかも二部構成ですべて聴き終えるまで2時間近くかかる。
結論から言えば、この封印は解かなければよかったというのが正直な印象だった。楽器のチューニングは狂っているし、それはひどい演奏だった。素人バンドなんだから仕方ないといえば仕方ないのだが、みんな上ずっていて足が地についていない。人前で演奏するのは本当に難しいことなのだ。オリジナル曲も、はっぴいえんどや高田渡、そしてJames Taylorらからの影響を感じさせるものの、残念ながら特に印象に残るものはない。やれやれ、である。
ただ、こうしてささやかな記憶の封印を解いて明確になったことがある。それは、表現することと鑑賞することは、対照的な行為であると同時に実は互いが深いところで結びつきあい、シンクロしていたことだ。
音楽に限らず表現物は人間にさまざまな個人的豊かさをもたらせてくれる。そして、自分も一度拙いなりにでも表現してみることによって、豊かさはより強固なものとなってくれるような気がするのである。それが表現することの隠されたもうひとつの意味なのではないかと思う。 日本の情操教育は何となく実技優先の感があるが、実は表現の専門職として身を立てるのはほんの一握りの人たちにすぎない。多くの人々はその実技体験によって苦手意識が芽生えてしまい、芸術なんて自分には縁遠いものなんだと敬遠してしまう遠因ともなっている。大多数の人々にとってむしろ大切なことは、鑑賞する能力の体得ではないのか。人間を豊かにしてくれる、その芸術から享受する鑑賞力をいかに身につけるのか、それこそが情操教育の主眼とすべきテーマであったはず。
人を勇気づけ、より深い感情や情緒を育み、心に豊かさをもたらす鑑賞力を自分なりの方法で体得する。その体得プロセスの中で、一度自らも表現してみる。その同期作業によって豊かさはより深みのあるものへと変化してゆく。表現する歓び。鑑賞する歓び。それらがもたらす豊かさは、かけがえのない個人的体験だ。だからこそ、人生の最終トラックで心の豊かさをもっとも必要としている、例えばホスピスのような緩和ケア施設の隣りにこそ美術館やコンサートホールは存在すべきなのだと思う。