Ry Cooder
Joachim Cooder
[ Into The Purple Valley ] Album jacket
Ry Cooder & Susan Titelman
Photo : Paloma Seychelle Cooder

2019.11.01

ちょうど1年前の2018.11.01に紹介したブルースギター奏者の堀内良二さん。ぼくらはときどき誘い合っては珈琲を飲みに出かけている。話題はやはり音楽が中心だが、同年なので世相や健康問題、そしてこれからの事など、とりとめもなく話は広がっていく。彼はぼくと違って若い頃から世界を旅して、様々な国々の人々とも触れ合ってきてるから、とてもグローバルな感覚を持っている。また、インドで感染したウイルスによって生死を彷徨う経験も経ているので、事の本質を見極める感覚も体得しているようにみえる。ぼくらは互いに似た風土に育ち、同時代を生きてきたので、多くの言葉を費やさなくても共感できる部分がとても多い。必然的に会話もストレスを感じることなく活き活きと躍動していく。ある日、良二さんは「最近のライ・クーダー、凄くいいですよね」と話しかけてきた。なんでも、図書館にあるパソコンのYouTubeで偶然観かけたらしい。(彼はPCやスマホは持っていない)Ry Cooder(ライ・クーダー)と聞けば、ぼくも穏やかではいられない。1970年のデビューアルバムから約半世紀にわたって興味を抱き続けてきたコアなフアンだと自負もしているし、1978年の虎ノ門・久保講堂での初来日公演(単独ライブ)にだって駆けつけた。彼の音楽はとても一言では括りきれない多面性をもっているが、同時にアメリカの良心を感じさせる希有なミュージシャンだともぼくは思っている。ともすればコマーシャリズムに流されがちなアメリカの音楽業界とは一線を画し、多民族共生国家アメリカという国が、その多民族であるが故に醸成されてくる奥深さを感じさせてくれる数少ない音楽家でもある。

Ry Cooderは1947年にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。4歳のときにナイフによる事故で片目を失明し、以後義眼となっていたことを、ぼくはWikipediaで初めて知った。本名はRyland Peter Cooderとあるが、風貌からはどことなく彼にはラテン系の血が流れているような印象がある。16歳から本格的な音楽活動を始め、様々なバンドを経て、1970年にソロ・デビューを果たす。

少し、ライ・クーダーの軌跡を年譜風に俯瞰してみよう。デビューアルバム名は『ライ・クーダー・ファースト(Ry Cooder)1970年』。彼の音楽スタイルはスタートから独特なものだった。その風変わりな音作りを「ストリングス・アレンジをフィルターとして、ブルース、フォーク、ロックンロール、ポップスの興味深い融合を創造している」とBrett Hartenbach(音楽に関するメタデータのデータベースサイト・オールミュージック (allmusic)の寄稿者でミュージシャン)は評している。

それから、アメリカの古い曲を中心に選曲された『紫の峡谷(Into the Purple Valley)1972年』、名曲のみならず、アメリカのフォーク及びブルースの失われ、無視されてきた曲にも目を向けたアルバム『流れ者の物語:Boomer’s Story(1972年)』、「ライ・クーダーは世界恐慌の前に書かれた曲であろうが、先週書かれたばかりの曲であろうが、良い曲は良いということを理解している」「幅広い要素を含み、知的で、徹底的に楽しめる作品であり、『パラダイス・アンド・ランチ』はライ・クーダーの代表作であり続けている」と前述のBrett Hartenbachに評された『パラダイス・アンド・ランチ(Paradise and Lunch)1974年』とライ・クーダーは精力的にアルバムを重ねていく。

70年代後半には、ファースト・アルバム以来の風変わりな作品であり、とびきり楽しめるアルバムの一枚でもあると評された『チキン・スキン・ミュージック(Chicken Skin Music)1976年』(鳥肌もののミュージックって意味か!)、初期ジャズや20世紀初頭のクーン・ソングや宗教歌を取り上げた、やや教育的アルバム『ジャズ(Jazz)1978年』、R&B/ソウルをベースとして初めてデジタル・レコーディングされたアルバム『バップ・ドロップ・デラックス(Bop till You Drop)』1979年などへと続く。

80年代は『ボーダーライン(Borderline)1980年』、『スライド・エリア(The Slide Area)1982年』、『ゲット・リズム(Get Rhythm)1987年』の3作。

90年代からは、第36回グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞した『ア・ミーティング・バイ・ザ・リヴァー(A Meeting by the River)1993年』(インドのミュージシャンV・M・バットとの共演作)、1996年にはキューバに赴き、コンパイ・セグンドといったキューバの老ミュージシャンたちとアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(Buena Vista Social Club)』をレコーディングして、1997年の第40回グラミー賞において最優秀トロピカル・ラテン・パフォーマンス賞を受賞するなど、欧米を中心に高い評価を受け、1999年封切りのヴィム・ヴェンダース監督による同名の映画も話題となった。

この時期から彼は積極的に世界のさまざまな地域に根付いてきた固有の音楽に目を向けはじめる。キューバ人ギタリストのマヌエル・ガルバンとの連名アルバム『マンボ・シヌエンド(Mambo Sinuendo)2003年 』(第46回グラミー賞)もそんな1枚。続く『チャヴェス・ラヴィーン(Chávez Ravine)2005年』は、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人コミュニティーを題材とした〈カリフォルニア三部作〉の第一作目となるコンセプト・アルバムだ。二作目の『マイ・ネーム・イズ・バディ(My Name Is Buddy)2007年』では、時空を超えて旅するバディという主人公の赤猫が労働者や農民、そして黒人など抑圧された人々の目撃者となる。最終章は『アイ・フラットヘッド(I, Flathead)2008年』。カントリーミュージシャンを主人公として、ビートニクやDIY文化、SFなどの要素を含んだ戦後のカリフォルニアが描き出されている。こうした歴史やそれにまつわる物語にこだわりを示すライ・クーダーのストーリーテラーとしての側面が2000年を機に明確になってくる。

それから、アイルランドのバンド、ザ・チーフタンズ (The Chieftains) との共作『サン・パトリシオ(San Patricio)2010年』では、アイルランドの伝統音楽やケルト音楽に近代的なアレンジを施し、ロックやポップスとの融合を試みている。続く『プル・アップ・サム・ダスト・アンド・シット・ダウン(Pull Up Some Dust and Sit Down)2011年』は経済危機、『エレクション・スペシャル(Election Special) 2012年』では大統領選にインスパイアされ、ここで彼は経済格差、銀行、ウォール街、共和党、移民政策、イラク戦争、グアンタナモ収容所などに対して痛烈な批判を加えていて、社会への問題意識を作品に反映させる試みをはじめている。

こうして60年代から活動するヴェテラン・ミュージシャン、ライ・クーダーには、アメリカン・ルーツ・ミュージックの探求者、ブルース、フォークをはじめ、カントリー、テックス・メックス、ジャズ、ハワイアン、アフリカ音楽やラテン音楽など、世界に点在する固有な音楽の紹介者としての学究的な側面、そして言うまでもなくスライドギターの名手、そして味わい深いボーカリスト、アレンジャー、映画音楽家と、多彩な表現の集合体としてのミュージシャン像が明確になってくる。

さて、そこで良二さんが賞賛していたYouTubeのライブを早速ぼくも探してみると、おそらくこれだろうという3本の動画が見つかった。聴きはじめてすぐに「なるほど!」と良二さんの言葉に納得。ライ・クーダーが蓄積してきた音楽のエッセンスがここには凝縮されている。ライのギタープレイはシンプルなギター・バッキングに徹していて、決して派手なソロパートでテクニックをアピールなどしていない。うーん、本当に素晴らしい演奏だ。良二さんのギター演奏もこれ見よがしな早弾きでなく、どちらかと言えばスローなスタイルなのだが、一つ一つの音は独特の存在感をもって伝わってくると言われている。近々ライブの計画があって、若いミュージシャンらと音合わせをしている良二さんはこんなことを言っていた。みんなテクニックがあって音楽の知識もすごく豊富なんだけど、演奏するとなんだか妙に真面目なんだよね。グルーヴ感が足りないから演奏がフラットな印象になっちゃう。だから上手に演奏はしてはいるんだけど、聴いてる人が楽しめる音楽になっていない。多少下手くそだって、うねりを感じるような演奏なら、聴いてる人に「ノリ」や「一体感」が伝わっていくからね。本当に大事なのは自分が楽しいと感じて演奏することで、テクニックなんか二の次でいいんだ。これはすごく参考になるから、さっそくメンバーにこのライ・クーダーの動画見せるつもりだと語っていた。「楽」しみながら「音」を奏でるから「音楽」なんだね、良二さん。

その3本の動画は、『Straight Street(真っすぐな道)』、『The Prodigal Son(放蕩息子)』、『Everybody Ought to Treat a Stranger Right(見知らぬ人には親切に)』。クレジットにはLive in studioとある。ライの息子くらい歳の離れた若い3人のミュージシャンとのスタジオパフォーマンス映像で、アップも多用された映像なので演奏の指さばきもよく分かる。あとで知ったのだが、ここでドラムを叩いているハンサムな若者は何とクーダーの実の息子である、ドラマー、パーカッショニスト、キーボード奏者のヨアヒム・(ハーバート)・クーダー(Joachim Cooder)だった。YouTubeにはヨアヒムの動画もアップされていて、父親のライがベースでサポートしてる『Everyone Sleeps in the Light (Live at McCabe’s)』で彼のヴォーカルを聴くことができる。ちなみにその動画でキーボードとコーラスを担当している女性ミュージシャンはヨアヒムの妻で、ロサンゼルスを拠点に活動するシンガーソングライター、ジュリエット・コマジェア(Juliette Commagere)。

これらの動画はライ・クーダーの最新作『The Prodigal Son:放蕩息子(2018年)』に収録された3曲でもある。アルバムは、アメリカ音楽の古層から掘り起こされたブラックゴスペル(黒人霊歌)とホワイトゴスペル(白人霊歌)を中心に、現代的に解釈したカヴァー8曲とオリジナル3曲で構成されている。彼の音楽のルーツであったアメリカ大衆音楽では、ブルーグラスとゴスペルの深い結びつきがあったが、十代のころからブルーグラスを聴いてバンジョーを習っていたライはツアーをきっかけに、ブルーグラスを通してゴスペルを見直していったことが、この最新作アルバム制作にあたってはインスピレーションの源になっていたのだという。

ではまず『Straight Street』を聴いてみよう。これは1940〜50年代にかけて流行したコーラス・スタイルで歌うゴスペル・カルテットのピルグリム・トラベラーズのカヴァー。彼らの原曲からライは印象的なメロディを抜き出して、軽やかなマンドリンのストロークに乗せて、ゆったりとしたバッキングでしみじみと歌う美しいミディアムナンバーに仕上げている。ホーンもメロディアスな奏法でなく、環境音楽っぽい音色で包み込むようにサポート。どことなく眠りを誘うグルーヴ感で知られるアメリカのトランペット奏者ジョン・ハッセル(Jon Hassell)の音色を連想させる。そして、ヨアヒム・クーダーのドラムプレイは、柔らかくて固い(これを胴鳴りの深い”やわらかたい”というのだそうだが)スネアの音色で、いまのトレンドにもなっている現代的なアメリカーナ風アレンジの味付けとなっている。

続く曲は、一転してロック調ナンバーのアルバム・タイトルトラック『The Prodigal Son(放蕩息子)』。ヨアキムのエイト・ビート・パーカッションが歯切れ良いし、ライのギターもかなりのノリノリ・プレイ。小指に嵌めたガラスのバーでお得意のスライド奏法も披露している。ちなみにスライドギターのバーは金属製が一般的だが、ライはガラスの音色を好んでいるのでもっぱらガラス・バーを愛用しているという。(ボトルネックの語源は、昔のブルースマンが酒瓶を割ってネックを指に嵌めたことに由来している)この曲を聴くと、ライのヴォーカルはずいぶん力強く、そして深くなってると実感する。明らかに若い頃より、ヴォーカルの表現力が豊かになっている。『放蕩息子』とは、新約聖書ルカの福音書でキリストが語ったとされる、神のあわれみ深さに関する放蕩息子の喩え話をルーツとしているトラディショナル・ソング。つまりこれはその伝承曲のようである。

3曲目の『Everybody Ought to Treat a Stranger Right(見知らぬ人には親切に)』のオリジナルは、ゴスペル音楽の先駆的存在として知られる、宣教師でもあったブラインド・ウィリー・ジョンソンのナンバーから。ライはLION&HEALYの9弦のアコースティック・ギターに持ちかえて、間奏やエンディングではボトルネック・ギターが炸裂。やっぱり名手ライのスライドギターはツボにはまると格好いい!ヴォーカルも演奏も、とてもグルーヴィー。ところで、作者のブラインド・ウィリー・ジョンソン(”Blind” Willie Johnson)は福音伝道師として宗教歌を語り継いだ人物だという。「ブルーグラス―一つのアメリカ大衆音楽史」の著者であるブルーグラスを含む民俗音楽を研究家ニール・V・ローゼンバーグは、ブルーグラスとゴスペルの関係についてこのように語っている。

「ブルーグラスを育んだアパラチア地方には膨大な数の山岳宗派が存在していた。ならば宗派同士が反目しあってもおかしくないが、そこには“すべての人が自分自身の説教師であるという広く信じられている感覚”が存在した。人々は教会に通うことを重視しなかったが、それでも宗教についてよく語り、考えていた。つまり、ブルーグラス・ゴスペルは世俗的な文脈で語られる神聖なるものについての対話であると定義できる」。

最後にもう1曲。このアルバムでぼくが一番好きな楽曲『You Must Unload(汝捨て去るべし)』を聴いてほしい。お洒落やお金や権力を愛するクリスチャンに対して〈すべてを捨てて、身軽になりなさい〉と語りかけるこの曲のオリジナルは、ブラインド・アルフレッド・リード(Blind Alfred Reed)による1927年に録音されたゴスペル・タッチのブルーグラス・ナンバー。ライのカバーはマンドリンのイントロに導かれてはじまる。そして、ゆったりとしたビートを大らかなライのヴォーカルが包み込む。この歌声には、ぼくが半世紀近く聴き続けてきた彼らしさが濃縮されている。途中から聞こえてくるマーチングドラムに、アルフレッド・リードへのオマージュを想わせる哀愁を帯びたフィドル(バイオリン)の音色が重なってくる。

アルフレッド・リードは1880年にヴァージニア州アパラチア山岳地方の貧農白人層の子供として生まれ、生まれつき盲目であった彼は幼い頃にフィドルの手ほどきを受けた。その時代、多くのブラインド・ミュージシャンは街角などで演奏をして生計を立てていたが、彼もその一人だった。アルフレッド・リードの代表曲は『How Can A Poor Man Stand Such Times And Live?』。ブルース・スプリングスティーンのカヴァーで有名な曲だが、ぼくにはライ・クーダーのデビューアルバムに収められてたこちらのカヴァー(1974年の映像なのでライも若々しい)の方が断然馴染み深い。リードの曲には時代に翻弄されたり、虐げられた人々の辿り着いた、諦観に溢れているものが多いが、ライ・クーダーは初期から一貫して、こうした弱者への共感を自分の音楽に反映させてきたミュージシャンだった。そして、音楽を通じて世界各地に脈々と継がれてきた歴史の語り部となったライ・クーダー。彼は決して古き良き時代へのノスタルジア主義者などではない。原石となっていた音楽を、鋭い視点で現代に必要な音楽へと磨き上げ、神聖なるものについて音楽という世俗的な方便で問い続ける生粋のプロテスト・シンガーなのだと思う。

同時に彼は世界中の音楽の魅力を探し求めた遺跡発掘師のようなミュージシャンでもあった。黒人のブルース、ゴスペル、ディキシー・ランド・ジャズ、白人のフォーク、カントリー、ブルーグラスなどを探し求めて国境沿いの田舎町や港町を移動する。さらに太平洋の島々からラテンアメリカのキューバや沖縄までと、ライの音楽は各地を旅することで制作されてきた。しかし、その間のアルバムセールスは伸び悩み、次第に家族の生活もままならなくなって、旅を続けることを諦めざるをえなくなってしまった。そんな彼の窮地を救ったのは映画の世界だった。映画に音楽で彩りを与えるライの才能を見出したウォルター・ヒル監督の「ロング・ライダース」(1980年)を皮切りに、「 ボーダー 」「 ストリート・オブ・ファイアー 」「パリ・テキサス(『Paris, Texas』は彼の代表曲となった)」「クロスロード」「ブルーシティ」「ジョニー・ハンサム」と、映画スクリーンの中で再び才能を開花させ、そこからまたひとつ音楽家としての自身の世界を広げていった。

ところで、ライ・クーダーが『The Prodigal Son(Live in studio)』の動画でギターを弾くボトルネックの指先を見ていて、彼の薬指にずっとあったマリッジリングが消えてることに気づいた人がいた。さっそく調べてみたら驚いたことに49年連れ添ったスーザン・タイトルマン(Susan Titelman)と昨年離婚したらしいと書いてあった。スーザンはワーナーブラザーズの重役で著名なプロデューサー、ラス・タイトルマン(Russ Titelman)の妹。もちろんヨアキムの母親でもある。写真家のスーザンはライのジャケット写真も数多く手がけ、『紫の峡谷:Into the Purple Valley』でライとスーザンは、オープンカーに乗り、悪天候の中を不安げにドライブを続ける二人を演じ、裏ジャケットでは青空の下を笑顔でドライブするカップルという映画のワンシーンのように仲むつまじいツーショットで収まっていた。しかし、この長年おしどり夫婦として連れ添ってきたスーザンとライに何があったのか。今回、『The Prodigal Son』のジャケ裏ポートレートの撮影者クレジットにはPaloma Seychelle Cooderとある。どうやらこの人物は、ヨアヒムとジュリエットの娘。つまり、ライの初孫パロマちゃん(2歳)が、おばあちゃんのスーザンに代わっておじいちゃんを撮っている。人生にはいろんなことがある。いろいろあるのが人生なんだな。ライ・クーダー、71歳。それでは『You Must Unload(汝捨て去るべし)』の歌詞で、そろそろさよならしよう。(散文化した和訳は蜷川泰司氏による)

*

you must unload(汝捨て去るべし)

Now you fashion-loving christians sure give me the blues
You must unload, you must unload
You’ll never get to heaven in your jewel-encrusted high-heel shoes
You must, you must unload

(さて、汝、おめかしに夢中のキリスト教徒たちよ(you fashion-loving christians)
おかげでこっちはすっかり憂鬱になる
汝、捨て去るべし、汝、捨て去るべし)
(そんな宝石を鏤めたハイヒールでは、天国へは決して行かれないのに
汝、汝、捨て去るべし)

For the way is straight and narrow and few are in the road
Brothers and sisters, there is no other hope
If you’d like to get to heaven and watch eternity unfold
You must, you must unload

(だって道は品行方正、実直にして、たどれる者の数はごく限られ
兄弟姉妹たちよ、それ以外の望みはないのだから
もしも天国を求め、そこに開かれる常しえを望むのであれば
汝、汝、捨て去るべし)

And you money-loving christians, you refuse to pay your share
You must unload, you must unload
Trying to get to heaven on the cheapest kind of fare
You must, you must unload

(さても汝、お金に目がないキリスト教徒たちよ(you money-loving christians)
おまえたちは然るべき分担の支払いも拒む
汝、捨て去るべし、汝、捨て去るべし
天国に行くのも、いちばん格安の運賃で済ませようとする
汝、汝、捨て去るべし)

For the way is straight and narrow and few are in the road
Brothers and sisters, there is no other hope
If you’d like to get to heaven and watch eternity unfold
You must, you must unload

(だって道は品行方正、実直にして、たどれる者の数はごく限られ
兄弟姉妹たちよ、それ以外の望みはないのだから
もしも天国を求め、そこに開かれる常しえを望むのであれば
汝、汝、捨て去るべし)

And you power-loving christians in your fancy dining cars
You must unload, you must unload

(さても汝、力を愛でるキリスト教徒たちよ(you power-loving christians)
意匠もこらした一等の食堂車に乗り込んで
汝、捨て去るべし、汝、捨て去るべし)

We see you drinking whiskey and smoking big cigars
You must, you must unload

(目に入るのは、ウィスキーを飲み、どでかい葉巻もくゆらすその姿
汝、汝、捨て去るべし)

For the way is straight and narrow and few are in the road
Brothers and sisters, there is no other hope
If you’d like to get to heaven and watch eternity unfold
You must, you must unload

(だって道は品行方正、実直にして、たどれる者の数はごく限られ
兄弟姉妹たちよ、それ以外の望みはないのだから
もしも天国を求め、そこに開かれる常しえを望むのであれば
汝、汝、捨て去るべし)

You must, you must unload

(だって道は品行方正・・・・だって道は品行方正・・・・)

[destination: LyricFind / songwriter: Alfred Reed / Song lyrics © Peermusic Publishing]