COMME des GARÇONS
SHIRT

みんな自分がわからない

Art Brut
2009.8.02

その時自分がどうしてそんな行動をとってしまったのか、後で思い返してもよくわからない、そんな経験をぼく(ぼくら?)は時々することがある。ずいぶん昔に出版されたビートたけしの「みんな自分がわからない」という啓発本がある。内容的にはあまり共感できる代物ではなかったが、このタイトルだけはたしかに真理を突いていた。
日常ぼくらの行動を制御している「意識」は、いわば周囲の風景を写しだす水面のようなもので、実はその下には底知れぬ深さを湛えた「無意識」と呼ばれる領域が潜んでいる。オーストリアの精神分析学者、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)は夢を研究する過程でこの「無意識」を発見したと言われているが、「無意識」とはその名の通り、心のなかの「意識でない」領域を示す。もっと簡単に言うと、「無意識」は「意識」よりも大きな存在で人間の行動のほとんどはこの「無意識」の欲望がもとになっている。しかも人間はこの「無意識」を自覚することはできない。つまり自分のなかの知らない自分、それが「無意識」というわけだ。
冒険という言葉が死語となってしまった感もあるほど、ほぼ世界中のどんな地域にも移動できる手段を今や人間は手にしている。しかし自身のなかには、いまだ解明されない膨大な未開の大陸が残されたままというのは何とも皮肉な話である。その大陸の奥深くでは片時も休むことなく、常識や社会のルールなどに拘束されることのない野生が荒々しくうごめき、さらにその奥に穿たれた穴は自然そのものと直結しているのかもしれない。宮沢賢治「春と修羅」の「序」で語り出されているあの有名な一節「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体)…以下略)の透明な幽霊たちは、おそらくこの「無意識」の大陸を住み処としているに違いない。
ところで数年前、ぼくは青山にあるコム・デ・ギャルソンのショップでヴィクトル・ヴァザルリ(Victor Vasarely)の抽象画を連想させる、うねるドッツパターンのシャツを購入した。ジッパーが2本あってなかなかにアヴァンギャルドなこのシャツは、その後袖を通す機会もなくクローゼットのなかで眠ることになる。また衝動買いをしてしまったなと軽く反省しつつずっと封印したまま過ごしてきたが、この初夏のある催しに出かける際に「そうだ、これを着ていこう!」と思い立った。
その催しとは多摩美術大学IAA(芸術人類学研究所)が主催するシンポジウム「アール・イマキュレ—希望の原理—」と同時開催の展覧会。IAAは数年前からダウン症の人たちのためのプライベート・アトリエとして活動していたアトリエ・エレマン・プレザンと協働して、ダウン症の人たちがつくりだす芸術作品を通じて、彼らの感性と心のあり方を考察し、そしてサポートする活動を継続してきた。初回のシンポジウムは2007年に東京都現代美術館で、そして今年はIAAの新たな活動拠点となった四谷CCAAアートプラザで2回目となる展覧会とシンポジウムが開催されることになったのだ。ぼくはこのダウンズ・タウン・プロジェクトと名付けられた活動の立ち上げ段階から、IAA所長である中沢新一さんに誘われてデザイナーとしてかかわってきた。今回もフライヤーとブックレットのデザインを担当していた経緯もあったので、前回出席できなかったシンポジウムを今度こそ見学してみようと、クローゼットに眠る草間弥生の作品みたいなシャツを着込んで出かけて行くことにした。
蒸し暑い曇り空の下、大勢の人々が会場となった四谷ひろばに集っていた。それまで仕事を通じてダウン症の人たちの作品には数多く触れていたつもりだったが、その日初めて原画と対面して驚いた。天真爛漫な児童画に近いものではという予想に反して、その技法は相当に本格的なものだった。美術の専門教育などとは無縁の彼らは一体どこでこの技法を体得したのだろうか。アトリエはできるかぎり自由な創作の場を提供することに心を砕き、表現に介入することは極力避けているそうだから、これは「この世に出現した」としかいいようのない現象といえるだろう。特に多くの人々が一様に賛嘆する色彩感覚はほんとうに素晴らしい。言葉にならない彼らの言葉が彩りをまとって深く、強く心に滲み入ってくる。シンポジウムで、まず壇上に上がったアトリエ・エレマン・プレザン東京代表の佐藤よし子さんは、ご両親が三重で始めたこの活動に幼少期から寄り添い、もっとも濃密にダウン症の彼らと日常的に触れ合ってきた人である。いつものおっとりとした口調でアトリエの活動を来場者たちに丁寧に伝える姿は、何か守護する女神を連想させた。
伝統的な訓練を受けることもなく、既成概念にとらわれることのない作品は一般的にアウトサーダーアートと呼ばれる。この呼び名はジャン・デュ・ビュッフェの提唱したアール・ブリュット(Art Brut=生の芸術)を英訳したものだが、ダウン症の人たちの作品はアール・ブリュットの表現とその境を接してはいるものの何かが決定的に異なるのではないかという観点から、IAAとエレマン・プレザンはそれをアール・イマキュレ(Art Immaculé=無垢の芸術)と命名した。
「アール・ブリュット」と「アール・イマキュレ」。
当日の講演では出演者の臨床心理学者、河合俊雄さんと本展のキュレーター、長谷川祐子さんが、このふたつの特性の違いについてそれぞれの専門領域から興味深い考察をされていた。
そして最後に引き継いだ中沢新一さんがさらに鋭くフォーカスして特質の相違点を明快に来場者に差し出してくれた。冒頭、中沢さんはアール・イマキュレにはほとんどみられることのないアール・ブリュットの特質のひとつに「目」の存在をあげた。平面的に形成されている現実の世界に穿たれた穴(または空洞)は隠れた心の本質を表している。「外側に表われている自分だけが自分なのではないという心の叫び」「自分の心が平面化(あるいは平準化)されてしまうことへの抵抗感や攻撃性が「目」の表現を通じて伝わってくる。配付資料には「アール・ブリュット」の特徴的な作品がピックアップされている。例えば「目」で描かれたマンダラのようなアドルフ・ヴェルフリの作品や、伊藤若冲の「動植綵絵 薔薇小禽図」(中沢さんはここに描かれているおびただしい薔薇の花は「目」にほかならないと指摘している)を見ると、反復される平準化に抵抗する心の叫びがひしひしと伝わってくる。
そして会場でこの配付資料を眺めながら、ぼくはやっと思い当たるのだった。コム・デ・ギャルソンのショップで出会った反復する「目」のドッツデザインは、実はその時ぼくの「無意識」が欲望していた形でもあったのだ。こうして数年も経てから、もう一人の自分に出会うこともある。
では「アール・イマキュレ」にしかみられない特質とは?
「イマキュレ=無垢」という言葉は宗教語に由来するそうだが、もうひとつ「アール・アンジェリック=天使的な芸術)」という候補名があったことでも明らかなように、ほとんど「目」を描くことはないダウン症の人たちは、その作品の中に明るい光ややわらかいベールで包まれたような不思議な空間をつくりだす。天使という概念はあらゆる中間的なものの象徴だ。人間でもなく神でもなく、この世でもなくあの世でもない。静止したり固定することもなく、途切れることなく絶えず微細な振動を続ける中間的な空間。
中沢さんたちはここに人類の未来のビジョンを描くうえでの大きな手がかりを感じとっている。当日配布されたブックレットのforewordの文末でこのように記している。「…それから2年、ぼくたちは少しだけ、着実に前に進んだ。アール・イマキュレを現実世界に投げ込んで、その中にあっても変質することのない、ほんものの強さを持続させるにはどうしたらよいのか、現代でも無垢であることは希望をともす原理の燈台であり続けることができるのか。ぼくたちは試行錯誤しながら手さぐりでその答えを探し出そうとしてきた。そういう探求を続けているうちに、ぼくたちは知らない間に、自分たちが少しだけ前進していることに気がついた、アール・イマキュレは幻想ではない。それは現実世界の中で、生き抜いていく力と希望の源泉のひとつであることを、ぼくたちはあらためて見出しつつある。」
ぼくは今回のフライヤー・カバーに(そしてこの催しのシンボリックなイメージとして)1点の絵画作品を選んだ。「佐久間さん」(モデルとなった佐久間さんは佐藤よし子さんのパートナーで彼女とともにアトリエの運営にたずさわっている)というタイトルのつけられたこの作品の作者は岡田伸次さんという27歳になるダウン症の若者。シンポジウムが終了した後、関係者の一人がぼくを彼に引き合わせてくれた。初対面のぼくらは向き合ってまずハイタッチ。そしてすぐに彼はぼくに抱きついてきた。ちいちゃくて柔らかい小動物を連想させるそのコロコロとした感触には、攻撃性や防御しようとする意識がまったくといっていいほど感じられない。抱擁する数秒間、ノーガードの開放感を通じて剥き出しの状態で流れ込んでくる彼の「無意識」を、その時ぼくは驚きとともに一心に受け止めていた。


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