Picture Book : Gorsch the Cellist
(Kenji Miyazawa & Takeshi Motai) :
Portrait : Pablo Casals (1876-1973)

セロ弾きのゴーシュ

Gorsch the Cellist
2010.5.03

窓の外には曇り空に覆われたグレイッシュトーンのパリの街並が広がる。静けさに包まれた室内に、やがて艶やかな音色が満たされていく。チェロを奏でる一人の女性。その傍らのベッドには老人が静かに横たわっている。彼の名は、フランソワ・モリス・アドリヤン・マリー・ミッテラン(François Maurice Adrien Marie Mitterrand)。
フランス第五共和政の第4代大統領ミッテランは病の床についていた最晩年、自室にチェロ奏者を招き演奏に耳をかたむけていたという。追悼記事からの記憶だったか定かではないが、チェロの演奏を聴くとこの映画のワンシーンのような光景を時々思い浮かべることがある。
チェロはとても不思議な楽器だ。その音色は空を舞うようなヴァイオリンの軽やかさでもなく、地を這うようなコントラバスの重々しさでもない。空と地の間で人に寄り添い静かに語りかけてくるのだが、同時にもっとも無伴奏にふさわしい楽器としての超然とした孤高さも合わせ持っている。そんな親密性と孤立性を内包するアンビバレントな楽器だと思う。
一時期、ぼくはピエール・フルニエ(Pierre Fournier)のノーブルな演奏がおさめられた有名なバッハの無伴奏チェロ組曲(BWVシリーズ)のCDをくり返し聴いていた。また、ある時はチェロより古い楽器だというヴィオラ・ダ・ガンバ(Viola da gamba)に夢中になり、マラン・マレー(Marin Marais)の宮廷音楽をはじめ、さまざまなヴィオラ・ダ・ガンバの古楽曲を収集してi-Podにストックしたりしていた。
さらに忘れ難いチェロ奏者がいる。スペイン・カタルーニャ生まれのパブロ・カザルス(Pablo Casals)だ。彼のエレガントで香り高い楽曲はほんとうに素晴らしい。カザルスは生前「平凡な速度」という言葉を残しているが、ここにカザルスの本質が語り尽くされていると思う。音楽の出発点はまずその速度にあるわけで、カザルスの「平凡な速度」には、譜面や数値には決して置き換えることのできないさまざまに微妙な抑揚が宿されている。平和活動家としての側面も見せながら、終生自然に抗うことなく淡々と雄々しさと無邪気さを並走させてみせたこの演奏家は、まるで腕の立つ心優しい園丁のようだった。
さてチェロといえば、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」も思い出深い。子どもの頃に買い与えられ、ボロボロに破れすっかり黄ばんでしまった絵本「セロ弾きのゴーシュ」は今もぼくの小さな宝物だ。この絵本は1958年に福音館書店から配刊され、賢治の原作を佐藤義美が子ども向けに書きなおしたもので、絵は茂田井武が担当しているが、それからぼくはこの絵本を超える「セロ弾きのゴーシュ」に出会うことはなかった。何と言ってもその魅力は、絵の力に拠るところが大きい。茂田井武の代表作にもあげられているこの作品は、年譜によると1956年に死の床で描き上げられたものだという。そのタッチはカザルスの「平凡な速度」と同質の、決して記号化することのできない無限といってよい豊かな調子によってつくりだされている。
音楽をつくりだす、ということはどういうことなのだろう。それはつまるところ「生きとし生けるものの生の営みにシンクロする行為なのだよ」と絵本はぼくに語りかけてくる。演奏は生の営みの息遣いにほかならない。そして音色が息遣いとなったとき、ジャンルを問わず音楽は初めて「強い音楽」として生まれ変わるのだと…。幸いにも、ぼくは人生に光沢を与えてくれるたくさんの「強い音楽」とこれまで出会うことができた。
最後に、ひとつだけ最近出会った「強い音楽」を紹介してみたい。時折ぼくは仕事の手を休め、若者にヨウツベと呼ばれる「You Tube」にアクセスをする。ここには世界中から投稿されるさまざまな動画がストックされているので、興味のあるミュージシャン名を検索してライブ動画をチェックしたりしていると、思わぬ掘り出し物が見つかることがある。
ある日探し出したのはライ・クーダー(Ry Cooder)とニック・ロウ(Nick Lowe)の2009年のツアーライブ動画。Madrid、LiverpoolやAmsterdamなど各地でのライブの模様を観客が撮影したものなので決して音質は良くないし、手ぶれしたり周りの話し声なんかも入っているけど、それはそれで実際に会場に紛れ込んでいるようなリアリティがあるというものだ。チェックしているとあっという間に20タイトルくらい集まってしまい、ちょっとしたLive Stockが出来上がる。ぼくはこの動画をフリーソフト「RealPlayer Converter」などでPCにダウンロードしてからUSBメモリーに保存し、MacBook Proにイアホーンを差し込み「Adobe Media Player」で好きな曲を再生して楽しんでいる。(いろんな動画再生PlayerアプリがあるがAdobe Media Playerは使い勝手がよくデザインも美しいので気に入っている。また「You Tube」の動画は再生しているURLの末尾に「&fmt=16(&fmt=6や&fmt=18でもOK))」と打ち込むとアラ不思議、とたんにきれいな画質になるので一度お試しあれ)
ライ・クーダーが初来日した時には、2007年に閉館してしまった虎ノ門のイイノホールまで出かけて溌剌とした音楽を堪能したが、スリムなベース・ギタリスト、ニック・ロウの横に立つ2009年のライ・クーダーは随分恰幅もよくなって、それなりに年を重ねてきたことを実感させられる。しかしその名人技は健在で、ますますその円熟味を増している。ストーンズ(The Rolling Stones)の名曲「ホンキー・トンク・ウーマン(Honkey Tonk Woman)」のリフは、実はスタジオミュージシャンとして呼ばれていたライ・クーダーの練習風景の音源をキース・リチャーズ(Keith Richards)にコピーされたものだったことは有名な話だが、キースの気持ちも分かるよと言いたくなるくらい彼のボトルネック奏法は本当に魅惑的だ。この「You Tube」に投稿された「自警団員(Vigilante Man)」で繰り広げられているスライドギターは、ぼくが最近出会った掛け値なしの「強い音楽」といえるだろう。


Blog Contents