Top: Bachman's Pinewood Finch
Middle: Black-cap Titmouse
Below: Western Blue bird
by John James Audubon

空の鳥たちに学ぶ

John James Audubon
2009.6.02

ジョン・ジェイムス・オーデュボン(John James Audubon)は北アメリカの鳥類研究家、そして画家である。1838年に発表した画集『アメリカの鳥類(Birds of America)』で広く知られるようになった。ぼくは写実的な鳥の絵をネットで探していて、遅まきながらこのオーデュボンという画家の存在を知ったのだった。
動植物を描く作家は古今東西ほぼ例外なく、その対象物に対して深い愛情を示す。描くことに情熱を注ぎ続けるのは、いわばその愛情のひとつの証なのだろうが、オーデュボンも筋金入りの「鳥を愛した男」だった。絵を見ればそれはよくわかる。この画集では一羽一羽がほぼ原寸大で描かれている。それまでごく一般的だった標本を元に描くという手法をとらず、実際に野鳥を観察しながら原寸で描いたのは、鳥たち固有の生命そのものを捉えたいと願った彼にとってはごく自然な行為だったと思われる。
オーデュボンは西インド諸島のサント・ドミンゴ島(元ハイチ)生まれ。フランス人の母親との死別後、フランス人船長オーデュボンの養子となり、7歳でフランスに渡って画家ダビットに絵画の手ほどきを受ける。そして18歳でアメリカに移り住み、27歳で市民権を取得するも、その後商売に挫折したりして経済的苦難に見舞われる。しかし自らの才能を信じ、鳥を観察しながら絵を描き続ける日々を送っていた。そうしてようやくまとめた画集だが、アメリカでは出版元は見つからず、イギリスに渡った末に実現されたのだという。だからアメリカの鳥類画家といわれても、経歴からはかなり屈折した過去を背負った人物であることがわかってくる。
見るという行為は幾重にも意味を内包している。観察、感受、想像、思考などなど。煎じ詰めれば、見ることはこの世界の在りようを知ろうと希求することにほかならない。そしてそこに出現する世界の不思議を目撃したいと願う祈りの行為でもあるのだと思う。
我が国にもかつて奄美の亜熱帯景観を祈るように凝視し続けた田中一村という孤高の花鳥画家がいた。東京美術学校の同期生、東山魁夷を嫉妬させるほどの画才をしめした一村だが、狷介孤高の性格もあって、理解者を得ることもなくその後の人生は不遇なものだった。晩年、「絵かきは、絵筆1本、飄然として旅に出るようでなければいけません」(NHK出版刊行・田中一村作品集・4頁より引用)と列島を南下して奄美に移り住み、紬織り染色工の職を得て最後の画業に専念することになる。そこで亜熱帯の植物群という天命のようなモチーフと出会い、極貧生活の中で黙々と描き上げられた名作は、粗末なトタン葺きのアトリエに人知れず残されていった。69歳で誰に看取られることもなく生涯を閉じた一村もまた見る人であった。もちろん、画家は誰だって見る人に違いないのだが、オーデュボンや一村の見るという行為には、なにかしら過剰なものが含まれているような気がしてならない。そしてその過剰さが、彼らの絵を簡単には忘れられないものにしている。
ところで鳥といえば、ぼくの仕事場は鳥獣保護指定地区内にあるので、春ともなるとたくさんの鳥たちが飛び交い、可愛らしい鳴き声で住民たちを楽しませてくれる。鳥類に疎いぼくはどんな鳥が鳴いているのかさっぱりわからないけれど、鳴き声が届く瞬間、柔らかいネットで鳥たちとともに包み込まれるような幸福な自然との一体感を感じとることができる。ウグイスの「ホーホケキョー」などは絵に描いたような「ホーホケキョー」なので思わず笑ってしまうけれど、鋭く空に解き放たれる澄んだ声の潔さには、何度聞いても惚れ惚れとしてしまう。
これってけっこう贅沢なことなのかもしれない。音楽だってなかなか簡単にこんな気持ちにはしてくれない。いろんな幸福の形があるのだろうが、こうした自然との一体感は生命体に共通する、かなり原型に近い幸福感なのではないだろうか。この感覚を強く実感したことがある。10歳頃の思い出だ。自宅近くにある松林には直径数メートルもある巨石がゴロゴロ転がっていて、猿のような身のこなしで岩から岩に飛び移る快感の虜となったぼくの格好の遊び場となっていた。冷静に考えたらかなり危険な行為で、ひとつ間違えると大怪我をしかねない。しかし今思いおこしても不思議なくらい、その時のぼくは絶対の自信に支えられていた。すべての岩の形状や位置は頭の中に正確にインプットされ、意のままに身体をコントロールすることだってできる。飛び移る瞬間に身体の奥から生命力が溢れるようにわき上がってくる、そんな幸福な一体感を飽きもせず繰り返し味わっていた。ぼくの人生における生命力のピークが、あの時だったことは間違いない。ぼくは思うのだが、鳥をはじめとする動物たちは、ぼくらよりはるかに密接に自然に溶け込み、その生命力を謳歌しながら幸福感を彼らの生の糧としているのにちがいない。
中沢新一さんの新刊『鳥の仏教』には、宝石のような美しい仏教経典『鳥のダルマのすばらしい花環』の翻訳がおさめられている。そして巻末に添えられたテキスト『今日のアミニズム』ではこれから世界が必要とする、経典のもつ重要性が深々と語り出されている。そこにこんな一節がある。「人間は自分たちの世界のことばかり考えているのではなく、正しい生き方を知りたいのなら、空の鳥たちに学ばなければならない、とイエスは言った。その鳥たちをブッダは苦しみを生む生存の条件から解き放とうとした。地球上にあって、人類と鳥類は「ひとつの心」を共有しあっている。そして変わっていかなければならないのは、進化の過程でみごとな完成をとげた鳥たちではなく、心に大きな自由領域をあたえられながら、いまだに未完成な、いやこれからも未完成なままの、わたしたち人間のほうなのだ。」(新潮社刊「鳥の仏教」122頁より抜粋)
超然とした鳥の存在感を強く感じた経験もある。ある小雨降りしきる遅い午後、仕事の手を休めて仕事場の入り口付近を歩いていたら、ガラスのドア越しに一羽のカラスが目にとまった。およそ20mほど目先にあるやや傾きかけた高い電柱のてっぺんにとまり、彼はじっと眼下に広がる盆地の街並みを眺めているように(ぼくには)見えた。小雨に打たれながら身じろぎもせず、カラスはじっと動く様子もない。なんだか敬虔な気持ちになって、ぼくもそのままじっとカラスを見つめ続けた。どのくらい眺めていたのだろう。「お前たち、馬鹿なことばかり毎日しているなあ」とカラスの呟きが聞こえたような気がして、ちょっと小さくなってしまったぼくはそっと視線を外す。鳥は人間なんかよりはるかに達観しているんじゃないかとその時思った。だから「鳥の仏教」の一節に今ぼくは深く共感することができる。そして、のびやかに飛翔する完成をとげた美しい生命体に囲まれて、飽きもせずぼくは今日も不完全きわまりない試行錯誤に明け暮れている。


Blog Contents