上から9点は、2017年にオープンした最新「萌木の村 ROCK」の外観、内観、ナチュラル・ガーデン(監修:ガーデナーのポール・スミザー)※写真撮影:工房モルゲンロート 小林雅之 下から4点は、舩木上次近影、創業時の「喫茶店ロック」、「ROCK MAGAZINE」インタビュー画像。※写真撮影:ヤツガタケシゴトニン 小林聖

岩(ROCK)の上にも50年

On the rock, 50 years
2021.8.18

清里ROCKの誕生は1971年。創業者の舩木上次さんが若干22歳の時だった。酪農場を中心とした開拓地であった清里に若者たちが集い、夢を語り合う場所をと考えた上次さんは、大きな岩の上に小屋のような建物を完成させた。標高1,200mの高原に生まれたその小さな喫茶店を、大好きな音楽だったロックと岩を掛け合わせてROCKと命名。以来、お店は幾多の山と谷をくぐり抜け、50年という時を刻んで清里の大地に根を張りながら、今では引きも切らず多くの人びとが集う「萌木の村 ROCK」として成長し続けている。
上次さんはとびきり大きな夢を抱いてきた。そのバックボーンとなっているのは清里の父と呼ばれているポール・ラッシュ博士の教えだった。ポール・ラッシュ博士は「食糧、保健、信仰、青年への希望」を柱に、敗戦後の清里に理想の地を構想した。戦後日本の思想的潮流だった「向都離村」に抗うように、僻地の山村こそが日本の希望の光であると、理想の農村実現に心血を注いだポール博士。その信仰の拠点となったのが清里聖アンデレ教会だった。教会は清泉寮(清里と大泉にまたがる場所に建つことから清泉の寮と名付けられた)の下に建っている。70年代、まだこの教会での結婚式は年に1〜2組だったそうだが、ぼくがこの教会で式を挙げた前年に、ぼくより1歳年上の上次さんも式を挙げていたことをずいぶん後になって知った。司祭は教会の創生期を支え、長靴を履いた司祭と呼ばれた武藤司祭。ぼくは何度も清里に通って心得についての説教(コリント人への手紙-13章が主題だったような…)を受けた記憶がある。そして、レンゲツツジが満開の春、式を終えて教会を出るときに祝ってくれた地元の子どもたちのフラワーシャワーも微笑ましくも懐かしい思い出となっている。
この清里で萌木の村を開村し、希望の種を蒔き続けてきた上次さんの元では、いま多くの仲間がこの希望の村を共に支えている。そして、2017年にはその仲間の若手のホープ、三上浩太さんが27歳でROCKの総支配人に抜擢され、新しいROCK時代の幕を開いた。早速リニューアルされたROCKサイト内に創刊されたWEBメディア「ROCK MAGAZINE」で、ぼくは三上さんのインタビューを受けることになったのだが、数年前の記事となるがそのインタビューを推敲・添削して以下に転載する。

ROCK MAGAZINE Vol.02

ROCKの若き総支配人・三上浩太が「今会いたい人」「話をしたい人」に声をかけて、飲食店という枠を超えた話をするシリーズ「三上が聞く」。第2回は山梨県甲府市でデザイナーとして活躍しているBOSCOの小林春生さんにお話をうかがいました。

小林春生さんは80年代からROCKの社長・舩木上次と交流があり、2017年の新店舗建設の際には新しいROCKのロゴをデザインしてくださった方。そんな春生さんに改めてデザインの話、仕事の話を三上が聞きます。

◎もうROCKから仕事は来ないだろうと思ってた(笑)
三上 春生さんには今回ROCKの新しいロゴをつくってもらったり、すごくお世話になっています。火事からの再建のとき、ギリギリになってロゴをどうするかって話になったんです。それまでのロゴももちろんあって、みんなもそれに愛着を持ってたんですけど、社長(舩木上次)が「春生さんに新しいロゴを頼む。それしか考えられない」って言い出したんです。
小林 ふしぎな人だよねぇ、舩木さんって。僕は以前舩木さんと仲違いしてたんだよね。というか、一方的に僕が批判してたんだけど。萌木の村の経営手法に関して「舩木さん、どうしてそんなことするんだろう?」って疑問に感じていた時期があって、ガッカリしちゃったんです。「そんな人だったの?」って。そこで、愛の鞭のつもりで檄文FAX(当時、舩木さんはメールもしてなかった)を送ったんです。舩木さんはそれに対して何の反論もしなかった。そんなことがあって、10年くらい経ってたわけ。だから、もう二度と仕事は来ないだろうなって思ってた(笑)。
三上 社長はたまに迷走するときもあるんですよね。たまにですけど笑
小林 いろんな人に惚れやすいのかもね、舩木さんって。それでその影響を受けたり、いろんなことを任せたりする。でも、自分でフッと気付くんだよね。違うなって。
三上 そうなんです。気付くんですよ。
小林 そうした経験や場数を踏んできたから今があるんだね。
三上 ただ、惚れやすいというのは、僕もそうかもしれないです(笑)。今回ロゴを春生さんに頼もうかって話になったときも、最初は僕、春生さんをよく知らなかったので「絶対、違うんじゃないかな?」って思ってたんです。しかし、会って語り合ってみたら「この人しかいない!」って確信しました。そもそも春生さんがデザインをはじめたきっかけはなんだったんですか?
小林 僕はもともと美術をやっていたんで、美術家になるつもりだった。それで新橋にある現代美術研究所っていう研究所に入って、ものすごく濃密な2年間を過ごした。そこには文化勲章を受賞した洋画家の福沢一郎先生や、芸大や多摩美で教授をしていた洋画家の杉全直さんなんかがきてマンツーマンで教えてくれる、ものすごく贅沢な学びの場所だった。ここに通っていた時間は僕の人生の財産となったんだ思う。だけど、そのころから勢いを増してきたコンセプチュアルアートという世界的な美術運動を見て現代美術に失望しちゃったんです。石をいくつか置いて作品としたりね。(こうした作風は後にモノ派と呼ばれたが、その代表的美術家のひとりである李 禹煥[リ・ウーファン、Lee U-Fan] は一時期この現代美術研究所に在籍していたそうだ)いわゆる観念芸術。「人間を豊かにしない、こんな美術ならいらないや」って思って、山梨に帰ってきた。でも、戻ってきてもやることはない。かといって会社員になるつもりもなかった。それで、何か食べる手立てはって考えたときにデザイン……その当時「デザイン」って言葉はまだあまり聞かなかったけどね。
三上 なんて呼ばれてたんですか?
小林 何だろ。図案屋さんとか版下屋さんとかかな?デザイナーって言うと、ほとんどの人がジュエリーですか?洋服ですか?なんて聞き返してきたからね。で、とりあえず甲府駅前に2坪くらいの小さな事務所を構えたんですよ。そうしたらぽつりぽつりと仕事が来るわけ。当時だとバスの差し込み看板なんかの仕事が入ってきたかな。本格的にいわゆるデザインの仕事をやるようになったのは24歳の頃。印刷関連の会社の人が地元企業(洋菓子メーカーのシャトレーゼ)の社長さんを紹介してくれて。そこの仕事をやるようになってからですね。
三上 じゃあ、デザインは独学ですか?
小林 ほとんど独学。いろんな人に会って話をすると、わかんないことだらけなんだけど、そこで「わからないです」っていっちゃうと失礼でしょ? だから、「はい、知ってます、知ってます」って言って、帰ってきて一生懸命勉強して……その繰り返し。だから僕には師匠はいないんだけど、現場の職人さんたちにはたくさん教わったなぁ。印刷屋さんでも製版屋さんでも、現場で働いてる最前線の人たちからいっぱい吸収した。あとはクライアントとなる人たち。反面教師もいたけどね(笑)。でも、商売の心得とかいろんなことを教わった。舩木さんもそのひとりだね。舩木さんからは90年代にいろんな仕事を依頼され、「ポール・ラッシュ100の言葉」という書籍も一緒に作ったんだ。でも、21世紀に入ってからは萌木の村の仕事は、このロゴの依頼をされるまでほとんどなかったんですね。

◎「いい仕事」が一番の営業マン
三上 そもそも舩木とはどういう出会いだったんですか?
小林 それもクライアントの方の紹介です。そのときも舩木さんはトラクターかなんかで長靴姿で働いてて。
三上 いつものスタイルですね(笑)。
小林 「こういう人が萌木の村っていうのをつくるって、山梨もまだこりゃ捨てたもんじゃないな」ってちょっと感動したんですよ。どうしてこんな社長然としてない、田舎の土木屋の親父さんみたいな人がこんな面白いものをつくってるんだろうって思ったんです。それはやっぱり、持っているビジョンだとか夢があるからなんだと思う。ビジョンが大きければ大きいほど力を貸してくれる人も集まる。それでまぁ、挫折もするんだけど、でも諦めないでやっていると何となく形ができていくんだろうね。思い続けるっていうのが大事なんだよね。
三上 小林さんはどういう思いがあったんですか?
小林 僕はイヤな人と仕事したくないって思いがずっとあったの(笑)。でも、なかなかそうはいかないじゃない。特に組織を相手にしてると。だけど、「できればそういう人のいないところで仕事していきたいな」って念じ続けていると、ふしぎなことにイヤだなと思う人たちがひとりふたりと減っていって、あるときに誰もいなくなるんだよ。それで、周りは「こういう人たちと仕事したい」って人だけが残ってくれている。そういうのってすぐにはできないから、10年計画でやっていましたね。
三上 仕事はどうやって広げていったんですか?
小林 いわゆる営業はしたことないんです。まずはきちんと仕事をすることですよ。いい仕事をしないと。いい仕事が一番いい営業マンなんです。なので、失敗したらアウト。次はない。あとは誠実にね。普通の人間としての礼を尽くして全力を尽くす。それでようやく自分が想定していた環境に近づいてきたから、歳を重ねたけど若い頃にもう一度戻りたいとは思わない。せっかくここまで来たんだから、もうたくさんだよ(笑)。ただ、僕はデザイナーって言われてるけどあんまり自覚がなくて、まだデザイナーが自分の天職だと思っていないところがあるんですよ。
三上 え、じゃあ何なんですか?
小林 わかんないけど。音楽も好きだし、美術も好きだし、建築も家具も好きだし、もしかしたらROCKの支配人とかそういうのもあるかもしれないよ?(笑)
三上 (笑)。
小林 でも、ずうっと途中なんだ、そういう気持ちがいつもあるんです。僕の場合は「人生」っていうのがまずあるんですよ。たとえば、こんな事務所なんてなくたってデザインの仕事はできるわけ。PC1台あればできるわけだから。だけど、人生のことを考えると労働時間ってものすごく大きな割合を占めてる。睡眠時間と同じくらい、もしかするともっと多くの時間を過ごすでしょう? 自分の身を置く環境ってとても大切だなと思っているんです。だから、自分が好きな環境で過ごせるようにしたいと考え続けていたらこんな事務所になったの。イヤな人と仕事をしたくないっていうのもそうだけど、起点はいつも「自分の人生にとってこれがいいのか?」っていう自問なんです。

◎「それをつくらない」という判断もデザインの仕事
三上 今回ROCKではまずロゴで関わってもらいましたが、春生さんの仕事は店舗やパッケージ、本など多岐にわたってますよね。
小林 ジャンルもいろいろだし、商品も本当にあらゆるものをやってますね。実は、東京のデザイナーって大変だと思うんです。人が多くて密度が濃いから、その分専門性を持たなきゃやっていけないところがあって、エディトリアルならエディトリアルの専門のデザイン、そのなかでも人文系、ファッション系と細分化されていく。そういうなかで自分の表現というのが限定されたりもするんだけど、僕らみたいに地方に野放しにされてると、そんなこと言ってられないので(笑)。まるごと全部やらないといけない。ビルの一部じゃなくて犬小屋作る大工さんみたいにね。でも、それが逆によかったと思うんです。本当はそういうふうにしなきゃいけないんですよ、デザインって。デザインを考えるっていうことは全体を考えることだから。それはマッチ箱や名刺でも、地域のグランドデザインでも同じだと思います。ありとあらゆる方向性があって、無数の方向性の中からどっちを向いたらいいかってことをまず考えなきゃいけない。そこを決めるのは直感ですよね。で、そういう直感って何もないところからは出てこない。無意識のなかに蓄積されているいろんな経験や自分の興味の集積があって、そういう土壌のなかからにじみ出てくる。そうやって出てきた直感を形に落とし込むのも、もう一つのデザインの作業。そこからは直感じゃなくて、精緻で理にかなったものをつくるとても地味な積み重ねの作業なんです。
三上 デザインっていわゆる“デザイン”をするだけじゃないわけですね。
小林 そう。視覚言語っていうか、そこに言葉やビジョン、そこにつながる考え方を反映させて視覚化するのが重要になる。あるいは、「本当にそれが必要なのかどうか」ということを考えなきゃいけないこともある。たとえば、こんな印刷物をつくりたいって依頼が来ても、もしかしたら、必要なのはそれじゃないのかもしれない。印刷物を作ることが目的じゃないわけです。認知されて共感され、購買意欲を高めたりとか、それによって得られるものが本当に求められるものなわけでしょう? だから、場合によっては「それは必要ない」って判断もあったり「必要なものはこっちじゃないですか?」って提案も必要になるかもしれない。だから僕は出来る限りクライアントと直接を仕事をすることを心がけてきました。代理店とかを挟むと、どんどん「本当に求めてるもの」というのが掴みにくくなる。情報が歪曲しちゃうんです。だから、「社長(最高決定責任者)に会えますか?」って聞いて会ってくれるところと仕事をしている。そうすることで、何を求められてるかっていうことが明確になるし、本当に自分ができることなのかという判断もできる。結果的にお互いのためにもなる。そこからしか始まらないですよね。それはROCKで働いている三上くんだって同じだと思う。
三上 確かに飲食店、接客業も同じかもしれないですね。本当に求められているものを見つけないといけない。
小林 いっしょですよね。経済活動って一般の生活者が支えてるものでしょ? ターゲットは全部生活者なんです。だから、生活者の生活感覚から出発しなきゃダメなの。それは時代によって変わるものもあるし、変わらない本質もある。クライアントが本当に求めるものと、そういう生活者をどうつなぐかというのがデザインの仕事だと思う。そういう意味で、デザインって受注する方も大変だけど、発注する側も同じくらい大変なんです、本当は。
三上 自分が本当に求めているものを伝えなきゃいけないわけですね。
小林 そう。自分のなかにある雑然とした考えを整理して本当に求めるものを明確にして、ビジョンも持っていないといけない。それを自覚している人はいいんだけど、ほとんどの場合はそれが分かっていなくて、「とにかくこれを売りたい」とか短絡的な着地点だけがあって、それを求めちゃう。長いスパンで見るとそれって全然一貫性がなくて統一感もないんです。そこからは本当の意味でのブランドは決して生まれてこない。こういうことをいうから「めんどくさいことばっかりいう人」ってよくいわれるんだけど(笑)。でもそれが結果的にはお互いのためになるの。そういうことを理解していただけない場合はお互いのためにお付き合いしない方がいい。舩木社長はそういうことがよくわかってる方だと思う。誰にまかせるかは俺が決めるけど、まかせたことには口を出さないってスタンスでしょ?
三上 そうですね。
小林 たぶん、いろいろ経験を重ねてきてるんでしょうね。企画を誰かに委ねるときには、これが一番効率的だし、それが事業に貢献してくれるってことも分かってる。

◎仕事が暮らしを破壊するグローバリズムの世界
小林 ところで、ROCKの新しいホームページ面白いなって思いました。新しい風が入ってきたという感じがして。
三上 ありがとうございます。
小林 スタッフのみんなも好意的に見てる?
三上 はい。いろんなスタッフが改めてホームページやSNSに積極的に関わるようになりました。もちろんこれから継続してやっていかないといけないんですけど、みんなが関わるような仕組みができた。
小林 そうそう、仕組みなの。完成したものはいらないんだよ。器をつくるというのが大事なんだよね。そこに何を盛るかというのはみんなが楽しみながらやればいい。三上くんもそうで、楽しんでる姿を見せるっていうのがすごく大事なことだと思う。そうすると周りも楽しそうだなって参加してくるようになるもんね。
三上 それはいろんな人の話で共通して感じることです。楽しまないとダメだっていうのは、舩木も、この企画でお話を聞いた人もみんないっている。大変だけど、楽しむことが結果につながっていくんじゃないかって今は思っています。
小林 そうやって続けることだよね。僕はデザイナーが天職とまだ思ってないって話をしたけど、いろんな人の話を聞いたり、本を読んで感じるのは、どんなことも実はつながっているということなんです。作家の村上春樹の小説にはよく井戸が出てくるでしょ? ぼくは思うんだけど、地中にはもうひとつの世界がある。そして、地表ではそれぞれバラバラな地点でも、ずっと掘っていくと地下水脈ではみんなつながってる。普遍性がそこにある。どこを掘るかっていうのは重要じゃないんです。だから、「何が自分の天職なんだろう?」「どこを掘ればいいんだろう?」って悩んでいる人がいたら、とりあえず今いるところから掘りはじめたらいいんじゃないかって思う。ただ、それで天職に行き着く人は何が違うかっていうと、水脈に行き着くまで諦めなかったこと。で、器用な人ほど途中でやめちゃう。ダメだダメだっていわれる不器用な人ほど続けるんだよね。もちろん岩盤にぶつかることもあるから、そのときは別な地点からまた堀りはじめたらいい。
三上 それは萌木の村で感じることです。バカか天才かじゃないとダメなんだと思います。小利口じゃダメなんだなって、社長を見ていると感じます(笑)。
小林 そうやって愚直に穴を掘るしかないんだよね。なのに、今いろんな企業が愚直さを切り捨てて短絡的な結果を求めてるから、労働力が消耗品みたいに使われちゃって、結果、仕事が暮らしを壊してる。一生懸命働いてさ、家族を養おうとすればするほど家計が苦しくなるっておかしいじゃない。本来、グローバリズムとは世界の一体化を目指す地球主義なんだけど、今は新自由主義(アメリカ流の無規制資本主義)をバックボーンとして、地球規模で経済活動を展開して自由貿易や市場主義経済を地球上に拡大させる思想になっている。そのグローバリズムが暮らしを壊しはじめてるのに、一生懸命働いて労働力がグローバリズムという仕組みを結果的に支えちゃってる。市場主義経済は世界を被ってひとつの形で統一しようとするから、ものすごく効率を求めるんだけど、そろそろ効率だけでものを考えることをやめないといけないと思う。数値化できない価値というのもあるのに、効率にとらわれるとそれが軽んじられちゃう。弱くて小さなものも全部含んだいろんなローカルな価値感が世界中にあって、それらすべてひっくるめてひとつの村なんだという考え方を大切にしたいよね。それが深くて広い多様な豊かさへと連なる鍵なんだと思う。たとえば、Appleを創業したスティーブ・ジョブズなんかヒッピー世代の考えていた「ワンビレッジ」というユートピアってそれなんじゃないかな。
三上 数値化できない価値や意味というのを、僕らはずっと考え続けなきゃいけないですよね。今日は貴重なお話、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

※一部推敲・添削修正(オリジナルサイトページはこちら


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