椅子とテーブル
松家仁之のデビュー作『火山のふもと』。「大事なことは、聞き逃してしまうほど平凡な言葉で語られる」―と書評された本作には、尊敬する建築家の事務所に入所した主人公の青年が、そこで時代に左右されることなく質実で美しい建物を生みだしつづけてきた寡黙な老建築家、村井からこんなことを話しかけられるシーンがあった。
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先生のあとについて所長室に入り、すぐに手渡されたのは、背もたれのあるスタッキング・チェアのスケッチだった。 「このまえ、きみが言っていた現代図書館用のスタッキング・チェアをね、ちょっと考えてみたんだ」と先生は言う。 アルヴァ・アアルトのスタッキング・チェアやアルネ・ヤコブセンのセブン・チェアにも連なるような、積層合板を曲げてつくるタイプのアイディアだった。しかしそのかたちはどこからみても村井調で、背もたれもアームも、人のからだを受けとめる控えめなカーブを描いている。デザインは人のために仕えるものという先生の考えがはっきりと見てとれた。座面には着脱可能な革のクッションがはめこまれているのは、スタッキング機能優先で座り心地は二の次になりかねないところを解決しようとするものだろう。先生はぼくの疑問を先回りするように言った。
「家具はもっとあとになってからという井口くんの考えもわかるんだが、建築というものはトータルの計画が大事で細部はあとでいい、というものではけっしてないんだよ。もちろん井口くんもそんなことは承知のうえで言ったんだろうけどね。細部と全体は同時に成り立ってゆくものなんだ。受精卵が細胞分裂をくり返してヒトのかたちになるまでを見たことがあるかい」
先生の問いに、両生類のような胎児の顔がぽかんと思い浮かんだ。
「生物の教科書で図解されてました」
先生は頷いた。「指なんていうのは、びっくりするくらい早い段階でできあがる。胎児はその指でほっぺたを掻いたりもするんだ。開いたり閉じたり、生まれる何か月も前から指を動かしている。建築の細部というのは胎児の指と同じで、主従関係の従ではないんだよ。指は胎児が世界に触れる先端で、指で世界を知り、指が世界をつくる。椅子は指のようなものなんだ。椅子をデザインしているうちに、空間の全体が見えてくることだってある」
無意識の領域をのぞけば、人には胎児のころの記憶は残らない。でもこの指がかつて、そうして世界をさぐっていたことがあったのだ。考えて手を動かすだけでなく、手を動かすことが考えに結びつく。先生の建築の作法はその両方で成り立っている。ぼくは自分の手を開き、閉じてみた。(新潮社『火山のふもと』151〜153pより抜粋)
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「細部と全体は同時に成り立ってゆく」。これはぼくもこれまで何度か仕事をしていて実感したことだった。常に全体を俯瞰しながら、細部の造形を意識する。すると精緻な細部から、再び全体が真新しい姿を現すこともある。「いつかは一度、椅子のデザインを手掛けてみたかった」。しばしば、建築家がそんな発言をするのはそういうことだったのか、とこの一文を読んで腑に落ちたのだった。
ぼくは昔から少しばかり建築に興味を抱いていたから、必然的に家具にも無関心ではいられなかった。余裕があれば欲しい家具もたくさんあった。ただ、残念ながら家具コレクターとなるほどの情熱も経済的余裕もなかったから、所有しているのは、現在の会社を立ちあげる時にちょっと奮発して入手した家具類のみ。今回はその中の、あるテーブルと椅子にまつわる話をしてみたい。
テーブルはどことなく父性を感じさせる家具だと思う。常に不動。誰かや何かと対峙するときに、テーブルはそれを仲立ちするかのように全身をさらしながら、身じろぎもせず存在している。
必然的に、椅子は母性を感じさせる家具となる。身をあずけてしまえばその姿は見えなくなり、残るのは包み込まれる感触のみ。人が「座り心地」と表現するのは、椅子の持つ母性的感触の別称なのだと思う。
テーブルを挟んで椅子に腰掛けると、ふたつの家具の持つ視覚と触覚という異なる特性を同時に味わうことになる。家具を所有するということは、この味わいのバランスを通じて、自分の好みを表現することなのかもしれないと思ったりもする。しかし、ぼくが所有しているテーブルと椅子は、実は自分が見立てたものでなく、仕事場の設計を依頼したインテリアデザイナー、K氏の薦めによるものだった。いや、先にこの家具イメージがあり、それにあわせる形で建築物が完成していったのだ。このテーブルと椅子が収まる建物だったらこうなるだろう、と…。「細部と全体は同時に成り立ってゆく」。それがぼくの仕事場作りの現場でも進行していたのである。
テーブルは「LC6」とググるとドサッと画像の検索結果も現れる、コルビジェの定番ダイニングテーブル。BrandはCassina (カッシーナ)のCassina IXC.。脚部に(設計当時飛行機に使われていた)楕円断面の金属パイプが使用されていることで有名な、ニューヨーク近代美術館所蔵作品だ。DesignerにはLE CORBUSIER(ル・コルビュジエ)、PIERRE JEANNERET(ピエール・ジャンヌレ)、CHARLOTTE PERRIAND(シャルロット・ペリアン)の3名がクレジットされている。天板はアッシュ材パネルと15mm厚のクリアーガラスの2種が用意されているが、ぼくら(K氏とぼく)が選んだのはマットブラック塗装仕上げのスティールパイプ・フレームが際立つガラス天板タイプ。LCシリーズとはLe Corbusierの頭文字による家具作品群で、特にLC2やLC3のソファはモダンファニチャーの代名詞的存在となっている。
ところで先日、BSフジで放映された「永遠のデザインを考える旅」(ル・コルビュジエ特集)を見ていたら、このLC6をデザインしたのは、実はシャルロット・ペリアンだったことをぼくは初めて知った。番組で紹介されていた彼女のラフスケッチ帳の中にLC6の研究画が残されていた。『飛行機のチューブ』をテーブルの脚に使うというとてもアバンギャルドな発想がそこには確かに描きとめられていた。スケッチは完成した図面より、そこに至るまでの葛藤が記録されていて、ペリアンという人物をリアルに浮き彫りにしている。スケッチを見ると大半のLCシリーズは彼女の手によるものではないかと思えるほど見覚えのあるデザインが数多く残されていた。
1929年、フランスの美術展覧会でペリアンが出品したスツール(後にLC9となる)を見たコルビュジエは即座にその才能を評価し、そこから長きにわたる共同活動が開始されたのだそうだ。晩年までペリアンの仕事を身近で見守り続けていた一人娘のベルネット・ペリアンさんは、印象に残るペリアンの言葉は?との質問に「扇形の目を持たねばならない」。つまり「よく見ること」という意味をこめた言葉や、「頂上まで必ず辿り着くこと。決して途中でやめない事」と山登りなどのスポーツ好きなペリアンが口癖のように語っていた言葉を紹介していた。情熱と才能溢れるペリアンは、残されているポートレートを見るととてもチャーミングな女性でもあった。コルビュジエと互いに影響を与え合い、二人が多くの作品を生み出すことができたのは、揺らぐことのない互いの信頼関係があったからだろうというのは、一人娘のご主人のコメント。ハードな構造を生み出すコルビュジエという才能と、内側にソフトな視点を持つペリアンという才能。建築を内と外から考えるその視点は、互いにかかせないものだったのである。
また、ペリアンは親日家でもあったことでも知られている。1940 年に坂倉準三の誘いで輸出工芸指導の顧問としてペリアンは日本へ招かれてから、以降数年間度々訪れている。日本の伝統的な暮らしや特有な美意識に深い感銘を受けた彼女は、自身の作品にもそうした影響を色濃く反映していった。なかでも記憶に留めておくべきことは、来日したペリアンが最も共鳴したのが柳宗悦の民藝運動だったことである。2011年に神奈川県立美術館で開催された「シャルロット・ペリアンと日本」展には彼女の手帳も公開されていて、初めて訪れた日本民藝館の印象をこのように記している。
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「柳宗悦の民藝館を初訪問。柳邸で昼食。とてもいい環境。日本に来て初めての芸術界との出会い。また会いたい。
- 柳の自宅。美しい石製の屋根組。美しい木製の骨組み。
- 美術館では、美しい石の床張りに、藁の莚が敷かれている。
- 日本では一般的に、非常に美しい自然の素材を利用する。 下の美しい陶器の展示を見る。
- 朝鮮陶磁が展示されている一階を見る。非常に美しいフォルム。かなり自由な空想力。
- 隣には、柳の書斎がある。イギリス人芸術家のデザイン・・・。要注意。伝統と同じように美しいものを作る必要があるが、新しくても劣ったものを産み出してはならない。伝統は前進を望んでいる。より良いもの、もしくは違うものを作る必要がある。よって、物真似より、民俗芸術の方から多く学ぶことができる。」
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多用される「美しい」という言葉は、民藝館が鮮烈な印象を彼女に残したことを物語っている。そして、私たち日本人は他者の眼から多くのことを学びとることもできるはずである。ペリアンがよく語っていたという柳宗理の回想にはこんな一文もある。
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「あなた方は過去にあなた方の祖先たちがつくったもの、またあなたがたが作られているものをよく手にとってご覧になることがありましょう。そこにあなた方は形だけではなくて、それを使っている人々の精神や生活、あるいはその方法等の内容を学びとることができるでしょう。逆にもしヨーロッパでできたものをあなたがたがご覧になったとき、その内容をかえりみずに形だけをとったとしたらそれは根本的な誤りだと思います。日本はどうしてヨーロッパの国々からその国の純粋さと簡明さを誇る美しい伝統をまったく失ったものばかり取り入れるのでしょうか。」
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こんな言葉を残したフランス人デザイナー・シャルロット・ペリアンのデザインによるガラステーブルLC6が今、ぼくの仕事場に鎮座している。
さて、このLC6のセットとなっているのが、Cassina IXC.のLIMA Chair。デザイナーはティト アニョーリ(TITO AGNOLI)。この椅子もMoMA(ニューヨーク近代美術館)のパーマネントコレクションとなっている。スリムな脚部によって全体感はイタリアンモダンを連想させるスタイリッシュな印象だが、座ってみると座面と背部のソフトなフィット感がすこぶる心地よい。Cassinaが扱うダイニングチェアの中でも抜群の座り心地を誇るモデルのアームレスチェアが4脚、アームチェアが1脚の組み合わせとなっている。
TITO AGNOLIは1931年ペルーのリマ生まれ。(LIMAシリーズは出生地から命名されているようだ)イタリアに移住後、バウハウスの影響と機能美を感じさせる椅子や家具作品を発表し続け、現在もイタリアを代表するデザイナーとして活躍している。何と言ってもこの椅子の特徴は、そのシャープさとブラックレザーのなめらかでソフトな質感の対照的なバランス感だろう。LC6とセットに提案される椅子は数々あるが、このLIMA Chairを組み合わせたK氏の見立ては見事というほかはない。
Cassinaはイタリアの高級家具ブランドとして名高いが、建築家やインテリアデザイナーの間では決して値引きをしないブランドとしても知られている。なのにぼくは、これらの家具を幸運にも割安で購入することができたのだ。というのも、ボスコを設立した際に、お祝い代わりにCassinaに掛け合ってくれた人物がいたからである。その人は仕事を通じてお世話になっていたゼネラルコンサルタントの泉順一氏。泉氏は浜野商品研究所のブレーンとして活躍し、マイカルや、星野リゾートが引き継ぐ前のリゾナーレ小淵沢をマリオ・ベリーニ(Mario Bellini )とともにプロデュースするなど、当時大阪でPDC (Plaza Design Consulting)を主宰していた実業家でもあるクリエイターだ。若い頃には建築家の安藤忠雄氏などとともに世界の建築を見て歩いたという、実に人間臭い大陸的なスケールを感じさせる人物だった。僅かな期間だったが、ぼくは泉氏から多くのことを教えてもらった。今となっては細部まで思い出すことは叶わないが、共に働くことの意味をこのように教えられた記憶がある。それは冒頭に引用した『火山のふもと』で、主人公が老建築家から窘められるこんなシーンだ。
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「クライアントがいて、期日がある。建築家の仕事とはそういうものだ」
「一点の曇りもない、完璧な建築なんて存在しない。そんなものは、誰にもできはしないんだよ。いつまでもこねくりまわして相手を待たせておくほどのものが自分にあるのか。そう問いかけながら、設計すべきなんだ」
「クライアントの言いなりに、納期のために働けという意味ではもちろんない。もしクライアントから不満が出たり、変更を強いられたりしたとき、ぎりぎりでやっていたらどうなる? きみが間違えていた、ということだって起こりうるだろう?いざというときのためにも、つねに時間を見ておきなさい。そういう意味では建築は芸術じゃない。現実そのものだよ」
「設計事務所があるのは、限られた時間を人の数によって増やすためでもあるんだ。一人でやっていたら一日かかる仕事も、ふたりでやれば半日で終わる。図書館の設計なんて、私がひとりでやっていたら、五年かかっても終わらない。私がきみたちに委ねるのも、きみたちが私に委ねるのも、協働ということであって、それは徒弟とか親方とか、そういう上下関係とはべつのものだ。信頼だよ。そうでなければ、いっしょに働くことなんてできないだろう」(255pより抜粋)
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仕事場の夕日をたっぷりと吸い込んだガラスウォール脇に据えられたLC6。その前にぼんやりと腰掛けていると、遙か彼方からゆっくりと去来してくるものがある。テーブルと椅子にまつわる物語はぼくの中で宙づりとなったまま、いまだ完結していない。コルビュジエとペリアン、そしてK氏と泉氏。彼らはもうこの世にはいないのだ。夕日は、ぼくが未だ知り得ない謎を抱えきれないほど高く積み上げ、その未完の風景を今日も茜色に染め上げている。