Elbphilharmonie HamburgDas NDR Elbphilhamonie OrchesterHerzog & de Meuron (HdM)Yasuhisa Toyota

ハンブルグのコンサートホール

Elbphilharmonie Hamburg
2017.7.01

2017年1月11日、ドイツ・ハンブルグのエルベ川の運河沿いに完成したコンサートホールで、こけら落としの演奏会が開催された。オケはこのホールを本拠にする「NDR エルプフィルハーモニー(NDR Elbphilharmonie Orchestra、旧称:北ドイツ放送交響楽団)」。首席指揮者はトーマス・ヘンゲルブロック。やがて演奏が始まるのを固唾を呑んで待つ観客の耳に流れてきたのは、上階観客席の通路に立ったオーボエ奏者カレフ・ユリウスの奏でる「オウイデイウスによる6つの変容」から「パン(ブリテン)」のメロディ。ホール全体に響き渡る澄んだ音色はやがて糸を引くように遠ざかり、ふくよかなオーケストラの楽曲「瞬間の神秘」から「呼びかけ、エコー、プリズム(デュティユー)」へと引き継がれていく。続く3曲目は客席の中に立つ、世界中から絶賛されるカンターテナー歌手・フィリップ・ジャルスキーの歌声にバトンタッチされていく。傍らで伴奏するのはハープのマグレート・ケール。「ラ・ペツレルリーナ」からの楽曲は「高き天球から(カヴァリエーリ/アルキレイ)」。
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私は いと 高き天球から来た
いと 高き 天球から来た
美しい歌声のセイレーンに付き添われ
私の名はハルモニア
人である汝らの元に降りてきた
翼を羽ばたかせ 火災が天に昇る
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このようにコンサートは、客席から奏でる音楽とステージで奏でるオーケストラの音楽とが交互に、ときに静かに、ときに高らかに、あたかも会話するかのように進行していく。外では楽曲に合わせてカラフルなイメージパターンが、暗闇に浮かび上がるように建物の外壁に最新技術プロジェクションマッピング(Projection Mapping)によって投影されている。ハンブルグのランドマークとして計画され、2007年の着工から9年の歳月を経てやっと完成した「エルプフィルハーモニー・ハンブルク(Elbphilharmonie Hamburg)」はその夜、ホールは音楽の命が吹き込まれる瞬間を迎えていた。
今年5月1日に放映されたNHK BSプレミアムシアター ドキュメンタリー「エルプフィルハーモニー」。このホールが様々な苦難を乗り越えながらも完成までに漕ぎ着ける過程と、晴れやかなお披露目コンサートの模様が合計4時間にわたって紹介された。ボタンの掛け違いから発生する膨大な無駄な時間と経費。意見の対立や反目。世界最高水準のホールを誕生させる巨大プロジェクトに対して生み出される悪意と、それを凌駕する多くの善意と情熱。ドイツ文化の奥深さが伝わってくる4時間だった。
2007年にハンブルグ市は、運河沿いに建つ倉庫の歴史ある外壁は残し、内部を完全撤去して、そこに観客がオケと指揮者を囲むように座るコンサートホールの建築を計画した。建物設計を担当したのは、プリツカー賞をはじめ数々の賞を重ね、2000年のテート・モダン、2003年の東京・プラダ青山店、2008年の北京国家体育場(通称「鳥の巣」)などで世界から注目を浴びているスイス・バーゼルのヘルツォーク&ド・ムーロン( Herzog & de Meuron)。そもそもこの番組を見たのも、以前からこの建築家ユニットに興味を持っていたからだった。そして最高水準のホール作りを託されたのはウィーンから招かれた音楽ホール総監督・クリストフ・リーベン・ゾイッター。さらにホール水準の要となる音響を任されたのは、日本人の音響設計家で永田音響設計所属の豊田泰久
まず、この建物を強く印象づけるのは王冠を連想させる屋根のシルエットだ。そして下には湾曲した1,000枚以上の1枚50,000ユーロの窓からなる美しいガラス壁が連なるシルエットを支えている。ガラスは様々な耐久テストが繰り返され、5ヶ所の共同作業によって製作された。各層ごとにコーティングされて最終的には4層になる。建物内の温度上昇を抑える遮光層。500パターンの水玉模様を組み合わせるため、すべての窓が違う模様になり、一番外側の層にはクロームメッキを施して、建物が船のレーダーを反射するように配慮された。こうしてガラスは完成するまでにドイツ国内を7回移動を繰り返し、工程の最後にはイタリアのパドバにある特注かまどで焼かれ、波状に曲げられる。複雑なガラスの層を痛めずに曲げられるのはこの会社の技術しかなかった。こうして時間とお金をかけた世界に一つしかない、トータル5,000トン以上もある1,100枚の異なる窓でできたガラス壁が用意された。
しかし、良いものは高くつく。次第に膨らみ続ける建築費用。綿密に組み上げられた8,000トンの屋根を支える鉄骨だったが、その組み方は建設の不安材料となった。社内の検証結果と異なると、2011年に建設会社は屋根の構造が力学的に安全でないことを理由に工事を中止する。本当にそうなのか、それとも施工費をつり上げるためなのか、議論は激化した。設計者と建築会社は互いにその責任をなすり合い、やがて好意的だった市民の目も次第に厳しくなる。工事現場の周りでは抗議集会が開かれる日もあった。中止に伴う経費の増大で財政難に陥った市は、市立病院を複数売却するがそれでも足りず、ホールの予算や完成の日程はあいまいとなっていく。そこで市議会の調査委員会は20人の証人喚問を行った。その結果明らかになったトラブルの原因は、建築会社と設計者がそれぞれ別々に市と契約したことによる複雑な契約関係と早期の公示や市の管理が行き届かなかったことにあると判明。市は契約した建設会社を見限って独自に工事を進めるか、裁判を続けるか検討を重ね、いよいよ2012年12月、建物の将来を決める時がきた。建築会社は契約の抜本的な見直しと、2億ユーロの上乗せを条件に工事の再開を申し出ていたのだ。結局、市は和解の道を選んだが、その代償は高くついた。前市長時代の2009年の初見積りの建設コストは、現市長の2013年には10倍にまで膨らんでしまった。総額7億8,900万ユーロ。
ともあれ、工事はなんとか再開された。残るは大ホール。新旧の建物の間には公共広場“プラザ”が設けられ、公演中には汽笛が聞こえたり、併設ホテルや住宅に音が響いたりしないようにしなくてはならない。その解決策は「浮き床工法」。ホール全体を二重構造にして床下にスプリングを入れるとホールは浮いた形となり完全に遮音される。
ホールの要となる音響設計を担当した豊田チームの残響目標はわずか2秒だった。そこで、天井には“白い皮膚”と呼ばれる反響板が設置されることになる。建築家のヘルツォークは死者を連想させる“白い皮膚”という呼び名を嫌い、これは化石化した甲殻類だと主張する。主原料はバイエルン地方の石切場でとれる石膏を磨り潰し、古紙を混ぜて溶かして固めた板状の石膏板だ。表面を固くしすぎるとエコーが出てしまう。逆に吸収がよすぎると音がこもってしまう。適正な固さとなった石膏板は1枚づつドリルで建物の屋根と同じ波模様に彫り込まれて、1万枚の石膏板が巨大モザイクを作り出す。歴史的な音楽ホールの天井や壁には美しい彫刻や装飾が施されている事が多いが、それで音が分散されて響きが柔らかくなるからなのだ。こうして何ヶ月もかけて天井に取り付けられたパネルの総重量は1,800トンで大型旅客機3機分の重さになる。また、座席と観客はホールで音を最も吸収する要素となるため、客席の音響テストが参加者を集めてイタリアのリミニの研究所で実施された。座面の材質は音響的には硬い方が好ましいが、建築家は座り心地を重視する。豊田はクッションとカバーの間に空気が残っていると音響に影響すると主張し、全ての座席カバーは座面に直貼りされる事になった。2,000席の椅子が設置されて音響の仕事は終了する。ホールの遮音性は高く、音漏れは一切ない。豊田が調整できることはもう何もない。
最後の仕上げは、ガラスの雫でホールを取り囲むこと。通常の電気用の吹きガラスは底が厚くて上部が薄い。しかし照明効果を考えると上部は厚くしたい。上部が厚いガラス玉が成功するのは2つに1つだが、この建築家の要望に応えられる工房があった。通常とは異なるやり方で吹きガラスを作る、エルベ川上流のチェコの山地にある家族経営のガラス工房がホールを照らす光りの雫を丹念に作りあげた。こうして予定から6年遅れの2016年に、やっとホールは完成した。次は演奏家たちがホールに命を吹き込む番だ。
機能もデザインも最高でこそトップクラスのホールと言える。そこで設計には楽員の声が反映された。建築家は楽員から様々な意見や要望を吸い上げ、練習に集中できる楽器ごとの個室や、舞台裏には休憩や調整をする空間を用意した。リハーサルの緊張をほぐし、運河の景色や川や空で楽員の心を癒やす場も建物には組み込まれている。ホールの音響はオケの演奏にダイレクトに影響する。互いの音をよく聞くようになり、ホールの澄んだ響きを身をもって感じた楽員は初リハーサルで自分の出す音に感動して涙した者もいたという。音楽をよく理解できる響き。透明感のある崇高な雰囲気を宿す響きがそこにあった。
一市民の幻想に過ぎなかった町のランドマーク計画は苦難の末に建設され、あらゆる醜聞を退け、建物の心臓は鼓動を始めた。理想、夢、希望、忍耐、熟慮、寛容、喜びが惜しむこと無く注ぎ込まれた、芸術という名の樹木はドイツの大地に文化の根を張り巡らせていく。ステージからはオケとプレトリウス合唱団よる「5声と通奏低音のためのモテット」から「あなたはなんと美しいことか(ヤコプ・プレトリウス)」が流れ出し、澄んだ響きにホールは満たされていく。
*
あなたはなんと美しく麗しいことか
いとしい乙女よ
あなたは歓喜に包まれている
あなたの立姿はまるでシュロの木のよう
あなたの胸はたわわなぶどうの房のよう
行こう いとしい人よ 見に行こう
ぶどう畑に花が咲いているだろうか
もしザクロの花が満開だったら
あなたに心をささげよう
私の心をささげよう
(参考情報:2017年5月1日放映NHK BSプレミアムシアター ドキュメンタリー「エルプフィルハーモニー」ナレーション、スーパー。またオープンに先駆け、先行取材した旅レポブログでもプロジェクトを俯瞰することができる)


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