by soil_library
Koichi Kurita Web Site

2011.1.01

年頭の第一歩は、願わくば清々しい気持ちで踏み出したい。そこでまっさきに思い浮かんだのが、様々な地域で採取した砂を使った立体作品やインスタレーションで知られる美術家、栗田宏一さん。今やその作品は多くの共感をよび、中学校や高等学校の美術教科書に集録されているほどだ。しかし、ぼくは美術家と呼ばれる栗田さんはどうもしっくりこない。本人もどこかのインタビューで、白川静中谷宇吉郎、そして南方熊楠などから大きな影響を受けたと言っていたが、やはり彼は生粋のフィールドワーカーなんだと思う。
ぼくが栗田さんと出会ったは、まだ彼が表現を模索していた時代だった。(その頃はクリタ君と呼んでいた)10代は地元で宝石研磨を学んだもののそれに飽きたらず、20代前半には舞踏パフォーマンスによる表現活動を始める。1986年頃から10年ほどは集中的に世界中を旅していたようだ。帰国後も定職につこうとしないクリタ君は、遺跡発掘のアルバイトや懇意にしていたカメラマンの助手などをして糊口をしのぎながら、列島全域での土採集を開始していた。
そんなある日、ぼくがカメラマンに撮影依頼をした現場に助手としてクリタ君はやってきた。イノセント(無垢)な若者だなぁ、これが第一印象。今も変わることがないその透明感は天性のものだろう。また、ナイーブだけどどこか深部に太々しい逞しさも秘めていた。ぼくの仕事場周辺には遺跡スポットが点在しているので、近くに発掘現場があるときには、時折、知り合いにもらったという年季もののオンボロ車でふらっと遊びにやってくることもあった。職場では「もうベテランなんだから現場監督にならないか」と勧められることもあるようだけど、少しばかり賃金が上がっても土が触れなくなってしまったら何のためにこの仕事を選んだのか分からなくなってしまう。だから給料があがらなくてもいいんです、と彼は笑っていた。
クリタ君の生家は山梨の温泉町で知られている石和の一角にある。少年時代は縄文のそれとは知らずに土器のかけらを拾っては遊んでいたというから、案外表現のルーツはその辺りから湧き出しているのかも知れない。古層の記憶を色濃く残す生粋の甲州人なのだ。息子がアジアへの長旅に発つ前に、キャリア豊富な筋金入りのバックパッカーに教えを請おうと、その仕事場を訪ねたこともある。クリタ君は長い間、アルバイトでお金を貯めては憑かれたように世界中旅して、結婚後は奥さんとの二人旅で、時にはアフリカまで足をのばすこともあったという。デンジャラスでアンビリーバブルな経験をたっぷり積んできたベテラントラベラーは、息子にその時いろいろ実践的なアドバイスをしてくれたのだった。
さて、20世紀も終盤にさしかかる頃から、クリタ君はギャラリーでの個展や京都法然院「土の散華」展などを皮切りに精力的に発表活動を開始してゆく。特に2000年以降は目覚ましい活躍ぶりをみせる。美術館でのグループ展も増え、東京都現代美術館をはじめ、いくつもの美術館に作品がコレクションされるようになってきた。また、2006年には招聘されたフランスのミュージアムとサン・ジャン洗礼堂で、2009年にもフランスはノワールラック修道院で個展を連続開催している。書籍は、2001年のINAX出版から「秘土巡礼」を刊行。雑誌「銀花」にも度々取り上げられ、2004年にはフレーベル館から「土のコレクション」、2006年には福音館書店からは「たくさんのふしぎ/土の色って、どんな色?」も出版されている。さらに、映像記録としては、1995年の塩崎登史子監督作品「土の記憶」や、1997年に放映された「いのちの響 生命交響楽」、そしてテレビ番組を中心に、CM、プロモーション映像等を手がける映像制作会社オブザアイによる「Portraits(2001)」や「hito(2006)」なども残されている。
本人のオフィシャルサイト「SOIL LIBRARY」の中には、フィールドワークの記録や仕事場のスナップ、そして彼の記憶の断片が膨大な写真を中心にストックされている。しばらくサイトを散策してみると、彼が注目される必然が見えてくる。
まず、ぼくらは各地で採集された土がこんなにも多様な色あいをもつことに驚かされる。そして、天日干ししてパウダー状になった土を使い、祈りの行為にも似たインスタレーションに昇華させようとしていることが見えてくる。そうした行為は一瞬、チベット僧が砂で描く曼荼羅を想起させるが、やがてこれが類例のない栗田宏一の表現なのだと納得する。しかし、実は必然はそこにあるのではなく、無為自然に寄り添うような彼の生き方そのものへの共感から生み出されてくるのではないだろうか。夥しい多様な世界を裸眼で目撃しながら、同数の多様な土採集を続けてきたクリタ君の日常のまなざしも、それらの写真には感光している。自分も本当はこんな人生を送ってみたかった。彼の記憶の一コマ一コマに、そんな気持ちを重ねたくなるのかもしれない。だからある意味では、栗田宏一は写真家でもあるのだと思う。ぼくは冒険家の石川直樹さんの写真集を見ていて、ふとそんなことを考えてみた。
さて、こうして国内外での土採集と発表活動を平行しておこなう多忙な日々を過ごしていたクリタ君とはその後会う機会もなく、動静はときおり送られてくるメール「ソイルライブラリー通信」で伺い知るのみだった。実は陰ながら彼の活躍ぶりを喜んでいたぼくには一抹の不安もあった。これまで知り合いの表現者の中には、名が売れるととたんに権威的になってしまったり、傲慢さが昔の面影を無残に覆い隠してしまうケースが少なからずあったので、クリタ君、お前もか!なんてことがないよう、内心願っていたのだった。
そんな矢先、思いがけずに彼と再会を果たすことになる。昨年末のある休日のことだった。地元の無印良品ショップに出かけたら偶然、栗田夫妻が買い物にきていたのだ。フランスから戻ったばかりの、めったに外出しない二人が久しぶりに出かけてきたというのだから、これも縁というものなのだろう。お店のスタッフがもの言いたげに何度も脇を行き来するほど長時間の立ち話だったが、昔のままのイノセントなクリタ君がそこに立っていた。不安は杞憂に過ぎなかったのだ。「実はねぇ…」と伝えると、「絶対それはありえませんよ」と彼は、ぼくがそんな人間だと思っていたんですかとでもいいたげな顔をした。
今いろんな意味でターニングポイントにさしかかっているという。露出することへの戸惑いも生じているようだ。インタビューを受けても、思いとズレた記事になってしまうことは度々のこと。作品をこんな形では見てほしくないといったYouTubeへの投稿も少なくない。だから最近は極力、オファーがあっても引き受けないよう心がけているらしい。でもそれはある種の有名税のようなもので、いったん露出してしまったものはなかなかコントロールできないし、あまりくよくよしても仕方がない。それを自覚していれば自ずから露出の仕方だって変わってくるはずだ。もう、がむしゃらに出て行くばかりの時代は終わったということなのだろう。彼がそれより心配していたのは、これまで採集してきた相当量の土の扱いについてだった。たった今、自分が死んでしまったら、仕事場には膨大な土のゴミが残るだけ。だからこれからの10年は採集土をどう残すのかを真剣に考えていきたいと語っていた。
クリタ君は「さかなクン」ならぬ「アース君」なのかと思っていたら、実は土が好きで好きで仕方ないというわけでもなく、自分が言いたいことを最も伝えやすいのが、たまたま土だったということなんですけど…、とやや反論ぎみに答えてくれた。でもぼくはやっぱりクリタ君には美術家なんて肩書きは似合わないと思うし、ただただシンプルに「土を集める人」が一番しっくりくるのだ。だって世界中探したって、こんなにひたすら土ばかり集めて続けている人間は見たことないし、それで十分じゃない、と言うと少年のような目をして「土を集める人」は嬉しそうに笑っていた。