Magnetic Sound Recording Tape

2008.3.03

先日、部屋の片づけをしていたら随分古い音楽テープを発見した。今ではもう見かけることもなくなったオープンリール・タイプの録音テープだ。デッキはとうの昔にお払い箱となっているから、再生することも叶わない数巻のテープなのだが、目の前に積み上げると記憶が少しづつ蘇ってくる。誰だって少しくらいは封印したい過去の記憶を引きずっている。音楽を聴くだけでは飽き足らず、奏でることに夢中になったあの頃の思い出は、どちらかと言えば恥ずかしさを伴う、封印しておきたい記憶のひとつだった。
二十歳を少し越えたある頃、ぼくは趣味の音楽仲間と一度だけ地元で小さなコンサートを開いたことがある。二部構成で、一部はすべて自作曲で埋め尽くすというのがぼくらのささやかな野心だった。メンバーにはすでに会社員となっていた人もいたのだが、暇を見つけては練習を重ねコンサートに備えていた。譜面も満足に読めないくせに、作曲とリードギター&ヴォーカルを担当していたぼくは、結構その気になっていて、まったく若気の至りとはいえ無謀なことをしたものだ。折悪しくたまたま帰郷していた(まだ当時大学生だった)友人の中沢新一さんが会場に駆けつけてくれ、しっかりと恥ずかしい一部始終を目撃されてしまったのだ。それからというもの、ことあるごとにぼくは、その目撃談で冷やかされ続けている。IAAの開所式で元YMOの細野晴臣さんに「小林君は昔、細野さんの曲をコンサートで唄ってたんだよ」なんて紹介をされて赤面したこともあった。たしか二部で故・高田渡の「坑夫の唄」や「銭がなけりゃ」なんかを演奏した記憶はあるけど、細野さん(当時はエイプリールフール解散後、はっぴいえんどのメンバーとして活動していたんだと思う)の曲は決して演奏してないはずなので、これは中沢さんの記憶違い。この最初で最後のコンサートの模様も、積み上げられたテープの中にはしっかりと残されている。
これ以来、もともと内向的なぼくはコンサートなんて柄じゃなかったことを痛感し、それからは一人で音楽をつくることに夢中になり、自宅をスタジオ替わりにして何とも素朴な手法で録音を楽しむようになった。今では本格的なレコーディングやミキシングが一人で簡単に出来てしまう「GarageBand」なんて便利なソフトがあるけど、当時はワンマン・バンドとして各楽器を重ね録りしていくしか方法がなかった。まずリズムボックスとベースを同時録音し、リズムギターとリードギター、ヴォーカルの順で重ねていくのだ。アイルランドのエンヤ(enya)だって、基本的にはこの方法で音楽をつくっているという。エンヤのプロデューサー兼サウンド・エンジニアのニッキー・ライアン(Nicky Ryan)と、作詞家として曲づくりにも参加している妻のローマ・ライアン(Roma Ryan)の3人はスタジオにこもりきり、何ヶ月もかけてオーバーダビングしながらエンヤのすべてのアルバムをつくりあげてきたとライナーノーツにも書いてあった。ただぼくの場合、デッキの回転スピードに問題があったのか、録音を繰り返していくと音程が少しづつ高くなってしまうのが悩みの種だった。だからどうしても完成した曲はアップテンポになってしまう。ニールヤング(Neil Young)の初期のアルバム「After The Gold Rush」に収録されている「Birds」(当時この内省的な曲がお気に入りだった)をカバーした時には、分厚いコーラスにしようと10回くらいヴォーカルを重ねたものだから、完成した時にはまるでウィーン少年合唱団のコーラスみたいな曲になってしまった。
そんなこんなの、懐かし恥ずかしの記憶は今もテープにしっかりと記録されているはずだが、再生する勇気はない。「なら、捨ててしまえばすっきりするぞ」と言われてもそう簡単に割り切れるものでもない。若い頃感動した映画や小説や音楽も、数十年後に見直したらすっかり色褪せていたなんてことはよくあることだし、記憶の中でフリーズさせておくのもひとつの知恵というものなのかもしれない。凍結の知恵。人間、年を重ねてくると次第に狡くなってくるものだ。