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アップルデザインのモダニズム

iPhone & Helvetica
2013.11.01

この夏、突然iPhone4Sの通話が不安定になってしまったので仕方なくiPhone5に機種変更をした。使い勝手は4Sとほとんど変わらないのでスムーズに移行できたのだが、ある日、本体を振るとカタカタと音がすることに気づいた。5mmくらいの範囲で部品が固定されずに動いている感じで、販売店のスタッフにもこれはかなりひどいと言われてしまった。特に機能に問題は出ていないけど、気になったので検索してみると、同じような現象報告がかなりの数ヒットしてビックリ。
考えられる原因は2種あって、まず初期出荷モデルに多い「バッテリーの接触不良」。そして二つ目は「カメラの仕様」によるカチャカチャ音。ぼくの場合は発売から約1年後だから、どうやら「カメラの仕様」による現象が濃厚だ。どういうことかというと、iPhone 4Sまでは完全に固定されるカメラだったのに対し、iPhone 5は動きに余裕を持たせているため、いってみれば首振り人形のような作りになっているからこのような現象がおきることがあるのだそうだ。実際、ぼくもApple iPhone テクニカルサポートに電話してみたら同じような説明だった。もし気になるようなら送ってもらえば調べ、問題が見つかれば修理しますという返事。しかし本来、修理とは故障(またはその懸念)があるから行う作業なので回答との矛盾も感じてしまう。
だいいちサイトの商品紹介ビデオでは、デザイン担当者 のジョナサン・アイブ (Jony Ive )をはじめ、開発に携わったスタッフが次々と現れては、iPhone5がいかに精緻な製品であるか熱く語っていたではないか。(そんな製品が振ったら音がするか?)ぼくもそうしたAppleの姿勢に共感してきたのに、今回みたいに音の出ない製品もあれば出る製品もあって、それは仕様なのでなんら問題はないという見解には、精緻な製品コンセプトを標榜してきたAppleの姿勢としては疑問を感じざるを得ない。やっぱりAppleにも商品の当たり外れがあって、今回は貧乏くじをひいてしまったという気持ちにどうしてもなってしまうのである。そこで先日たまたまApple Store銀座の近くまで行ったので、4階のGenius Barでみてもらったら、これはかなりひどい(これで2回目)と言うことで修理の手続きをとるよう強く勧められる。翌日、再びテクニカルサポートに電話して訳を話したら、3〜4日で新品交換機を送るのでそちらのiPhoneを返送してくれという。「在宅自己交換修理サービス」なんてまことしやかな名前がついてるけど、結局新品と無償交換するってことじゃないの、早く言ってよ。ということで、今は振っても音のしないiPhoneを使っている。
ところで(上の写真)iPhone5s、iPhone5、iPhone4Sと3世代のiPhoneを並べてみると、どこが違うのかわからないくらいよく似ている。しかし重さや薄さ、スペックなどは微妙に異なっているし、何といっても手にした時の手触りや質感はそれぞれ異なる。薄くて軽けりゃいいってもんじゃなくて、やっぱりプロダクトとしての全体感が重要なのである。ぼくは、ジョブスの遺作となったiPhone4Sが一番気に入っていて、通話には使えなくなってしまったけど、まだまだ現役で役立ってくれている。彼には長時間の録音に耐えられるよう一体型のバッテリー(Mophie juice pack air)をセットして、打ち合わせのボイスメモ用に活用している。iPhoneにはぼくが必要としている機能がほぼすべて備わっているので、本当なら1台ですべて兼用することも可能なのだが、リスクの分散と、やはりバッテリーの問題が大きい。そこで用途別に数台を使い分けることにした。
通話やメール、モバイルデータ通信用にはiPhone5、そして写真撮影用にはiPod touch (64GB) 。実はiPhoneやiPodの写真はかなりレベルが高くなっているので、とうとう最近は、かさばるデジカメの代わりにコンパクトでスリムなiPodを持ち歩くことにしているのだ。画素は思いのほか高くて、葉書サイズくらいなら印刷にだって使用できるほどだ。時には2、300枚も撮ることがあるから大きな容量の方が安心。ただデジカメと違い、ボタンから指を離した時にシャッターが切れる仕組みなので、これには慣れが必要。(音楽ももっぱらこのiPod touchで聴いている)
ということで、最近は仕事の打ち合わせでデスクに並ぶのはこの林檎3兄弟である。もちろんデザインをする時にはiMacやBook Air、ベッドの中ではiPadを主に電子書籍を読んだり、You Tubeを観たりするのに使っていて、ふと気づけば、ぼくの生活はすっかりMacの連中に囲まれているではないか。(Appleの思う壺だ)
思えば1988年にMacintosh Plusを購入してから20数年、いろいろなApple製品や周辺機器を(大袈裟でなくポルシェが1台以上買えるほど)購入し続けてきた。もちろんこれらの多くは趣味でなく仕事道具としてなので、いわば設備投資の対象としてApple製品とつきあってきたことになる。そしてそれらの多くは、ある日突然壊れてしまうのだ。ハードウエアとソフトウエアが一体となって機能するため、何が原因でどこが故障しているのか判然としないケースも少なくない。これはAppleに限らず、PC機器の宿命であろう。
ところで、ハードウエアは単なるモノで目に見えるもの全般。人間でいうと体に相当する。かたやソフトウエアは目には見えないもので人間に例えると、神経・知識・能力・・・といったところらしい。その代表格がOS(Operating System)。つまりコンピュータシステム全体を管理するソフトウェアだ。当然プロダクトとOSが両輪で開発されなくては、魅力的な商品としては完成しないことになる。その意味で、ぼくはこの秋に発売されたiPhone5sやiPhone5cより、新しいOSとして発表されたiOS 7 の方が興味深かった。これまで繰り返されてきたOSのバージョンアップでは、かえって使いにくくなってしまったり失望させられたことが少なくなかったが、今回のiOS 7 はとてもよくできていると思う。一度バージョンアップすると基本的にはバージョンダウンできないので、試しにiPod touchをバージョンアップしてみたが、特にトラブルもなく移行することができた。操作性はとても快適になり、細部まで練り込まれた好感がもてる仕上がりとなっている。たしかに「ちょっとだけ先のイマ」がここにはデザインされていると思う。なんだかOSを入れ替えただけで、新しいプロダクトに見えてくるから不思議だ。意識が変わったらまるで別人みたいに見えてしまったというところだろうか。
ジョナサン・アイブは、iOS 7 で目指した「深く揺るぎない美しさは、シンプルさ、明確さ、効率の良さの中に存在する。真のシンプルさは単に不要なものや装飾を省くだけで生まれるものでなく、それは複雑さに秩序をもたらす作業なのだ」と語っている。その目標はiOS 7を使ってみたかぎりでは、かなり体現されていると思う。デザインの主張を抑えてコンテンツを引き立てる、という彼の目論みは成功しているといえるのではないだろうか。
そこで、一貫性をもたせるために活用されたのが、新開発されたグリッドシステムだったというのも興味深い。グリッドシステム(Grid systems)は、スイスのグラフィックデザイナー、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン(Josef Muller-Blockmann、1914~1996年)が発表したデザイン理論だ。ブロックマンはヨーロッパ構造主義におけるスイス派の代表的存在で、彼の提唱した理論はその後多くのデザインジャンルの基本とされてきたが、iOS 7の中にもモダニズムの精神が国境を越えて伝承されていることが実感できる。
カラーパレットや一新された種々のアイコンデザインとともに、iOS 7 ではフォントも変更された。これまで使われていた「Helvetica Neue Light」(ヘルベチカライト)から「Helvetica Neue UltraLight」(ヘルベチカウルトラライト)に変更されたのだ。(Macintosh には代々Helvetica がOS に付属していて、Mac OS Xでは、Helvetica Neue も付属している)ウルトラライトはその名の通りかなり細い書体で、こんなにシャープなフォントは他に見当たらなかったから、ぼくも一時期さかんに使っていたことがあるとても美しい書体だ。おそらくAppleがウルトラライト採用に踏み切った背景には、高い解像度をもつディスプレイの存在があったからなんだと思う。再現性に自信がなければ、とてもこんな書体は選べない。
それにしても1957年に誕生して以来、Helveticaほど長い間世界中で愛されつづけてきた書体はないだろう。開発には二人の人物が深くかかわったといわれている。まだ金型活版印刷が主流だった1940年代末、スイスの活字鋳造所ハース社のディレクターであるエドアード・ホフマン(Eduard Hoffmann)はスイス人タイポグラフィ・デザイナー、マックス・ミーディンガー(Max Miedinger)に新しいサン・セリフ体を制作依頼する。当初は「ドイツのアクチデンツ・グロテスク(Akzidenz-Groteskz)という書体が欲しいので、似たような文字の活版を作って欲しい。」といった、つまりはコピーしてほしいという要望だったが、二人は次第に「せっかくなら完璧なものを作りたい」という思いを抱きはじめ、実に完成まで約9年間もの歳月を費やして造形的に洗練させていった。開発の途中では何度も確認・修正を繰り返し、相互にどのようなやりとりがあり、デザインに反映されていったかが克明に記録されたホフマンのメモも残されているという。実はHelveticaは、この二人によるまったくのオリジナルというより、基本的なタイプフェイスはグロテスク体としてほぼ完成されていたものを、さらに調整を重ねて、新しい時代に対応する書体として洗練させていったというのがことの真相らしい。
ともあれこうして完成したのが、Helveticaの原型となるノイエ・ハース・グロテスク(Neue Haas Grotesk)。その後、版権販売を見据えてつけられた書体名が、ラテン語でスイスをあらわすHelvetia(ヘルベチア)という名前だった。しかし、書体名が国名ではまずいということで、正式名称は形容詞形である「スイスの」を意味するHelvetica(ヘルウェティカ/ヘルヴェティカ)に由来する。それからまたたくまに世界中に浸透するのだが、活版印刷時代では問題無かったHelveticaも電算写植時代になるとさらにさまざまなウェイト(太さ)がデザインされ「別名のHelvetica」が氾濫する事態となる。そこで1983年にステンペル社(現在は合併されライノタイプ・ライブラリ社に商標は移行)が改訂版Neue Helvetica(ノイエ・ヘルベチカ)を発表し、これが現時点での完成形となっている。
Helveticaは非常にニュートラルでクセがなく洗練されているが、それゆえに反面、無機質な印象を与える書体である。他の多くの書体のように、タイポグラファーの個性を反映していないことが大きな特徴となっている。人間臭さが抑制された書体。その個性が削ぎ落とされていった秘密は、ミーディンガーとホフマンがキャッチボールを重ねるように制作したそのプロセスに隠されているようだ。こうしてHelveticaはデザイナーの使い方によってその表情をさまざまに変え、何も持っていないからこそ、全てを兼ね備えていることを可能にしてくれる書体として誕生した。
「あらゆる面で控えめで操作を引き立てるインターフェイス」
「個別の要素と要素が互いに調和するよう構造には一貫性をもたせる」
「主張を抑えてコンテンツを引き立てるデザイン」
というジョナサン・アイブの主張を聞いていると、なぜか半世紀以上の時を隔ててHelveticaの精神がそこにオーバーラップしてくるのである。じつはミーディンガーとホフマン、大西洋を渡ってスイスからカリフォルニア州クパティーノまで密かにワープしていたらしい。


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