Music from Big Pink : The Band (1968)
Sailin’ Shoes : Little Feat (1972)
Small Change : Tom Waits (1976)
Gentlemen take Polaroids : Japan (1980)
人生で大切な曲10選・後編
今回も引き続き、人生で大切な曲10選の続編です。イギリスから始まったぼくのロック遍歴。やがて興味はアメリカ大陸に移動して、いぶし銀の魅力を秘めたミュージシャン探しに夢中になっていった69年のことだった。若かりし日のピーター・フォンダ(Peter Fonda)、デニス・ホッパー(Dennis Lee Hopper)、そしてジャック・ニコルソン(Jack” Nicholson)らが出演した映画『イージー・ライダー』(原題:Easy Rider)が日本でも公開された。主演者たちが全員が射殺されてしまうという、やるせないエンディングで殺伐とした当時アメリカの現実を描いたこの映画に流れていたのが、ザ・バンド(The Band)の『The Weight(重荷)』だった。
ナザレの町に着いた頃には、俺は半分死にかけていた
横になれる場所がどうにも必要だった
「教えてください。どこに行けば寝るところがあるのでしょう?」
男はにやっと笑って俺の手を握った しかし
「そんなものはないよ」としか言わなかった
(*)荷を下ろすんだ、ファニー 下ろすのはただだから
荷を下ろしたら、ファニー そのまま俺にかつがせればいい
「重荷」イントロ:(J.R.ロバートソン作)
ボブ・ディラン(Bob Dylan)のバックバンドとして活動していたザ・バンドは、ディランに誘われてニューヨーク郊外のウッドストックに移住する。そこで日々セッションを重ねていた彼らの家がピンクの外壁だったことから、そのスタジオは「ビッグ・ピンク」と呼ばれ、彼らのデビューアルバムはそのまま『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク(Music from the Big Pink)』と名付けられた。
『イージー・ライダー』の挿入歌『The Weight』は、このアルバムを代表するヒット曲となったが、もっとぼくが心を惹かれたのは、アルバムのラストソング『I Shall Be Released』だった。これは元々、ディランの作詞作曲した楽曲でその後多くのカバーを生んだが、今は亡きリチャード・マニュエル(Richard Manuel)のファルセットボイスが印象的なこのザ・バンド・バージョンがもっとも名高い。日本では友部正人、岡林信康、忌野清志郎らも取り上げていた。ぼくもギター片手に、「いつの日か」じゃなくて「いつだって」というフレーズに惹かれながら、この歌を何度となく口ずさんだものだった。
”I Shall Be Released” Bob Dylan
人は言う すべてのものは置き換えられる
でも すべての距離はあいまいなもの
だから僕は覚えている
僕をここに置いたすべての人の顔を
光が輝いているのが見える
西から東へ
いつだって そう いつだって
僕は自由になれるんだ
誰もが 保護が必要だという
誰もが落ちぶれてしまうから
だけど 確かに僕の影が見える
この壁よりもっと高いどこかに
この孤独な群集の中で
自分は悪くないと断言するヤツが立っている
一日中 大声で叫ぶヤツの声が聞こえる
自分はハメられたと泣き叫ぶ声が
光が輝いているのが見える
西から東へ
いつだって そう いつだって
僕は自由になれるんだ
70年代のウエストコースト・ロックバンドで、商業的にもっとも成功したのがイーグルス(Eagles)とドゥービー・ブラザーズ(The Doobie Brothers)。そこにスティーリー・ダン(Steely Dan)のくせ者サウンドが加わる。しかし実をいうと、彼らの陰となってほとんど売れなかったリトル・フィート(Little Feat)こそ、ぼくのベストバンドだった。今も活動している長寿バンドだが、初期の中心人物だったローウェル・ジョージ(Lowell Thomas George)の亡くなるまでが、ぼくにとってのリトル・フィートだった。オーバーオール・スタイルの太っちょジョージが弾く豪快なスライドギターが大好きだった。(彼の奏法を丁寧に再現しているYouTubeも面白い)こんな骨太サウンドがリトル・フィートの真骨頂だが、初期の名曲「Willin」は彼らとしては珍しくとてもナイーブな印象を与えるアコースティックな楽曲で、向かい風にキックするような、切ないのにしたたかなこの青春歌をぼくは繰り返し聴いていた。
南部からメキシコにまたがって密輸トレイラーを走らせる、酔いどれトラックドライバーを唄ったロード・ソングだけど、この『Sailin’ Shoes』というアルバムのもう一つの魅力はジャケットのカバーイラスト。リトル・フィートのほぼすべてのアルバムを手がけたのは、アメリカのイラストレーター、ネオン・パーク(Neon Park・1940~93)。クレージーでシュールな彼の描く世界にローウェル・ジョージが惚れ込んでいたのだという。パークは筋萎縮性側索硬化症(ALS)に襲われて93年に生涯を閉じたが、ぼくにとってのリトル・フィートはこのイラストレーションとサウンドが表裏一体をなすものだった。
さて、3曲目はカリフォルニアの街中を走るタクシーのシートで生まれたという逸話の残るトム・ウェイツ(Tom Waits )の作品からのチョイス。父はスコットランドとアイルランドの混血、母はノルウェイ人の高校教師。10歳の頃、両親は離婚し、母と暮らすことになったものの高校を中退。昼働きながら夜は歌手として活動する、という往々にしてミュージシャンにありがちなスタートをきったトム・ウェイツ。当時の彼に最も影響を与えたのはビートニク作家のジャック・ケルアック(Jack Kerouac)だったといわれている。だから彼の音楽の底流には、いつも「ビートニク」のスピリッツが流れている。ジャズやブルースをベースに、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)を彷彿とさせるそのしゃがれ声で路上の孤独を歌い上げる。初期はそれほどでもなかったしゃがれ声は、キャリアを重ねるごとに凄味を増していく。ぼくは追っかけよろしく、2002年のアルバム『ブラッド・マネー』&『アリス』までずっとトム・ウェイツを聴き続けていたから、そこから思い出に残る1曲を選ぶなんて、かなり悩ましい作業だ。
73年のデビューアルバム「クロージング・タイム (Closing Time)」の「Rosie」は忘れられない1曲だ。なぜ思い出の曲なのかというと、ぼくはこれを聴きながら自分の人生にとってとても大切な決意をしたからだ。(内容はヒミツ)
でも、3曲目はその曲ではない。それは77年にAsylum Recordsから発表されたアルバム「スモール・チェンジ(Small Change)」の巻頭曲「トム・トルバーツ・ブルース(Tom Traubert’s Blues)」。オーストラリアを代表する有名な民謡ワルチング・マチルダを一部使用した楽曲だ。このメロディは、「なんじクレイギリーの美しき森よ」(“Thou Bonnie Wood Of Craigielea”) というスコットランド民謡に基づく。ワルチングとは「当てもなくさまよい歩く」という意味で、ぼくは朗々と歌い上げられるこの曲を聴くたびに、(見たことはないのに)凍てついた大河を思い浮かべてしまう。そうしたら先日の深夜、BSフジで再放送されていた唐沢寿明主演のドラマ『不毛地帯』のエンディングテーマに、この曲が流れていたので驚いてしまった。さらに驚いたのは、この曲に重なるように、人生の不毛な袋小路に突き進む主人公が吹雪の中に佇むシーンが、ぼくの大河の連想と見事にシンクロしていたことだった。音楽の描き出す光景は、時に不思議な親和性を発生させるものだ。ライブバージョンの「トム・トルバーツ・ブルース」も、なかなか味わい深い。
…
ずた袋持ってどこへ放浪(ワルチング・マチルダ)に行こうと
ワルチング・マチルダさ
俺と一緒にずた袋持って放浪に出かけようぜ
そしてそれはどこかのホテル行きの使い古したスーツケースさ
そして決して癒えない傷さ
プリマドンナはいない
香水がついている
血とウィスキーのしみがついた古シャツに
街の清掃人におやすみの挨拶だ
夜警にも 炎の番人にも
そしてマチルダにもおやすみの挨拶だ
(トム・トラウバートのブルース:歌詞末部)
やがて80年代に入ると、さまざまな分野でジャンルの溶解ともいえる現象がみられるようになってきた。日本でもテクノポップの登場にともない、YMOがヨーロッパで注目を浴びたりして、洋楽、邦楽なんて括りはすでに過去のものになっていた。そしてYMOの坂本龍一と親交のあったデヴィッド・シルビアン(David Sylvian)繋がりで、ぼくはイギリスの『ジャパン(Japan)』を知ることになる。
久しぶりに聴いたイギリス音楽はすっかり世代交代していて、いろんな意味でかなり深化を遂げていた。一見ヴィジュアル系のポップグループだと思っていたジャパンも、二十歳そこそこの若者に似合わず緻密なアプローチで、なかなかヘヴィでファンキーなエレクトロニクス・ポップを展開していたのだ。今やYMO以上に海外で熱狂的に支持されている日本のロックバンド、『ラルク アン シエル(L’Arc〜en〜Ciel)』のマディソン・スクエア・ガーデン(Madison Square Garden)ライブを先日TVで観ていたら、hydeのヴォーカルがシルビアンの歌声を久しぶりに思い出させてくれた。案外、ジャパンのサウンドは後に続く多くのミュージシャンたちに影響を与えていたのかもしれない。一番好きなアルバムは80年に発表された『Gentlemen take Polaroids(孤独な影)』。なかでもこの『ナイトポーター(Nightporter)』は、長尺物で決してライブ向きとは言えないが、映画の中に吸い込まれていくような気持ちにしてくれるので、就寝前のベッドの中で何度も聴いていた思い出の1曲だ。
僕たちは また さまようのだろう
ずぶ濡れの服のままで
雨を避けて
知っているあらゆる隠れ場を切望しながら
また一人ぼっちになってしまった
生きることに敗北を認めてしまったような静かな街に
僕は訝しく思いながら たたずむ
ナイト・ポーターが行くよ
ナイト・ポーターが滑るようにひっそりと歩いて行く
(night porter =ホテルなどの夜勤玄関番)
これら9曲はぼくにとって忘れられない曲に違いはないのだが、記憶の底には、まだ思い出していないおびただしい音楽が埋もれている。ある時期をともに過ごした、愛おしい楽曲たち。かれらは忘却の沼の底でじっとうずくまり、甦りの瞬間を待っている。だからぼくは10曲目となる最後の曲を当分選ばないでいようと思う。それはきっと残された人生のささやかな楽しみとなるはずだから。