・「自画像」1967年・小林春生作
油彩、カンヴァス
・「麦藁帽子をかぶった子供」1896-1902年頃
油彩、カンヴァス(メナード美術館)
・「トロネの道とサント=ヴィクトワール山」1896-98年頃
油彩、カンヴァス(エルミタージュ美術館)
・「座る農夫」1897年頃
油彩、カンヴァス(公益財団法人ひろしま美術館)
・「りんご、グラス、瓶」1895-98年頃
黒鉛・水彩、ヴェラム紙(オルセー美術館)
気難しくなかったポール・セザンヌ
怒りっぽくて、疑い深く、近寄りがたい存在と目される人物が、実は寛容な一面もみせ、次世代のものたちに助言を与えることを惜しまなかった、なんていう記述をみつけると、人間ってつくづく複雑な生き物なんだと思う。人はみんな、いろんな矛盾を抱えながら生きている。ときには自分にこんな一面が隠されていたのかと、自身に驚かされたりもする。またあるときは、自分の中に深々と広がる未見の領域を垣間見る瞬間だってある。ある早春の午後、六本木の裏通りを歩くぼくは、ぼんやりとそんなことを考えていた。
国立新美術館で開館5周年を記念した企画展「セザンヌ—パリとプロバンス」が、6月11日まで開催されている。オルセー美術館をはじめ、世界8カ国、40館余りからおよそ90点が一堂に会した大回顧展で、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)が20回以上も往復したパリとプロバンス、このフランスの南北を対比しながら、画家による探求の旅を捉え直そうという企画展。ぼくが美術館を訪れたのは開催間もない2日目のこと。にもかかわらず、フェルメール展のように入場制限されるほどの混雑もなく、ゆっくりと鑑賞できたのは、この画家が漂わせる気むずかしさやかたくなさと決して無縁ではないだろう。
セザンヌはポスト印象派の画家として紹介されることが多い。対象物を円筒や球体、そして円錐などの構造体として捉えようとしたことから、ギュビズムの誕生に大きな影響を与えたとも言われている。
ぼくが初めてセザンヌの絵と出会ったのは、中学校の美術の教科書だった。定かではないけど、ブリヂストン美術館のコレクション《帽子をかぶった自画像》ではなかったかと思う。彼が嫌っていたと伝えられる、ゴッホやゴーギャンのように燃え上がる色彩はそこになく、まるで頑固な老人と向き合ってしまったような印象を与える、渋く乾いた質感と硬質なタッチの作品だった。キャンバスから陰鬱な表情のセザンヌがこちらを振り向いている。そこには鑑賞者を感動させたり、和ませたりしようなどという意図や野心はまったく感じられない。まるで法律家のような厳格さをもって、ひたすら対象物を見つめ、考え、捉え直そうとする堅牢な意思だけが定着されている、そんな絵だった。難しいことは分からないけど、きっとこの人は何かとても大きなものに立ち向かおうとしているとそのときぼくは思った。こうしてセザンヌは憧れの画家の一人となったのだが、それは今も残っている当時の絵(写真の一番上)を見るとよくわかる。この高校生となった1967年の秋に描かれた絵は、まるで「セザンヌに憧れる少年の自画像」と名付けたくなるような未熟な1枚だ。
さて、セザンヌが生きた19世紀から20世紀初頭のヨーロッパとは、一体どんな時代だったんだろう。当時の文化的潮流は近代性(モデルニテ)に向かってダイナミックに動き出し、それまで分厚く積み上げられてきたヨーロッパ文化の地層を突き破るように、美術、文学、音楽などのカルチャーには新たな芽吹きが求められていた。
当然、セザンヌもこの大きなうねりに突き動かされるように自身の模索の旅を開始することになる。初期の写実主義やロマン主義に傾倒した、修行と吸収のパリ時代を経て、次第にセザンヌはかつては同志であった多くの画家たちの制作姿勢に疑問を抱きはじめる。もはや彼らように自然の模倣や再現に終始することでは飽きたらなくなったセザンヌは、一人パリから離れる決意をする。そして故郷プロバンスへと戻った彼は、孤独な探求に没頭する隠遁の日々を開始したのだった。しかし、ボヘミアンな生活を淡々と続けていたわけでもないようだ。評伝によれば、その後何度もパリに出向き、実はプロバンスとパリで同じだけの時間を過ごしていたという。
パリで過ごすセザンヌは匿名の存在となり、静かに近代性と向き合う。それは彼にとってはきわめて重要なことだったようだ。事実、こんな言葉も残している。「ルーブルは参照すべき優れた1冊の本である」。
こうしてパリで吸収した新たな発見に自分なりの形を与えるため、再び南仏に戻っては課題に取り組む。このような反復と集積から、晩年のあのほとんど抽象的ともいえる独自な絵画が生み出されていった。芸術家がその探求を成し遂げる過程は決してシンプルなものではない。そこに至る複雑なプロセスも、実は矛盾を抱えた人間が「唯一無二」を生み出そうとするための必然であったのだろう。
あらためてセザンヌの作品を眺めてみると、いまではまったく当たり前となっている、さまざまな分野の表現の原初を発見することができる。たとえば、形の境界をザクザクとした線でリズミカルに描きだす手法のその先には、漫画家の井上雄彦の作品などが連なっているとぼくには感じられる。コミックや劇画の原点は、案外この辺りが源流となっているのかもしれない。また、特徴的なセザンヌ画法のひとつに「塗り残し(描き残し)」があげられる。むき出しのキャンバス地は、いまでこそ経年色の渋いアイボリーだが、制作時には生々しい白さを放っていたはずだ。この白さは単なるハイライトなどでなく、意表を突く手法として描き込まれた部分を実に効果的に際立たせている。彼の発明したまったく新しいこの対比法によって、それまで見たものとは別種の立体感が絵の中に生まれてくる。さらに、こうした実験的な試みの数々は、彼の高度な描写力によって支えられていることも忘れてはならない。例えば一番下の静物や「大水浴」の連作に見られる躍動的なタッチは、長い修練を経た簡潔で骨太な描写力によって支えられている。
ところで、会場でちょっと気になったことがある。近頃では当たり前となっている「鑑賞ガイド」や、作品の脇にある「解説カード」の存在だ。こうしたガイドツールを一概に否定するつもりはないけれど、解説カードに顔をつけるよう熟読しても肝心の絵となると、さっと眺めて移動してしまう人の何と多いことか。せっかくの原画がそこに在るのに、用意された解説で分かったような気持ちになってしまうのはなんとももったいない。
絵を見ることの喜びとは何だろう。そこには理解することが求められているわけではない。どうしても好きになれない絵もあるだろうし、まったく理解できない絵もあるだろう。鑑賞は多種多様な向き合い方の中から、個別に探り出していくべきだ。まずは、作品とただただ向き合ってみる。やがて少しづつ画家の声が聞こえてくるような気がしてきたらしめたものだ。キャンバスを前にした画家は、うんざりするほど長い時間、対象物とキャンバスを交互に見つめつづけ、考え、迷い、また描くことを繰り返す。世界の誰よりもその絵を一番長く見つめ続けた人間は、おそらく作者本人であるはずだ。人物画、風景画、静物画、なんでもいい。絵を見るということの楽しさの1つには、こうした作者の模索の軌跡を自分なりに追体験するという楽しみが隠されている。(もちろん数えきれないほどの誤読もふくめて)
絵の中に画家が用意しておいたいくつもの窓を開く楽しみ。構図やトリミング、色彩バランスや絵の具の重なり具合、描き出された空間は、この世界を画家がどのように捉えようとしたのか覗かせてくれる記憶の窓なのだと思う。一瞬で感じるもの。じっと見つめていると少しづつ見えてくるもの。以前はまったく分からなかったことが、数年後突然腑に落ちることもあるかもしれない。矛盾を抱えた人間同士が作者と鑑賞者として向き合い、複雑なプロセスを経て、一瞬だけ開け放たれる記憶の窓。
それまでヨーロッパでは当たり前とされてきた、自然を模倣するという絵画の創作姿勢から決別し、自然現象の背後に潜む普遍的な形態をつかみとろうとする行為は、おそらく今のぼくらには想像もできないほど冒険的な行為であったに違いない。長い時を経て伝わってくるその勇気や探求への情熱が、ぼくらの心をざわざわと揺り動かす。見ることは=考えること。考えることは=表現すること。表現されたものを見ることは=感じ、考えること。こうした視覚と思索の螺旋状の連鎖によって、芸術は見る者にとってかけがえのない豊かな何ものかに変貌してゆく。「たかが絵画、されど絵画」と言われる所以である。