日々を記す
人はどうして日記を書くのだろう。日記の定義も古今東西、諸説さまざま。例えば紀貫之の「土佐日記」は女性に仮託して仮名文で綴られ、たぶんに読まれることが意識されている。これは日記という様式を借りた日記文学として位置付けられている。16世紀以前の西欧の日記は聖職者や教会関係者、そして商人のものが多く残されているそうだ。そもそもの日記の起源は帳簿だったが、それが次第に個人的な覚え書きとして日記の原型をなしていき、人々の生活習慣として階層を下げながら広まっていったらしい。
中国や日本では、紙は古くから生活に溶け込んでいたのでたくさんの日記が残されてきたが、ヨーロッパでは少し事情が異なる。希少な羊皮紙などに替わって紙が伝えられた12世紀頃以降も、西欧では需要と供給のバランスがとれずに慢性的な材料不足にみまわれていた。そこで古紙が再利用されることが増え、そのために多くの古文書も失われてしまった。それがヨーロッパに古い日記が残りにくかった要因のひとつともいわれている。また、日記が定着してきた背景には、近代の自我の覚醒が密接に関連しているともいわれる。
さて、してみるとぼくに自我が覚醒するのは、遡ること25年前からということになる。最初の日記の1ページ目を開いてみると、1985年9月22日からはじまっている。以来、外泊する時などにはホテルで書いたメモ用紙を帰宅後日記帳に貼り付けたりしていたので、ほぼ毎日何かしら残してきたことになる。なぜ書くことを思いたったのか今となっては思い出せないが、たぶん気まぐれではじめたんだろう。33歳で突然禁煙しようと思った時も、はじまりは「何となく」だった。その時味わった苦しさを無駄にするのがいやで、それから一度も煙草は咥えていない。
ぼくは決して勤勉な人間などではないのだが、これら15冊の日記帳を眺めていると、案外習慣づけられやすい性格なのかもしれないという気がしてきた。判で押したように同じことを繰り返す行動パターンも、人よりとりやすいのかもしれない。起床して洗顔し、食後に歯磨きをするように、就寝前に日記帳を開くことをずっと習慣としてきたのだから。
あらかじめ日付やガイドラインのはいったダイアリーは性格的に馴染まなかった。こんな風に書きなさいと指示されるみたいで、そんなのまっぴらゴメンだという気持ちになってしまう。そのくせ自由奔放な書き方をするかといえば、細いシャープペンシルの小さな文字を律儀に隙間なく埋めていくのだから、つくづく自分でも偏屈な性分だと思う。残り少なくなってくると、その折々の気分で次なる日記帳を選ぶことにしている。基本的にぼくは無地でコンパクトな冊子を愛用してきた。近年は「ヘミングウェイ、ピカソ、チャットウィンが愛用していた伝説的ノートブック」のキャッチコピーで知られるMOLESKINE(モレスキン)の無地で小さめなタイプを選ぶことが増えている。このシリーズはオーソドックスで造りがしっかりしているので飽きがこない。
ところで書くという行為に関して、ぼくには大きなコンプレックスがある。若いころからの悪筆が悩みの種だった。これには本当に気が滅入ってしまう。どうしてきちんと字が書けないのか、真剣に考えたことがある。その結果判明したのはシンプルな事実だった。ぼくには書いている文字そのものに集中することができない致命的な欠陥がある。文字を書く時ぼくの気持ちはすでに次の文字に移ってしまい、おまけに何か急かされるように書こうとするものだから、文字はどんどん悲惨な形となって定着されていく。そこで反省して極力ゆっくり書こうと意識した時には少しだけ判読できる文字になってくれるが、長年染みついてしまったクセはなかなか治らない。おまけに、日記が他人の目に触れるようなことがあったら嫌だなという思いが悪筆ぶりにさらに拍車をかけるものだから、どのページもミミズ字が密集したほとんど暗号文状態となっている。そんなに読まれたくないなら電子化してロックをかけて保存しておけばいいのに、やっぱり紙に記しておきたいという気持ちは捨てきれない。25年分の冊子を束ねて持ち上げてみるとそれなりの重みが伝わってきて、この感覚は電子化ではけっして味わうことのないものだ。
記述内容は標準的なものである。日付、曜日、天気、起床時間に続き、その日の出来事を列挙していく。ちょっと違うのは、2000年以降の日付の前に「70」とか「69」といった数字が書き加えられていること。別にたいした意味はないが、何となくその日の気分を数値化するとこんな数字かな?といった目安となっている。平均的な気分値が70で、最悪でも65くらいだからあまり上下することはない。それから時事ネタはほとんど登場しない。「9.11」とか「地下鉄サリン事件」、「阪神淡路大震災」のようなメガトン級ニュースはさすがに素通りできないが、極力身辺にまつわる些細な出来事を淡々と記すことを心がけている。その行間にはおきまりの愚痴や悪態が挿入され、まれに訪れる嬉しい出来事も忘れずに残しておく。つまり、日記帳を開いては、ぼくはその日膨れ上がった気分のガス抜きを夜な夜なしているのである。
以前、松岡正剛さんから日々の習慣を聞いたことがある。松岡さんは布団に入り眠る前に、その日の出来事を早廻しでプレイバックすることにしているそうだ。逆廻しするのでなく一旦起床時に記憶を戻して、そこからたった今横たわった瞬間までを時系列にそってできるだけ克明に猛スピードで思い出していく。なぜそんなことをするのか、一番肝心なことは見事に忘れてしまったが、日に一回だけなら記憶をトレースする習慣も悪くはないなとその時思った。考えてみれば、日記だってこれとあまりかわらない。しかしなぜかなかなか時系列に沿って思い出せずに記憶の強弱に左右されてしまう。監視カメラと違い、人間の記憶というものは出来事のインパクトに応じて凸凹状態で焼き付けられる仕組みになっているので、凸部の隣りの凹が隠れてしまうことがままある。そして、日記を書き終えてから「そうだ、あれもあったな」と思い出すことになる。でも、書かれた内容より行為そのものに意味を見いだすならば、それでよいのだろう。
こうしたデイリーでコンパクトな記憶を記録していくことが一体何の役に立つのかぼくには分からない。確認する必要に迫られることでもなければ、まず古い日記が開かれることはない。だからぼくにとって日記を書くことは、上手にその日の記憶にさよならを言うための儀式のようなものなのだ。今日も何とか生きている。とりたててこれということもない平凡な日々が積み重ねられるささやかな幸せを、日記と向き合うことで味わっている。