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2020.10.10

MONOLOGUEのスタートは2007年3月26日。ちなみに3月26日はぼくの本当の誕生日だったから。本当の誕生日って?と訝しく思う方もいるだろうが、ぼくが生まれた時代は、出生届けには一週間の猶予期間があったそうだ。早生まれのぼくはそのまま届け出ると、小学校に入学するときなどには年度はじめに生まれた子どもに比べ1歳近く幼いことになる。そこで両親はこう考えたのだろう。「この子が小さなまま小学校に入学して、大きな同級生に囲まれて生活するのは可哀想だ。ならば一週間届け出を遅らせて、遅生まれの先頭にしてあげよう」と。かくして、ぼくの戸籍上の誕生日は4月2日となっている。さて、この両親の選択が良かったのは悪かったのか、ぼくは未だに判断しかねているのだが…。
例えば、予防接種は生年月日の早い順に受けていたので、いつも決まってぼくは一番先頭で腕まくりして並んでいた。集団予防接種は昭和23年7月ころから開始された。しかし、昭和33年に注射針を一人ごとに交換するとの規則改正があったものの、その後も注射器の連続使用は使い捨て注射器が普及する昭和63年頃まで続いたといわれ、ずっと注射針は使い回されていたのだ。結果、我が国にB型肝炎が蔓延してしまったことを受け、平成元年にB型肝炎感染者らが国に対して損害賠償請求訴訟を提起。平成18年1月、最高裁判所の判決により国の責任が確定した。所謂「B型肝炎訴訟」である。昭和63年まで注射器針の交換は徹底されず、その連続使用を放置し続けた国の責任は大きい。不幸にも感染してしまった被接種者には言葉もないが、一番最初に注射されていたぼくの感染リスクは極めて低かったことの幸運は、両親の選択によってもたらされたものと感謝しなくてはならない。
もちろん良いことばかりではない。成長の度合いは幼少期の人格形成に少なからず影響を及ぼすものだが、少しだけ底上げされて入学したぼくは、負けてなるものかといった反骨精神のようなものが希薄だった。しかも何となく(生意気にも)同級生が子どもっぽく思えて、一人遊びをしたり、年上や大人と接することを好むような、つまりちょっと社会性に欠けた、風変わりな少年になっていた。小学校から帰るとすぐに近所の温泉に出向いては、番台の親父さんの将棋の相手をしたりしていた。一度だけ出席したことのある小学校の同級会でも「お前はホント昔から変わっていたよな」と同級生からしみじみ言われると、そうなんだと妙に納得する自分がいる。人格形成というのはもちろん後天的、かつ自覚的に自分の責任に於いて形成していくものと考えていたが、案外、自分が置かれた幼少期の環境にも影響されていたのかもしれない。
また、性質が反転するということもあるのだろうか。記憶を辿ると、思春期までのぼくはせっかちで落ち着きがなく、靴を脱げば必ず右と左の靴は離ればなれにひっくり返り、引き戸を開ければ開けっ放し、閉めるように叱られればビックリするほど大きな音を立てて閉めたり、始終母親の小言が後ろから追いかけてくるのが日常だった。獣道ではないが「お前の歩いたあとはすぐ分かる」と言われていたのに、今ではどうだろう。物がちょっと曲がっていると気になって揃えずにはいられない。日記も書きはじめたら一日も欠かすことなく続けていたり、(日記として残し始めたのが1985年9月22日からなので、35年以上続けていることになる)定常処理、つまりルーティンは日常の儀式といってもよいくらい日課となっている。一体、いつからこのように性質が反転してしまったのだろう。まったく記憶がない。子どもの頃に注意され続けてたことが深層意識に沈殿し続け、長じて地殻変動の隆起によってせり上がってきた結果なのだろうか。そうするとこれから、地震のメカニズムのようにプレートとプレートにひずみがたまり、やがて限界に達すると、突然大きな揺れに見舞われて元に戻ってしまうのかもしれない。それはそれで何だか怖い気もしてくるのだが、思い悩んでいても仕方ない。成るようになれ!ケセラセラだ。
このblogもそんな反転したぼくの性質から生じたもので、ある日思い立ち、スタートしてからすでに13年と6ヶ月。投稿数にして136。投稿画像をまとめてみて思わず出てきた言葉は「よくもまぁ、飽きもせず」だった。当初は一ヶ月に数本の投稿だった。やがて毎月1回の投稿が定着し、2014年9月1日からは隔月投稿に変更して現在に至っている。
今度のテーマは何にしようと考えていると、やがてぼんやりと話しの輪郭のようなものが浮かび上がってくる。たいがい、その切っ掛けは偶然見たTV番組だったり、知り合いと交わす会話の最中だったりするのだが、実は形をなさない多くのテーマの種は、ぼくの頭の中にある小さな庭に眠っている。それがある日その中の1本がひょっこりと芽を伸ばしてきて次のテーマとなっていく。そしてスケッチをするように細い幹にすこしずつ肉づけをしていくと、時に枝は思わぬ方向に伸びていったりする。毎月1回の投稿以降、ぼくのblogが長文となることが多いのは、つい枝葉を伸ばしてしまうぼくの癖と呼応しているようだ。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことはあくまでもゆかいに」。(日経新聞の追悼記事より)これは井上ひさしの言葉だそうだが、ぼくのblogはスタートからずっとこの言葉に逆行しているようだ。しかも何の一貫性もない。徒然の思いつき投稿なので、美術や音楽やエッセイとジャンルもバラバラ。タイトルもなく、投稿年月日しか表示していない。だから、過去の投稿を探そうとしても、書いた本人でもなかなか見つからない。そんな不親切きわまりないblogにやっと遅まきながら反省。そこで全投稿にタイトルを付け、左側に目次のリスト表示を加えたので、興味のあるタイトルをクリックすればすぐに投稿本文が表示されるようにした。そんな気紛れblog、今後は隔月投稿から不定期投稿となります。


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