DMシリーズ回想
デジタルデータを保存するメディアの総称はストレージ(storage=外部記憶装置)と呼ばれ、記憶する方法によって大別される。光磁気ディスクを含む磁気ディスクにはフロッピーディスクやMOディスク、ハードディスクなどがある。それから、フラッシュメモリ記憶装置にはUSBメモリやメモリカード、SSDなどがあり、さらに光学ディスクとしてはCDやDVD、Blu-ray Discがある。その他、AppleやDropbox inc.が提供するiCloudやDropboxといった外部オンラインストレージまで登場していて、ストレージメディアは目まぐるしい変遷を辿りながら今に至っている。
わずか数十年前には最先端だったフロッピーディスクやMOディスクは、いまや化石のような存在だ。しかし、ぼくらのようにデザインを生業としてきた者には、古い仕事が記録されているこうしたメディアは、捨てるに捨てられない悩ましい存在でもある。というのも、すでに忘却の彼方にある古いデータが突然必要とされることがあるからだ。 ところが困ったことに、日々新しくなっていくOS(オペレーションシステム)では、旧式なメディアを開くインターフェイスの互換性が寸断されているため、新しいOSでは古いメディアを開くことができないという事態がおこってしまう。デジタル技術というのは便利なはずなのに、ときにはずいぶんと不便なものになってしまうことがある。やむなくぼくは、急な要請にも対応できるよう、古いデータが開ける旧式なパソコンを処分せずに緊急用として保管してきた。しかし、ハードはいつか何の前触れもなく壊れてしまうもの。
案の定、先日パソコンに内蔵されていたMOドライバーが突然作動しなくなってしまい、100枚以上保存されているMOディスクが読み込めなくなってしまった。仕方なく外付けのMOドライバー(もちろん中古品)をネットで探してみたものの、OSバージョンや適応するコネクタの問題などで、とうとう接続できる機種をみつけることができなかった。仕方なく知り合いのデザイナーたちの間を聞き回り、やっと適合する外付けドライバー借りることができたのだ。
長い前ふりとなったが、ここからが今回の本題となる。早速データの吸い出し作業に取り掛かり、おびただしい古いデザインデータを開いてみると、すっかり忘れていたその頃のことがぼんやりと像を結びはじめ、本当にたくさんつくってきたんだなぁ、としばし手を休めて感慨にふけってしまった。もちろん恥ずかしい未熟な仕事もいっぱいあった。当時新鮮だったことが、見返すと随分古くさく感じられることだってある。とはいえ、夢中で向き合っていたその瞬間、瞬間の感情の息吹は、なかなか清々しいものである。ひたすら作り続け、振り向くこともなく突き進んできた過程で、すっかり忘れ去られていた仕事と向き合うと当時の記憶が生々しく甦ってくる。それらの多くはクライアントからの依頼に応えた仕事ばかりだが、なかには自主制作物も混じっている。
ボスコをスタートさせる前に、ぼくが兄と共同経営していたアイ・エヌ・ジーというデザイン事務所には複数のデザイナーが在籍していた。そして彼らと一緒に持ち回りでデザインを担当し、数年間毎月ダイレクトメール(DM)をクライアントや交流のある方々に送っていた時期があった。
まず、年間テーマを決めて年賀状からシリーズをスタートさせる。さまざまなデザイン道具をモチーフにした「道具シリーズ」を皮切りに、色や風景をテーマにした「風・景・色シリーズ」や、縁の深い人々の文章をテーマにした「…の筆者シリーズ」。そして2年にわたり続いた「ingシリーズ」も懐かしい。これは屋号にあやかった「ing」を含むさまざまな言葉を選び出してデザインを思い思いに組み立てたもの。ただいたずらに数を重ねた感もあるが、ぼくらには何よりの稽古という思いもあった。巻頭文にも「“ひたすら心をこめて精製すれば、ついに醍醐味となる”という本来の意味からすれば、デザインの醍醐味とは正に一心に興じ、一心に行ずることではないでしょうか。」とある。そこで面映ゆいけれど、ぼくが担当した幾つかのDMをピックアップしてみたので、この意図に免じてご覧いただきたい。
上から4つは「ingシリーズ」からの抜粋で、小さくて判読できない掲載文は以下に抜き出した。 Ramblingの〈我輩は、ポチである。〉。これはいうまでもなく、漱石と賢治への拙い拙いオマージュである。(ちなみに我家では飼い猫には代々ポチと命名してきた)
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〈我輩は、ポチである。〉ingシリーズ9
(9月のテーマ・Rambling=ぶらぶら歩き回る、散漫な、はい回る、不規則な)Drawing by Ronald Searie
はじめての人には、はじめまして。はじめてじゃない人には、こんにちは。
ぼく相変わらずポケッとしていて、元気です。
ポチと呼ばれりゃ、ニャンとなき、今年の春から小林さんちにおじゃま虫。
チャランポランは生まれつきの、身軽で気楽な猫稼業。
思いたったらじき寝てしまう性分で、平均睡眠は15時間。
夜はお酒ものまんから、魚の骨食べたらすることない。
この辺格別娯楽もないから、つい夜遊びがすぎるとごらんの通り朝からゴロゴロ。
それもこれも猫の特権。行きあたりばったりのその日暮らし。
何の役にたつわけでもなく、ただそこに居るだけの自然体。
ふぬけと言われても腹も立てず、いばる人の話を、そうかそうかと聞きながし、
しっかりしろよと言われたら、ニャーとうなずく……
そんな猫になりたいものだ、と思う今日このごろです。
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次のLaughingとBeginningは、当時興味を抱いていた大正、昭和の芸能が色濃く反映されている内容で、改めて見かえすと進歩がないというか、今の自分の関心と相変わらず地続きとなっていることを再認識させられた。
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〈LAUGHING〉ingシリーズ5
(5月のテーマ・Laughing=笑う、陽気な、明るい)花菱アチャコ・花井正寿/即席問答萬歳より)
早いもんで、もう5月や。5月ゆうたら皐月のことや。
あら尊と青葉若葉の日の光、と芭蕉はんもゆうてはる。
一年中で一等ええ季節や。そやさかい、陽気に明る、やらなあかん。
むだ口、へらず口おおいにけっこ。遠慮せんと、やってみなはれ。
牛にカリン糖で“モウコリコリ”てな具合や。
ハハハ。けったいな洒落やな。
あー、仰山おまっせ。おまはんも、やりますかー。
ほな、よろしおまんな。
一枚でもせん(千)べいとはこれいかに。一つでも饅(万)頭というがごとし。
海で惚れてもオカ惚れとはこれいかに。岡で生まれても生み(海)の親というがごとし。
二階で相談しても市会(四階)議員とはこれいかに。三階で相談しても区会(九階)議員というがごとし。
寿司食べてもウマかったーとはこれいかに。嫌いな人と食べてもスキヤキというがごとし。
大人が乗っても自動(児童)車とはこれいかに。生きた人間が乗っても市街(死骸)電車というがごとしや。
腐ったタコ買うてもイイダコとはこれいかに。安く買うても“タコー”ってなもんや。
けったいな問答やな。寝てて煩ろうても肺(這い)病とはこれいかに。
あー、陽気に煩ろうてもインキン(陰気)というがごとしや。
きたないなー。もう、無茶苦茶でござりまするわー。
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〈BEGINNING〉ingシリーズ1
(1月のテーマ・Beginning=初め、初期、最初、起こり、起源…)
「エー、みなさん、角つき合いをなさらずに、当店へ、トントンとおはこびくださいませ。もうケッコーというぐらいお召し上がりください。」…と、これは肉屋の宣伝口上。「足ごろの靴が、手ごろのお値段でとりそろえてございます。」と、これは靴屋。口上、旗もち、ビラ配り、楽隊とキャラクターがあやなして、ただ、ただ、満身の誠意をこめての街頭宣伝。これはもうライブ感覚で、あくまでにぎやかにやるのが身上である。
「チンドン屋」という名称は昭和4、5年からで、それ以前は東西屋とか広目屋。たとえば「ライオン歯磨」、「福助足袋」、「森永製菓」、「味の素」といった企業お雇いの宣伝隊。10〜20人の大編成で、軍服姿の楽隊と、のぼりを何本も押したてて、何ともにぎにぎしいかぎり。この陽気さと裏腹に、チンドン屋はどこかもの悲しい。世相風俗両極の明も暗も抱えこみ、そこからあまたの物売り衆が、それに連なる職人衆が大正・昭和の路地から路地へと駆けぬける。「シネマ見ましょか、お茶のみましょか」東京行進曲にのり、街頭宣伝業の誕生である。その場に応じた即興と、俊敏な感覚が身上で、得意先との信頼関係を芯に手づくり広告のネットワーク。鳴りもの、口上、扮装と三位一体に息づく宣伝業のエッセンス。まさに人肌の広告である。温もりとしたたかさの同居する、これまさにアド・フロンティア・スピリット。 さて、なにはともあれ新玉(あらたま)の年立返る初春に、Beginningの字幕入りでトザイ東西。テケドン・シャンシャンと隅から隅までズズイ、ズーイと、よろしゅうお引きたての程を、おん願い(チョーン)申し上げ奉ります。
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Sendingは、なんとFAXが当時の最新機器だったということを念頭に置かないと成り立たないDM。その昔、すべて丸投げして自分は何もつくらない発注芸術なるものがあったけど、このDMもその手法で、イラストも書き文字もすべて当時幼稚園生だった倅に丸投げしたものだ。スタンプの「よくできました」と「もうすこしがんばりましょう」も同じく丸投げツールを活用。(文中のみついさんとは、当時事務所に在籍していたデザイナーの三井一也君のこと。彼はその後独立して三井デザイン事務所を主宰し、現在も着実に仕事を積み上げている)
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〈ぼくのファクシミリ日記・ことしも、あとすこし〉ingシリーズ12
12月のテーマ・Sending=送っている、届けている、送信中)
きのう うちにFAXがきた
みついさんが なんでも おくれるといった
きょうぼくは ようちえんに おくれた
とおさんが すぐおくってくれた
とおさん すごい
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最後は「…の筆者シリーズ」からの一枚。筆者は亡母である。ぼくが育った家の庭には2月になるときまって紅梅が花開き、春の訪れを一足先にそっと告げにやってきた。
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〈二月のこころ〉冴え返る如月の筆者 小林史子(詩人)
水甕座の
星凍り
女神たちの
悲しむ二月
きしむ
深い夜の窓辺で
その人は
書いたのだろう
〈人生は
風に鳴る
汚れたガラス窓だ〉
と。
けれど
日溜まりの紅梅の枝
満開の花の下で
わたしは思う
〈二月は
春にかざす
舞扇だ〉
と。
見えない
巨きな手が
虔しく
それを
支えている。