Above _ Wayward oil/canvas
Below _ !The Diet oil/panel
Copyright : Whyn Lewis

カンバスに凝固する共感と憧憬

Whyn Lewis
2007.5.22

Vashti BunyanのCDジャケットで発見した動物肖像画アーティスト、Whyn Lewisのことを少しだけ調べてみた。彼女の作品を管理しているロンドンのPortal Galleryのサイトによると、Whyn Lewisは1973年にVashti Bunyanと同郷のイギリス・エンジンバラで生まれている。彼女の親たちは馬が引くジプシーワゴンに暮らしてたそうだ。(そういえばVashtiの「Just Another Diamond Day」のジャケットには何枚ものジプシーワゴンの絵や写真が挿入されていたけど、ほんとうにこんなに小さなワゴンで暮らすことができるんだろうか?)LewisはGorse(ハリエニシダ)の薮の名にちなんで名付けられたという。黒いWhippet(ホイペット〈レース用の犬〉)Indieを伴って入学することを特例として認めたという寛容なグラスゴー美術学校に16歳で入学している。以来1995年まで、絵画友達でもあった愛犬のIndieだけを描き続けたと言われている。彼女のインスピレーションの源となったIndieとは、深い絆で結ばれていたようだ。1994年のスコットランドアカデミー「Maude Gemmel Hutcheson賞」受賞を皮切りに、イギリス国内で数々の受賞経歴を重ねてきた女流画家、Whyn Lewis。
一貫して主要なモチーフは犬。時折うさぎや馬なども登場する。彼女の描き出す動物たちは、単なるアレゴリーを超えて、象徴的な生き物としての優雅さをたたえている。とにかく彼らは美しい。Lewisの彼らへの共感や憧憬、驚嘆や畏怖の念がその筆先から溶け出し、静かにカンバスの表層で凝固し、じっと身を潜めているようだ。極東の島国絵師、応挙若冲の動物画は文句なしに素晴らしい。そして現代、極西の島国で生み出されたこの静謐な動物たちもヨーロピアンな香りを纏い、どこか愛らしい。残念ながら画集は出版されてないようだ。こんな絵なら1枚欲しいと思った。Portal Galleryで購入すると$3,550〜$9,750くらい。フ〜ム…。でも、好きな作品はほとんどSoldでした。

18日、六本木ヒルズ内レストラン
「ウォンズシノワ」にて。

チーム・ミクロの晩餐会

Mikrokozmosz
2007.5.18

中沢新一さんの最新刊『ミクロコスモス』の版元である四季社主催の「『ミクロコスモス』発刊打上げ会」に出席。散会後はすぐ近くの六本木SuperDeluxeで開催されている坂本龍一さんのイベントに中沢さんが出演するということで、数時間前に六本木ヒルズにあるレストランに、著者と「チーム・ミクロ」、それにIAA(多摩美・芸術人類学研究所)スタッフの皆さんが集合。ライトアップされた東京タワーを眺めながら、発刊を祝うひとときを過ごし、久しぶりの再会を楽しんだ。集合写真後列向かって右から編集者でclover books代表の平林享子さん(ブルー)、IAAスタッフの大澤さんと深澤晃平さん(共に白)、前列右はIAAスタッフの石倉敏明さん(白)、そして中沢新一さん(オレンジ)とぼく(ピンク)。
ところでIAAの名刺にはオレンジとブルーとピンク3つのバージョンがあって、見事に当夜の著者と「チーム・ミクロ」は、IAA仕様にカラーコーディネートされていた。芸術人類学的なカラーはやっぱりこーでねぇ〜と。(寒いオヤジギャグでごめんなさい)
先月末NHKで放映された「爆笑問題のニッポンの教養」芸術人類学研究所編でメジャーデビューを果たした石倉さんと深澤さんは(もう一人のスタッフ金子さんとともに)タマビ・オギヤハギとかタマビ・オリエンタルラジオとか言われてるそうで、いや、TVの影響力はすごいというか、侮れないものがある!好評につき再放送という話もあるようなので、見逃した方、今度こそぜひどうぞ。
これから預かっていた文化財を返却しに行かなければ、と緊張した面持ちで早めに席を立った四季社の北村さん、今夜はどうもごちそうさまでした。これからもよろしくお願いします。

満開の花壇から「くだもの広場」
のガラスドームを望む。

公園を吹き抜けるすきま風

Fruit Park
2007.5.14

五月晴れの午後、山梨市の「笛吹川フルーツ公園」へ。公園内「くだもの広場」の「オーガニック・カフェ」を経営している石和観光会館の山野さん(他に公園内ではレストランや「赤松の湯ぷくぷく」も経営)が、旬の苺を使ったソフトクリームを食べにこないかと招いてくださったので、昇仙峡菅原屋の田中正喜さんを誘って訪ねる。
平日だったこともあり、この時期としてはめずらしいそうだが、園内は閑散としている。カフェは直径55mもある半円球のガラスドームの最上部にあって、地元採れたての果物を使ったジェラートや軽食が手軽に味わえるという趣向。苺のソフトクリームやブルーベリーのシャーベット、そしてビターな大人向けのコーヒー・ソフトクリームなどを賞味する。数多くの自社商品を手がけ、特に味覚に抜きん出たこだわりを見せる山野さんらしく、どれもとてもおいしいものばかり。でもそこは辛口批評が身上のぼくらなので、すかさずショップのインテリアをはじめ数々の問題点を鋭く指摘。ご馳走になった上に言いたい放題、いい気なものである。山野さん、これ愛の無恥(鞭)です。ご海容ください。
公共施設からその運営を指定管理者に委譲された、このような施設は全国に数多い。共通するのは施設内のあちらこちらを吹き渡るすきま風である。辻褄合わせともたれ合いのシステムから発生してしまう、このようなすきま風はどうにも防ぎようがないようだ。各セクションを任される業者さんも、鉄アレイを足に括り付けられ「さぁ、どうぞ存分に運営を」と言われても、辛いものがありますよねぇ。管理する人たちはこの時代に生きる人々に向かって自分たちが運営管理する施設の扉はどのように開かなければならないか、本気で考えてみたことがあるのだろうか。ぼくらは多くの税金が注ぎ込まれたであろう広大な園内を歩きながら、すきま風に吹かれながらぼんやりとそんなことを考えてみた。

Left _ Just Another Diamond Day
Right _ Lookaftering
Copyright : Vashti Bunyan

無垢なアイリッシュ牧歌

Vashti Bunyan
2007.5.10

久しぶりに買ったCDの中に思わぬ掘り出し物があった。イギリスのエディンバラ出身女性フォークミュージシャン・Vashti Bunyan(ヴァシュティ・バニアン)の「Just Another Diamond Day」。Donovan(ドノバン)とも親交のあるベテランミュージシャンらしいけど、ぼくは全然知らなかったのだ。どこかで誰かが絶賛していたReviewを気まぐれに携帯にメモしておいたのを思い出し、何となく入手してみた。
どれも2分足らずの小品ばかりだけど、アイリッシュな牧歌的情景を耳元でささやくように唄い上げている極上の音楽集。人間の視界を動物や自然の世界へとスライドしながら綴っていくような旅路の記録。そこには「青春の」という言葉を付け加えてもいいかもしれない。Enya(エンヤ)で一躍ブレイクしたアイルランドの音色に近いが、June Tabor(ジェーン・テイバー)ほど骨太でないし、Dolores Keane(ドロレス・ケーン)みたいに堂々としてもいない。もっと素朴でナイーブな印象だ。絵本作家・Tasha Tudor(ターシャ・テューダー)が少女時代にミュージシャンだったらこんなアルバム作りそうな気がする。とにかく、マリアンヌ・ファイスフルみたいな不思議な存在感を感じさせる人だ。
ジャケット眺めていて驚いた。何とこのアルバムは1970年にリリースされていた、37年も前の音楽だったのだ。そしてもう一枚、2005年に発表されたアルバムがあるという。35年ぶりの新作!寡作にもほどがある。Amazon(アマゾン)のReviewでは、この新作「Lookaftering」は前作と甲乙つけがたい出来とあったので早速手に入れて聴いてみる。35年経ってもその歌声はまったく変わっていないし、やはりそこにあるのは彼女の音色。しかし前作の方が断然いい、とぼくは思う。「Just Another…」にはナイーブさの中にも静かな躍動感があって、そこに心震わすものがあったのだけど、ナイーブなだけのVashti Bunyanには正直、ぼくにはあまりぐっとくるものがない。ただ、思わぬ発見もあった。新作のアルバム・ジャケットを飾る絵がとても素敵だったのだ。他の絵も歌詞の横に添えられていて、クレジットには Painting by Whyn Lewis とあった。(余談だがBunyanは今年の2月に最初で最後(?)の来日公演をしていたそうだ)

イトリキ・ショップカードより。

多国籍マジカル食堂

Itoriki
2007.4.15

4月12日の夜、富士吉田での打合せ後の会食で「糸力」を訪れた。ここは、釣り好きなあの糸井重里さんにカレーが絶賛され、一躍有名になったというお店。上はお店に置いてあったカードからのキャラクター抜粋画像(キャラクター・デザイン=祖父江慎・糸井重里)。予約できないので夜の部開店の4時半以降は、行ってみるまで入れるかどうかわからないというハラハラ食堂なんだけど、幸い当日は入店出来てラッキー!
全国の地酒がいっぱいあって「今夜は新潟の八海山を飲んでみるじゃん」なんて楽しみは下戸のぼくには無縁なのだが、何を食べてもすごくおいしい!
当夜は2回目。最初来た時にはそのメニューの多様さに圧倒された。有名なカレー類をはじめ、前菜サラダの品々や季節の旬の素材を使ったつまみの一品料理類、揚げ物、肉料理に刺身、パスタに蕎麦やラーメン、そして定食類からはては中華まで、お店の四面は壁が見えないほどメニューだらけで首が痛くなってしま いそう。ないものを探す方が難しい。普通ちょっと考えると「こんなに小さなお店でそんなにいろいろ出来るわけないじゃん」なのだが、そこは糸力マジック、何が出てきてもおいしいんです。回転がいいんでネタが新鮮、多彩な料理も基本はひとつ、といろいろ臆測してはみるけど、結局は腕とセンスなんだと思う。見習うべきことはたくさんありそう。
何と言っても「糸力(イトリキ)」という屋号がいい。ご主人の宮下さん(富士吉田には宮下姓が多い)のお母さんが命名したとか。機織をして育ったお母さんは「一本の糸は切れても、100本、200本の束となった糸は切れぬから、一歩一歩信用を紡いでほしい」と名付けたんだとか。ぼくらも織物に関した打合せでここ富士吉田を訪れていたので、何か見えない糸に導かれてここまでやって来たのかな。
ディープなサイトもオススメです。時間があったら「糸力窓女(マドンナ)」(182人もいるのだ!)をじっくりチェックしてみよう。

1960(昭和35)年2月24日撮影。

未だ見ぬ故郷へ

Return Home Country
2007.3.26

写真の右が9歳のぼく。そして隣りの帽子姿の少年は友人の杉本安美(ヤスミ)ちゃん。ぼくより三つ年上だったけど、なぜかウマのあう大親友だった。当時暮らしていた近所のちょっとした谷間に位置する場所に、いわゆる部落と呼ばれる地域があって、廃品回収を生業とする杉本さんの一家もそこに暮らしていた。いろんな差別をうけていたのだろうが、それは大人の世界の話、子どものぼくは知る由もない。やさしくて気立てのよい杉本家の人たちが大好きだった。
ある時その自宅で執り行われた杉本家親族の結婚式の光景は今でも鮮明に残っている。朝鮮古来の様式だろうか、見たこともないカラフルな民族衣装で凄まじいドラや鐘の音に合わせて踊り続ける安美ちゃんの両親は、もういつもの見慣れた彼らではなく、まったくの別人だった。この人たちは何か深いところで自分とは違うルーツを持っているんだ、という驚きがその時のぼくの心に強く刻まれた。
安美ちゃんや彼の弟たちとは多くの時間を近所の空き地で、三角ベースの野球などに興じて過ごしたものだった。それは、貧しくてもそれなりに満たされていた戦後日本の標準的な少年時代であったと思う。ところがそんなぼくらの別れはあっけないものだった。この写真が撮られた約一ヶ月後、北朝鮮(朝鮮人民共和国)に、安美ちゃんは崔達治という自国名で家族とともに還ってしまった。帰国事業は1959年から1984年まで続き、最初の帰国船は1959年12月10日に出航したそうだから、彼らは事業開始早々の帰国者だったことになる。友交を記憶にとどめるようにと、ぼくの家族がこの写真を撮っておいてくれたのだろう。
別れの朝、見送るためにぼくは踏み切りの前に立ち電車を待っていた。安美ちゃん達を乗せた電車がやって来た。彼と兄弟たちは窓から身を乗り出し、数本の紙テープをぼくに向かって投げてくれた。踏み切りを通り過ぎるほんの一瞬のことだった。ぼくは泣きながら電車が見えなくなるまで手を振り続けていた。昭和35年に起きたこの別れと愛犬の死は、ぼくが初めて味わう、別離のほろ苦い悲しみとなった。北朝鮮関連のニュースを見るたびに彼のことを思い出す。その後の人生が辛いものでなければいいのだが、とぼくはその度に願っている。

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