Above_Sellected Paintings & Collages
Below_Excerpe from WHY WE GOT THE SACK FROM THE MUSEUM
Copy Right : David Shrigley

2007.7.12

David Shrigley(デイヴィッド・シュリグリー)はイラストレーター。それもちょっとアブナイ奴だ(とぼくは勝手に思ってる)。Esquireで2005年の1年間、予告ページに単色線画のイラストを描いていて、それがとても印象的だった。ブラックで暴力的な作風を売りにするイラストレーターは大勢いるけど、このオバカさはちょっと得難くて、すごく魅力的。なかなかこういうイラスト、日本ではお目にかかれない。ぜひ一度彼の作品を使ってデザインしたいと思っているが、チャンスがなくてなかなか願いは叶わない。
デイヴィッドは1968年英国マックルスフィールドの生まれ。2年前に出版された「The Book of Shrigley」が英国で爆発的な人気を呼び、今や本国では話題のイラストレーターとなったデイヴィッドである。
本人は「念入りに描いた落書き」と自作を評しているそうだけど、彼の心の中に渦巻いている「乱暴なもの」「病的なもの」「怒り」「アイロニー」「ブラックユーモア」「けだるさ」「パンク」「挑発」なんかが、無造作に吐き出されていて、そこにある種の必然というか宿命的なものを感じてしまうから、くどいようだけどやっぱり彼はアブナイ奴なんだと思う。事実、Esquireに掲載されていたインタビューでは、文学青年のようなナイーブなルックスとは対照的に「僕は生来怒りっぽいたちだから、心の中の汚いものを作品に吐き出しているのかもしれない。それで助かっているんだ。でないと精神病になって、人を殺してしまうかもしれないからね」(Esqire 2006. Vol.20 No.3 61pより引用)なんて物騒な発言もしている。
ペインティングやドローイングに加え、クスッのアニメーションやテヘッな彫刻、さらにはお茶目な写真まで、彼の表現フィールドは実に多彩で、そのいずれにも彼の心の汚いものが律義に吐き出されているから面白い。これはもはや相当にねちっこくて野暮なアートの領域。Francis Bacon(フランシス・ベーコン)やWillem de Kooning(ウィレム・デ・クーニング)同様、軽妙でお洒落なスマートさとは対極にある、やるせなくてヘビーな心の産物だ。でもこの魅力、簡単には抗えないものがある。

Left_2003 Feb. Esquire Cover
Right_2007 Jun. Esquire Cover
Copyright : Esquire Magazine Japan

2007.7.01

職業柄、雑誌を何誌か定期購読している。中でも10年以上に亘る長期講読は「エスクァイア日本版」の一誌のみ。その歴史はとても古く、1933年に「米版エスクァイア」が男性誌として創刊され、日本版も今年で創刊20周年を迎えるというのだから、老舗商業雑誌の代表格といえるだろう。米日の他に韓国、中国、台湾、タイ、インドネシア、香港、トルコ、それにオランダ、ギリシャやロシアと、ワールドワイドに展開されているこのカルチャーマガジンは、「Art of Living」というフレームの中に筋金入りのエスクァイア・ワールドを構築してきた。これだけの歴史と広がりをもつ雑誌は世界でもそう数多くない。
新しい時代を映す教科書のような雑誌だという評価もあれば、見方によっては広告以外の誌面も商品カタログとして機能する洗練された大人のセレクトショップ・マガジンだという見方もある。いずれにしても、長きに亘って安定した読者層に支持されてきたのは、伝統的に継承されたその編集能力に拠るところが大きいのだと思う。当たり前のことだけど、雑誌の質と完成度は掲載情報をいかに削ぎ落とし厳選するかといった選別能力に大きく左右される。
しかし、ぼくが惹かれ続けている理由はそこにあるのではなくて、そのデザインにある。AD(Art Directior)は、この10年ほどずっと桜井久さんが担当している(初代ADは木村裕治氏)。an.an、ポパイ、Olive、BRUTUSなどのADとして雑誌の黄金期を築いた、洒脱の巨星と呼ばれる堀内誠一以後、マガジングラフィックス界には3本の大きな流れが生まれたと言われる。木村裕治、岡本一宣、そして藤本やすしの3氏を源流とする系譜の誕生だ。この桜井さんは御三家の一人藤本やすし氏が1983年に設立した「Cap(キャップ)」の創設メンバーにも名を連ねているベテラン・デザイナーだ。
とにかく桜井デザインは決して前に出過ぎることがない。そのさじ加減は絶妙で、つくづくこれはプロの技だなぁ、と感嘆させられる。フツーの中にその雑誌特有の芳香と時代の空気感を漂わせるのは、実はとてつもなく難しいことである。マガジングラフィックには、写真や文字を自在にコントロールする高度な技術と、常に時代の匂いを嗅ぎ分け必要に応じて微妙に誌面をデフォルメし続けるという繊細で柔軟な技が要求されてくる。まさに雑誌は生き物。時代に寄り添って呼吸し続けなければ、あっけなくその生命力は失われてしまう。そこに雑誌づくりの難しさと面白さがあるのだと思う。

BLOCK CLOCK
ブロッククロックスクエア。

2007.6.14

果樹王国といわれる山梨の、これから旬の果物といえばやっぱり桃だろう。
話は一転するが、今年2月のある日、突然ボスコを訪ねてきたデザイナーがいた。その人、鈴木昌尚くんは以前ボスコに勤めていたことがあった。それまで彼は東京の(株)アタマトテインターナショナル(代表 榎本了壱氏)にデザイナーとして勤務していたが、事情があって郷里の山梨に戻ることになり、求職活動を経てここボスコに入社したのだった。しかしその後、色々な出来事があって「君にはちょっと問題が多いね」と、同じく問題の多いぼくから通告され、たった1年足らずで強制退社させられることになってしまった。その後も「再就職したいからもう一度チャンスをください」とか「これからちょっとお邪魔したいのですが」とか、時々電話をもらったりしたが、その都度ぼくには「またね」とつれなく言われ、門前払いを食ってきた経緯があった。鈴木くんはそんな打たれ強くて辛抱強い人だった。
その日のアポなし訪問は「事前に連絡すると昔みたいに断られるのではないかと思案したうえ、突撃するしかないと思い実行に移し、けっこう緊張しました」と思いあぐねた上での強硬突破だったと後で知ったが、それほどまでして、どうしてぼくなんかに会いに来るのだろう。「とにかくデザイナーと話がしたかった」と、彼は言うのだが…。デザインへの思いを受け止める人が周りにいなかったということか。現在フリーペーパー制作会社に籍を置いているというそんな鈴木くんが、当日手土産に持ってきてくれたのが上の写真の「BLOCK CLOCK」という置き時計。今もパソコンの脇に置いて重宝させてもらっている。そう言えば昔もY.M.O.の二枚組CD「SEALED」をプレゼントされたことがあったけど、かわりにぼくはこれまで何ひとつあげてこなかったなぁ、と彼が帰ったあと気付くのだった。
そこでやっと桃の話に戻るのですが、鈴木くんの実家は御坂で本格的な桃栽培農園を営んでいる。桃と葡萄づくりはご両親、息子はデザインしながら農園修業中の身。ある時お父さんに勧められて作った「モモコ」という桃農園のサイトがあるから一度機会があったら見てほしいと言われ、早速見てみる。なかなかの出来栄えだったので翌日感想メールを送ると、ほどなくしてそのサイトがMovable TypeコンテストでHITACHI賞とロフトワーク賞を受賞したという報告メールが返ってきた。よかったね、鈴木くん、おめでとう。しかし、ボスコを訪れたその直後、受賞のニュースを聞くこともなくお父さんが急逝してしまったことも、後に「モモコ」のブログで知ることになる。家業を引き継ぐため修行半ばの彼は、師となるべき父の不在という辛い試練の日々を今日も送っているのだろうか。
もう決して若いとはいえない鈴木くんだけど、ずっとデザインへの情熱を彼なりに抱えてきたんだと思う。ぼくに会いに来たこともそのひとつ。「モモコ」からリンクされたサイトを見ると、デザインに寄せる彼の思いが伝わってくる。その日ぼくは冗談めかして彼に、腰を据えて桃づくりしたらと勧めてみた。半分冗談、半分本気。ぼくには逆立ちしたって桃づくりなどとてもできはしないだろうけど、「デザインしながら桃も作っています」より「必要あればきちんとデザインだってできる桃農園家」の方がはるかに未来的だと思う。鈴木くんの希望や可能性は、お父さんとの合作とも言える「モモコ」の中に、今も透けて見え隠れしている。

「koshika」エントランス・サインと事務所&ギャラリー内観。

2007.6.04

知合いのイラストレーター、フジハラ・ミカさんが新しい事務所を仲間とオープンさせたというので、小林和美さんと一緒に遊びに行ってきた。その昔、ぼくら3人は同じデザイン事務所で机を並べて仕事していた時期がある。ミカさんが独立してからも時折イラストをお願いしたりしながら、ぼくらとミカさんは、気がついたら20年近いお付合いをしてきたことになる。
猫好きのミカさんらしく「コシカ(koshika=ロシア語で雌猫)」と名付けられたその新しい事務所は、彼女と編集者の雨宮千春さん、そしてデザイナーの池戸英明さんの3人をコアメンバーとしたオープンスタイルのオフィスとして誕生した。彼らは古い家具に手を加えて再生したり、ブリキの壁面や板貼りの床を効果的に残しながらリノベーションして、昔の小学校みたいな懐かしさを漂わせる不思議な空間を甲府の中心街に作り上げた。「ここから何か面白いコトが始まったらいいネ」というささやかな願いが、自然体でちょっとノスタルジックな美意識に包まれて、そこからひっそりと発信されていた。
それにしてもミカさんは不思議な人だ。最初に会った時からその印象は少しも変わることがない。物静かで万事において控えめな女性である。しかし芯には寡黙な強靱さを秘めている。それは愛着するものを信じ続けることへの意志の強さなのだと思う。彼女が愛用しているロシアのカメラ「LOMO」で撮られた、ちょっとフォーカスの甘い写真作品を見るとそのことがよくわかる。「かもめ食堂」に行くと、壁寄りの隅の席にちょこんと座っていそうな人なのだ。フジハラ・ミカよりもフジハ・ラミカとかフジ・ハラミカみたいな、国籍不明だけど、どこか見覚えのある懐かしさを内包する美意識が独特なのであって、そこに多くの人が惹きつけられる秘密が隠されているような気がするのである。
面倒くさい話はミカさんには似合わない。時折、大好きな小動物の話なんか聞きながら、最近描いた作品をちらっと見せてもらえたらうれしいな。

Above _ Wayward oil/canvas
Below _ !The Diet oil/panel
Copyright : Whyn Lewis

2007.5.22

Vashti BunyanのCDジャケットで発見した動物肖像画アーティスト、Whyn Lewisのことを少しだけ調べてみた。彼女の作品を管理しているロンドンのPortal Galleryのサイトによると、Whyn Lewisは1973年にVashti Bunyanと同郷のイギリス・エンジンバラで生まれている。彼女の親たちは馬が引くジプシーワゴンに暮らしてたそうだ。(そういえばVashtiの「Just Another Diamond Day」のジャケットには何枚ものジプシーワゴンの絵や写真が挿入されていたけど、ほんとうにこんなに小さなワゴンで暮らすことができるんだろうか?)LewisはGorse(ハリエニシダ)の薮の名にちなんで名付けられたという。黒いWhippet(ホイペット〈レース用の犬〉)Indieを伴って入学することを特例として認めたという寛容なグラスゴー美術学校に16歳で入学している。以来1995年まで、絵画友達でもあった愛犬のIndieだけを描き続けたと言われている。彼女のインスピレーションの源となったIndieとは、深い絆で結ばれていたようだ。1994年のスコットランドアカデミー「Maude Gemmel Hutcheson賞」受賞を皮切りに、イギリス国内で数々の受賞経歴を重ねてきた女流画家、Whyn Lewis。
一貫して主要なモチーフは犬。時折うさぎや馬なども登場する。彼女の描き出す動物たちは、単なるアレゴリーを超えて、象徴的な生き物としての優雅さをたたえている。とにかく彼らは美しい。Lewisの彼らへの共感や憧憬、驚嘆や畏怖の念がその筆先から溶け出し、静かにカンバスの表層で凝固し、じっと身を潜めているようだ。極東の島国絵師、応挙若冲の動物画は文句なしに素晴らしい。そして現代、極西の島国で生み出されたこの静謐な動物たちもヨーロピアンな香りを纏い、どこか愛らしい。残念ながら画集は出版されてないようだ。こんな絵なら1枚欲しいと思った。Portal Galleryで購入すると$3,550〜$9,750くらい。フ〜ム…。でも、好きな作品はほとんどSoldでした。

18日、六本木ヒルズ内レストラン
「ウォンズシノワ」にて。

2007.5.18

中沢新一さんの最新刊『ミクロコスモス』の版元である四季社主催の「『ミクロコスモス』発刊打上げ会」に出席。散会後はすぐ近くの六本木SuperDeluxeで開催されている坂本龍一さんのイベントに中沢さんが出演するということで、数時間前に六本木ヒルズにあるレストランに、著者と「チーム・ミクロ」、それにIAA(多摩美・芸術人類学研究所)スタッフの皆さんが集合。ライトアップされた東京タワーを眺めながら、発刊を祝うひとときを過ごし、久しぶりの再会を楽しんだ。集合写真後列向かって右から編集者でclover books代表の平林享子さん(ブルー)、IAAスタッフの大澤さんと深澤晃平さん(共に白)、前列右はIAAスタッフの石倉敏明さん(白)、そして中沢新一さん(オレンジ)とぼく(ピンク)。
ところでIAAの名刺にはオレンジとブルーとピンク3つのバージョンがあって、見事に当夜の著者と「チーム・ミクロ」は、IAA仕様にカラーコーディネートされていた。芸術人類学的なカラーはやっぱりこーでねぇ〜と。(寒いオヤジギャグでごめんなさい)
先月末NHKで放映された「爆笑問題のニッポンの教養」芸術人類学研究所編でメジャーデビューを果たした石倉さんと深澤さんは(もう一人のスタッフ金子さんとともに)タマビ・オギヤハギとかタマビ・オリエンタルラジオとか言われてるそうで、いや、TVの影響力はすごいというか、侮れないものがある!好評につき再放送という話もあるようなので、見逃した方、今度こそぜひどうぞ。
これから預かっていた文化財を返却しに行かなければ、と緊張した面持ちで早めに席を立った四季社の北村さん、今夜はどうもごちそうさまでした。これからもよろしくお願いします。