Above-L_"Something cool"Cover
Above-R_"vou"Cover
Below-L_"黒田三郎詩集『ひとりの女に』"(1954)
Below-R_木原孝一詩集"星の肖像"(1954)

2007.9.01

古書ファンの間で人気の高かった黒田維理(Kuroda Iri)の詩集『SOMETHING COOL』が先ほど、如月出版から覆刻された。昼はドクターの詩人であったという黒田維理。本書は50年後に復活を果たした幸せな詩集だが、ぼくの本当のお目当ては、この詩集の装幀、そして序文を寄せている北園克衛(Kitasono Katsue)である。
北園は詩を書き、絵を描き、「プラスティック・ポエム」と呼ばれる静物写真を撮り、さまざまな書籍の装幀をこなし、自ら編集・執筆・デザインする機関誌を亡くなる76歳までつくり続けた。マルチな活動ぶりに逆らうように、肩書は終生「詩人」ひとつだけ。一貫して「詩」を通して世界見つめた姿勢はとても潔い。表現されたもの総体が、彼の「詩」そのものであった。
1924年、若い北園を直撃した「バウハウス・ショック」は強烈なものだったようだ。絵画・建築・文学・音楽を通じて同時的に沸き立ったヨーロッパ・モダニズムの巨大なかたまりは、それまでの彼の作風を一変させたと言われている。ぼくは、北園が受け取った最も素晴らしいモダニズム精神は、決して専門性に向かわなかったことだったと思う。多くのスペシャリストの塀を軽々と飛び越え、実にさまざまなエッセンスを軽妙に結集させていく手法によって、戦前の日本における新種の知的でクールな表現を獲得したのだ。
北園克衛のライフワークとも言える機関誌『vou』(ヴァウ)のオリジナルを見たことがある。訪れた仕事先の多摩美術大学で、学内にある芸術学科「現代芸術アーカイヴ」企画室には160号までのほぼすべての原本が保管されていると聞いたので、ぜひ見せてほしいとお願いしてみた。おそらくこれだけ充実した『vou』の所蔵は他に類を見ないだろう。丁度、資料の整理をしていたスタッフの方が貴重な原本をぼくの前に積み上げてくれた。素朴な印刷だが、当時の活版文字の力強さが印象的だ。どの号からも、北園特有の軌道と着地感が伝わってくる。いくつになって、何してたっていいのだと語りかけられているような気持ちになり、70代の老人がほんとうにこんな機関誌をつくっていたのだという事実に勇気づけられたのだった。
ところで、ヨーロッパ然としたモダニスト北園も素敵だけど、ぼくが惹かれてしまうのは(下2点の詩集ような)小ぶりで簡素な装幀だ。ぼくのもう一人好きな装幀家と通底するものがある。その一人とは、芥川龍之介の盟友でもあった小穴隆一。上手いとか下手なんてほんとうはどうでもいいこと、君は楽しんでつくっているのかい?と問いかけられているようなゆったりとした仕事ぶりが心地よい。小穴が担当した芥川本では、『春服』や『支那游記』が特に素晴らしい。タイプは異なるが両者に共通するのは、気負いのないふくよかな手触り感の残香である。
北園が装幀家として残した何冊もの詩集の向こう側には、本名である橋本健吉の原風景が透けて見える。ほんとうに好きなものと好きなように遊んでみたらこうなったんだよ、と詩集たちはぼくに語りかけてくる。『梁塵秘抄』のあの有名な「遊びをせんとや生まれけむ」の一節が聞こえてくるようだ。(北園克衛関連サイトでは、多摩美術大学「北園克衛文庫」やイラストレーターの原田治さんの運営サイト「北園克衛.com」などが充実しているので、興味のある方はぜひご覧あれ)

Above_"homage to spirale:1&2" Detail
Below_"homage to spirale:3&4" Detail

2007.8.16

62回終戦記念日の今月15日から20日まで、甲府駅前の山交百貨店で平和ポスター展が開かれている。ぼくの所属している(社)日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)は、1983年から(財)広島国際文化財団とポスターを毎年1作づつ共同制作し、「ヒロシマの心」と「平和」を内外に呼びかけるキャンペーンを展開してきた。数年のブランクもあったがこのシリーズは今年で10作目を数える。山梨では初となるこの「ヒロシマ・アピールズ・ポスター展」とジョイントするかたちで、実行組織であるぼくらJAGDA山梨地区の会員もポスターを出品している。
「反戦」「核廃絶」や「平和」は重い重いテーマである。ポスターで表現することの意味も問い直さなければならない。こうした想いを抱えながら話し合った結果、結局ぼくらはテーマは設けずに各自自由に個人としてのアピールをすることにした。
戦後日本のグラフィックデザイン界において、ポスター表現は創成期よりデザインの華として君臨してきた。日本人特有の繊細さと根気強い情熱によって、今日では世界でもトップクラスと言われるまでにその表現を洗練させてきたのだが、ぼく個人としては、印刷技術がデジタルプリントと共存する時代に突入した頃から、もう従来のようなポスターはメディアとしての役割を終えつつあるのではないかと考えていた。
携帯の普及に伴いビジュアル表現は想像以上に極小化し、逆にまた大型デジタル出力環境の成熟化によって、ポスターよりはるかにスケールの大きい訴求も可能となってきた。手のひらにすっぽりと収まってしまう小さな器械や大きな商業空間に今日のように多彩なグラフィック表現が満ちあふれるなんて、20年ほど前に一体誰が想像しただろう。
ぼくは技術やメディアの変革によってポスター表現が衰退してきたと言っているのではない。二十世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドからポスターというカタチをとっておよそ100年に亘って展開されてきたパッションはこれからも綿々と世代を越えて継続されていくことだろう。朝つくったポスターが夕方の街角に貼り出されるようなダイレクトなメディアとして、ポスターは本来の姿に回帰してゆくのかもしれない。あるいは極小から極大まで幅広いレンジにパッションは分解され、分化していくことも予想される。今問い直されているのは、美術指向を潜在させて、ダイレクトなメディアとしての機能を背景に押しやってきたポスターの様式そのものなのかもしれない。
これを機に、自身にも同じ問いかけをしてみようと考えた。そこでぼくは、ポスター様式に懐疑的でなかった頃つくった連作をあえて出品することにした。そこには当時のぼくなりの平和への想いもこめられていたからである。上の4点は『homage to spirale :「スピラーレ」に捧ぐ』というタイトルのつけられた出品ポスターの部分接写カットである。ポスターには次のようなコメントが添えられている。
「『Spirale(スピラーレ)』は1953〜1964年の間にスイスで発行された美術雑誌である。カンディンスキー、パウル・クレー、モンドリアンといった構成主義の画家たちはそこでさまざまな「若い芸術」のための異部門間による国際的フォーラムを試みた。この4連ポスターは、運動体『Spirale』のダイナモとなった初々しい試みの数々に捧げるオマージュである。どんな時代も、“はじまりの心”に希望は集う。半世紀前、わたしたちの世界に誕生したこれら“はじまりの心”の萌芽は、幾多の異種交配を経た真新しい樹木へと成長を遂げ、未来の子どもたちの前に大きくその枝葉を広げることとなるだろう。なお、各ポスターのビジュアルエレメントは本書から引用し再構成されている。」

Above_"Tanz Walzer" Cover
Below_"Tanz Walzer" Spread
Copyright : QURULI. Victor Entertainment, Inc.

2007.8.06

ワルツを踊れ」(Tanz Walzer)を発表したQURULI(くるり)というバンドのことを、ぼくはほとんど知らない。知ってることといえば、結成以来の10年間メンバーチェンジを繰り返し、7作目となるこの最新作は残ったメンバーである京都出身の岸田繁と佐藤征史によって、ウィーンやパリで現地ミュージシャンとともに4ケ月間かけてつくられたということくらいだ。でも、そこに収められている音楽のことはよく知っている。ちょうど40年前の1967年、それこそ擦り切れるくらい繰り返し聴いていた音楽とそこで久々に再会したからだ。これは、まぎれもないぼくらの時代の上出来なポップミュージックなんだと思う。クラシック音楽に影響を受けたアルバムだという記事を以前見かけたけれど、むしろ多様なジャンルの音楽がスリリンングに編み込まれていて、クラシック音楽はそんな楽曲のひとつの要素に過ぎないんだという印象が強い。
それにしてもあれから40年後に、才能ある日本の若者のつくったこんな音楽と出会うことになるとは思ってもみなかった。最初聴いたときには何となく関西版「Moonriders(ムーンライダース)」みたいな印象だった。しかし聴き進むうち、はっきりと見えてきたアルバム全体を包み込むトーンは、ぼくのよく知っている音楽に近いものだった。ロック・ミュージックの金字塔と言われる、BEATLES(ビートルズ)の「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND(サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)」のことである。あの時、プロデューサーのGeorge Martin(ジョー ジ・マーティン)が、ビートルズの感性を通じて伝えようとしたものを、いま極東の国で再現したらこんな風になるのではないだろうかと聴きながら、ふと考えた。「よりによってあんな名盤を引き合いに出すなんて!」という批判も聞こえてきそうだが、書物に誤読があるように、音楽にも誤聴があったっていい。クラシック音楽も誕生した時はある意味ではポップミュージックだったんだし、ポピュラーとなった民族音楽のひとつなんだと考えると、とっても自由な気持ちになってくる。軽やかにそして同時代的に、文化も様式もシャッフルし表現し尽くそうとする試みは、力強い肯定の意志に支えられていてとても心地よい。音楽のもっている力や可能性が、肯定する喜びを通じてひしひしと伝わってくるのだ。こんな再会なら、何度したっていい。

Above_
"exercices de style"Cover & Door
Below_"exercices de style" Spread
「文体練習」
レーモン・クノー/朝日出版社刊

2007.7.25

レーモン・クノーの「文体練習」というこの本のことをぼくに教えてくれたのは、編集者の平林享子さん。一緒に取り組んだ仕事の打ち合わせの中で、平林さんお気に入りのデザインとして紹介してくれた一冊だった。扉にも登場している二人の男にまつわる些細な出来事が、およそ100通りの文体で書き分けられている。原書はフランス語を学ぶ際の格好のテキストとしても有名な本なんだそうだ。松岡正剛さんの「千夜千冊」にも取り上げられていて、あの編集工学の提唱者・松岡正剛氏が「それにしても、ものすごい編集手腕である」と絶賛をするほどの書物なのだ。たしかに文句なしに面白いし、何と言っても翻訳が秀逸。それぞれにクセのある文体がこんな見事な日本語に置き換えられてしまうなんて脱帽ものである。
しかし驚いたのはそれだけではない。造本と本文レイアウトを担当した仲條正義さんの仕事ぶりがこれまた素晴らしい!テキストごとにクノーの技に拮抗するような実験的試みが展開されていて、ページを開くとついつい引き込まれてしまうことになる。墨と赤2色による配色、そして書体や文字組といった限られたツールを駆使して、ほぉ〜、今度はこうきましたか、という感じで次々とレイアウトの技を繰り出してくる。まるでこれでは「文体練習」ならぬ「視覚配置練習」ではないか。二重の練習本となっているわけだ。なるほど造本にもこんな可能性があったのかと感心させられ、仲條さんの衰えることを知らないラジカルで洒脱な試みについ心が踊ってしまう。時空を越えて、原作者と翻訳者、それに装幀家の三者がまるで並走するかのようにしてつくりあげられたこの小粋な本は、所有する者をなんとも幸せな心持ちにしてくれるのだ。

Above_Sellected Paintings & Collages
Below_Excerpe from WHY WE GOT THE SACK FROM THE MUSEUM
Copy Right : David Shrigley

2007.7.12

David Shrigley(デイヴィッド・シュリグリー)はイラストレーター。それもちょっとアブナイ奴だ(とぼくは勝手に思ってる)。Esquireで2005年の1年間、予告ページに単色線画のイラストを描いていて、それがとても印象的だった。ブラックで暴力的な作風を売りにするイラストレーターは大勢いるけど、このオバカさはちょっと得難くて、すごく魅力的。なかなかこういうイラスト、日本ではお目にかかれない。ぜひ一度彼の作品を使ってデザインしたいと思っているが、チャンスがなくてなかなか願いは叶わない。
デイヴィッドは1968年英国マックルスフィールドの生まれ。2年前に出版された「The Book of Shrigley」が英国で爆発的な人気を呼び、今や本国では話題のイラストレーターとなったデイヴィッドである。
本人は「念入りに描いた落書き」と自作を評しているそうだけど、彼の心の中に渦巻いている「乱暴なもの」「病的なもの」「怒り」「アイロニー」「ブラックユーモア」「けだるさ」「パンク」「挑発」なんかが、無造作に吐き出されていて、そこにある種の必然というか宿命的なものを感じてしまうから、くどいようだけどやっぱり彼はアブナイ奴なんだと思う。事実、Esquireに掲載されていたインタビューでは、文学青年のようなナイーブなルックスとは対照的に「僕は生来怒りっぽいたちだから、心の中の汚いものを作品に吐き出しているのかもしれない。それで助かっているんだ。でないと精神病になって、人を殺してしまうかもしれないからね」(Esqire 2006. Vol.20 No.3 61pより引用)なんて物騒な発言もしている。
ペインティングやドローイングに加え、クスッのアニメーションやテヘッな彫刻、さらにはお茶目な写真まで、彼の表現フィールドは実に多彩で、そのいずれにも彼の心の汚いものが律義に吐き出されているから面白い。これはもはや相当にねちっこくて野暮なアートの領域。Francis Bacon(フランシス・ベーコン)やWillem de Kooning(ウィレム・デ・クーニング)同様、軽妙でお洒落なスマートさとは対極にある、やるせなくてヘビーな心の産物だ。でもこの魅力、簡単には抗えないものがある。

Left_2003 Feb. Esquire Cover
Right_2007 Jun. Esquire Cover
Copyright : Esquire Magazine Japan

2007.7.01

職業柄、雑誌を何誌か定期購読している。中でも10年以上に亘る長期講読は「エスクァイア日本版」の一誌のみ。その歴史はとても古く、1933年に「米版エスクァイア」が男性誌として創刊され、日本版も今年で創刊20周年を迎えるというのだから、老舗商業雑誌の代表格といえるだろう。米日の他に韓国、中国、台湾、タイ、インドネシア、香港、トルコ、それにオランダ、ギリシャやロシアと、ワールドワイドに展開されているこのカルチャーマガジンは、「Art of Living」というフレームの中に筋金入りのエスクァイア・ワールドを構築してきた。これだけの歴史と広がりをもつ雑誌は世界でもそう数多くない。
新しい時代を映す教科書のような雑誌だという評価もあれば、見方によっては広告以外の誌面も商品カタログとして機能する洗練された大人のセレクトショップ・マガジンだという見方もある。いずれにしても、長きに亘って安定した読者層に支持されてきたのは、伝統的に継承されたその編集能力に拠るところが大きいのだと思う。当たり前のことだけど、雑誌の質と完成度は掲載情報をいかに削ぎ落とし厳選するかといった選別能力に大きく左右される。
しかし、ぼくが惹かれ続けている理由はそこにあるのではなくて、そのデザインにある。AD(Art Directior)は、この10年ほどずっと桜井久さんが担当している(初代ADは木村裕治氏)。an.an、ポパイ、Olive、BRUTUSなどのADとして雑誌の黄金期を築いた、洒脱の巨星と呼ばれる堀内誠一以後、マガジングラフィックス界には3本の大きな流れが生まれたと言われる。木村裕治、岡本一宣、そして藤本やすしの3氏を源流とする系譜の誕生だ。この桜井さんは御三家の一人藤本やすし氏が1983年に設立した「Cap(キャップ)」の創設メンバーにも名を連ねているベテラン・デザイナーだ。
とにかく桜井デザインは決して前に出過ぎることがない。そのさじ加減は絶妙で、つくづくこれはプロの技だなぁ、と感嘆させられる。フツーの中にその雑誌特有の芳香と時代の空気感を漂わせるのは、実はとてつもなく難しいことである。マガジングラフィックには、写真や文字を自在にコントロールする高度な技術と、常に時代の匂いを嗅ぎ分け必要に応じて微妙に誌面をデフォルメし続けるという繊細で柔軟な技が要求されてくる。まさに雑誌は生き物。時代に寄り添って呼吸し続けなければ、あっけなくその生命力は失われてしまう。そこに雑誌づくりの難しさと面白さがあるのだと思う。