from "DUTCH LIGHT"

2007.12.03

晩秋のある調査に同行した帰路、中沢新一さんから「オランダの光」という作品を見たことあるかと尋ねられた。「素晴らしいドキュメンタリーだよ」と勧められたので、さっそくアマゾンから取り寄せてみる。
「オランダ名画の源となった自然光“オランダの光(DUTCH LIGHT)”は、果たしてまだ存在するのか?」(DVD解説より)をテーマに、映像作家デ・クローン監督率いる撮影クルーが、地球を〈横断〉し、歴史を〈縦断〉して制作した濃密なドキュメンタリー作品。数々の受賞も頷ける出色の出来ばえだ。
日本ではまず見られないような地平線で分割され、1日に四季が訪れるといわれるくらいめまぐるしく天候が変化するオランダの様々な風景や南仏プロヴァンス、アリゾナ砂漠の映像を織り交ぜながら、全編、アーティスト、気象学者、天文物理学者や美術史家、農夫やガイドらによる分厚いインタビューで構成されている。
光そのものは見えない。しかし光が射せば物は見える。そして目に見える世界は描くことはできるが、見えたままを描くことでは世界を捉えることはできない。なぜなら描くことは解釈することで、描画法の発想も解釈の結果なのだから。このように光の存在は人間に解釈することを要求しているのだが、この不可思議な光の存在を人間は長いあいだ、科学や芸術など様々な分野を通じて考察し続けてきた。
この作品では、“オランダの光”は地形や気象条件がもたらす固有な自然現象にとどまらず、自然と向き合う人間の特性までも含めたものとして捉えようとしている。
例えば絵画について考えてみる。イタリア人はそこに物語を、スペイン人は叙情を塗りこめるが、オランダ人はただひたすらその対象物を見つめ続けるのだという。作中で指摘されているこうしたオランダ人の特性はフェルメールの作品などに如実に現れていて、見つめることを探求し辿り着いた至高の到達点がそこにある。さらにこの画家について印象的な言葉があった。フェルメールもモンドリアンも変わりはないというのだ。この2人によって描かれた光はまったく同じものであるという指摘はとてもスリリングだ。具象と抽象の両先端に位置づけられるこの2人のオランダ人画家が時空を超えて実は同じものを描こうとしていたとは!世界を見る眼に、具象も抽象もないということか。
ぼくは若い頃、どうしても風景画を描くことができなかった。風景を前にして絵筆をとると、とたんに途方にくれてしまうのだ。この作品を見ていてやっと自分のミッシングリンクが何であったのか気づかされた。混沌を解釈する眼を持ち合わせていなかったのだ。自由や感性を決して芸術の免罪符にしてはならない。
奔放さは人間の愛すべき特性のひとつだが、やはり表現にとって緻密さは欠くことのできない必須要素である。測量する眼。科学する眼。解釈する眼。思考する眼。そして技法の蓄積とその応用。そうした緻密な集積の結晶として美しく慈しみの光に満たされた空間が、或る日或るとき或る場所で、奇跡的にもこの世界に誕生するのだと思う。