2013.5.02

先日、所用で長野の小諸に行ってきた。小諸といえば、強行遠足。何の事やら一向に???な人には謎であっても、経験者には「あっ、あのことね」と瞬時に理解できる、今回はそんなちょっとパーソナルな話題です。

小諸と聞けば条件反射的に甦るのが、この強行遠足と呼ばれる母校だった高校の思い出。何しろ大正13(1924)年から2012年まで86回も続いた、全国的にも有名な長距離歩行行事なのだ。男子は夕方、学校から出発する。そして翌日の昼まで20時間の制限時間内に、甲府から小諸までの佐久往還(102.1km)を歩ききるハードなコースに毎年、全学年の生徒たちが挑戦する。女子は日中、三軒屋から小海までの全長33.0kmに挑戦。ただし、これはぼくが在学していた頃の話なので、時代によってコースはさまざまに変遷を重ねている。

年表によると、女子が初めて参加したのが昭和25(1950)年。そして、男子コースに終点が設定されたのは昭和37(1962)年の事で、それ以前は行けるところまで行ってよいというスパルタンなルールだった。親友の中沢新一さんともよくこの話題で盛り上がったものだが、曰く、過去の猛者は気づくと日本海が見えてきて新潟まで到達しちゃったそうだよと言うのだが、いくらなんでもそれはないでしょう。真実はこうである。到達地の最長記録は昭和32(1957)年に樹立された、長野県大町市簗場(やなば)までの167.1km(1人)。学年は明記されていないが仮に3年生だったとすれば、昭和14年生まれあたりで、ご存命なら74歳くらいか。いや、これほどの記録保持者であればきっと今もご健在なはず。

当時のぼくはスタートした日の日付が変わらないうちに戻ってきてしまう軟弱な高校生だったが、せっかく入学したんだからと、2年生の時一度だけ真剣に挑戦したことがある。最初から終点を目指し、順位を競おうと考えている生徒たちは、まず意気込みが違う。のんびり歩き出すぼくらを尻目にスタート地点から走り出し、数十キロはマラソンで先頭集団を構成しながら競い合う。そんな根性も体力もないぼくは、ただひたすら亀のようにテクテクと歩き続けることにする。同レベルの友人たちと散歩気分でワイワイ冗談言い合いながら、それはそれでけっこう楽しく小諸を目指す。 長時間歩き続けると足にできるマメによってリタイアを余儀なくされるケースが多い。そこでスニーカーにパッドを敷いたり、地下足袋やワラジまで試したり、校友らは思い思いに工夫を凝らして臨んでいたが、ぼくは少しくたびれた履き慣れたスニーカーで、むしろ歩き方に注意しようと考えた。意識したのは、架空の白線の上を両足で踏みながらできる限り真っ直ぐ、一定の速度を保ちながら歩き続けることだった。これが功を奏したのか、マメに苦しむこともなく順調に距離を消化していった。しかし、日も暮れて峠道にさしかかる頃には、連れは一人二人と離ればなれとなり、足取りとともに口数も次第に重くなってくる。一休みしたらそのまま立ち上がれなくなるような気がして、とにかく辛抱して歩き続けた。日付の変わる頃だったろうか、真っ暗な山道で、気づくとぼくは一人っきりになっていた。不思議なことに心細さは感じない。この非日常的な状況を楽しむ余裕が生まれてきて、なんだかこのまま、どこまでも歩いて行けるような不思議な自信さえ沸いてきた。

そのうち、気を紛らわすために何かしてみようと思い立ち、当時夢中になっていた宮沢賢治の詩集『春と修羅』の序を暗誦してみることにした。「わたくしという現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」という、あの有名な一編だ。ところが中盤の「…(あるいは修羅の十億年)…でさしかかると、その先の「すでにはやくもその組立や質を変じ」がどうしても出てこない。何度繰り返しても、はやりそこで止まってしまう。夜道で一人悩んでいても仕方ないので賢治は断念することにした。

そこで今度はビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)」を丸ごと歌ってみようと仕切り直すことにした。楽曲すべてを架空のブラスバンド「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のショウに仕立てたこのアルバムは、世界初のコンセプト・アルバムといわれているが、オープニングからエンディングまで組曲風に楽曲がパッチワークされているので40分近く一気に歌い続けることができるのだ。多くの音楽好きの若者たち同様、ぼくも意味などよく理解してなくても、そらで歌えるくらい聴き込んでいたので、一人アカペラでなんとかエンディングまで歌いきることができた。カラダは長野の山道をテクテク歩いていても、その間ココロは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の一員だ。

そうこうしているうちに、海ノ口の手前の坂道が折り重なる山中にさしかかる。底冷えがもっとも堪える時刻だ。すると前方にうどんの屋台が見えてきた。電灯越しに立ち上る湯気が「熱いうどんで、冷えた身体を温めなよ」とぼくを誘惑している。悪い予感が一瞬よぎったが、おにぎりも食べ尽くし、寒さと空腹に抗えずその湯気の誘惑にぼくは負けてしまった。うどんは信じられないくらい美味かったけど、予感通りその後1時間、腹痛に苦しみながら貴重な時間を無駄にしてしまった。何とか遅れを挽回しようとしたものの、努力も空しく終着点の10kmほど手前で敢え無く時間切れ。うどんさえ食べなかったら俺も小諸に…という、ちょっと情けない悔いとともに、ぼくの強行遠足初挑戦は幕を閉じた。

「だったら翌年もう一度チャレンジすればいいのに」とか「OB強行遠足もあるし」とか言われそうだけど、目標達成に向かっての挑戦を目指していたわけではなく、一度きりのプロセスこそが重要なんだと思っていたので、ぼくの強行遠足はそれでおしまい。「パンタ・レイ」(人は同じ川を二度わたれない)と、かのヘラクレイトスも言っている。(丁度その日は、この言葉を引用していた写真家、田中孝道さんの小諸のアトリエに向かっていた)

思い返せば、この経験がぼくに残してくれたものは決して小さくはなかった。一定のペースで、無理さえしなければ、どこまでも歩き続けることができる。その夜ぼくの中に芽生えたこの根拠のない自信は、その後の人生で「継続することの力」へと繋がるバトンを用意してくれた。この「継続は力なり」の出典は、住岡夜晃(すみおか やこう)という、大正から昭和初期に広島で活動した宗教家の詩なのだそうだ。それはこんな讃嘆の詩(さんだんのうた)の一節。

青年よ強くなれ

牛のごとく、象のごとく、強くなれ

真に強いとは、一道を生きぬくことである

性格の弱さ悲しむなかれ

性格の強さ必ずしも誇るに足らず

「念願は人格を決定す 継続は力なり」 (後略)

ぼくの「継続力」はそんなに立派なものじゃないけれど、コツコツと積み重ねることでもたらされる、なにがしかの力については少しだけ実感することはできたと思う。

しかし、あらためてその道程を辿ってみると、よくまぁこんなに長い道のりを一気に歩き通したものだと、今更ながらに当時の若さの潜在力に驚いてしまう。と同時に、それから半世紀近く経ってSPORTS CARでその道のりを追体験する現在の自分にもちょっと複雑なものがある。あるのだが、それが時間の経過というものではないかと納得するもう一人の自分がいる。