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"Peace, Ideology and Fraternity"
Dramatized photo, 1915,
The Stables, The Workshop,
Women Sculptor, Three generations
( Italian Photographs Volume 13 )

苦手な教育

Education
2012.11.01

いつの時代もすぐれた教育者を社会は必要とする。人の育て方は、育てる人の数だけあるし、草木や野菜と向き合うのと同じように、誠実に愛情を注ぎ込み時間をかけて取り組まなければならない。ぼくにも出会うことのできた良い先生が何人かいた。反面教師も含めたら、その数はさらに増えることになるが、その時どきの出会いによって、ぼくの人生は微妙な軌道修正を繰り返してきたように思われる。
だから、歳を取りそれなりの経験を積んでくると、今度は自分も少しは恩返ししなければならないと考えるのだが、そこで、はたと途方に暮れるのだ。いったいどうしたら、人を育てるなんてことができるのだろう。考えれば考えるほど、まったく自分には能力の与えられていない不得意な分野なのだと痛感することになる。ただひとつだけ出来そうなことがある。育てることは無理だとしても、いっとき誠実に向き合うことなら、このぼくにもできるのではないか。
たまに事務所には働きたいと希望する若者の問い合わせが入ることがある。冷やかしでなく、熱意をもって希望していると感じた若者には、採用することはできないが、出来るだけ丁寧にお断りをするよう心がけている。
10年ほど前、サイトを見て入社したいと希望してきたひとりの学生がいた。彼は愛知の美術大学で学んでいて、卒業を間近に控えていた。彼の出身地でもある山梨の国立大学がシンボルマークを一般公募した際、見事に入選を果たした若者が実は彼であることをぼくは知っていた。それは大学から、決定したシンボルマークのアプリケーションデザインについての相談を受けていたからだ。彼はまだやや荒削りな学生らしさを残すものの、才能ある若者だと感じていたので、ぼくは送られたきた作品集の返事を出すことにした。思いのほか長文だが、以下がその全文である。巻末には、そのMくんからの返信メールも付記した。
結局、Mくんは無印良品のADでも知られる廣村正彰さんが主宰する廣村デザイン事務所に入社した。2008年には「日産自動車デザインセンター」のサイン計画で第15回CSデザイン賞金賞を廣村さんとの共同制作により受賞するなど、おもにサイン部門のデザイナーとして活躍しているようだ。結果的に彼のリクルート活動は大成功だったと思っている。
*
Mさん
ポートフォリオや履歴書、受取りました。お手紙もありがとう。
作品集はとても丁寧にまとめられていて、きちんとデザインと向かい合おうとしているMさんの姿勢が伝わってきました。若いデザイナーが陥りがちなテクニック先行の広告的あしらいもなく、バランス感覚のよい、好感のもてる仕上りとなっています。
習作色は現場での体験を積んでいけば薄くなっていくはずですから心配する必要はないでしょう。特に新聞記事をモチーフにした試みが面白いと思いました。こうしたトレーニングは、エディトリアルデザインに直結していって、すぐに活用することができそうです。
中部地域は岡本滋夫さんを中心としてポスター表現のとても盛んなところですよね。ポスターはずっとグラフィックデザインの華として君臨してきました。福田繁雄さんの反戦ポスター「VICTORY」などは、近代日本デザインの傑作のひとつとして評価することができると思います。
しかし日本の場合には、ポスターはややアート志向の強い発展を遂げてきてしまったように感じられます。その背景には、日宣美世代の大御所デザイナーたちを中心としたポスター至上主義があり、さらに言えば、それらは戦後デザイナーのアーティストに対する劣等感の裏返しであったのかもしれません。
本来、ポスターはロシアにおいてプロパガンダの手段として誕生したものです。ヨーロッパのデザイナーたちはアート志向など何処吹く風、1〜2色のポスターを朝デザインしたら、すぐに印刷に回し、翌日には路上に貼り出すんだという話を以前聞いたことがあります。つまりポスターは本来、こうしたスピード感をともなうダイレクトなメディアなんだということです。逆にずっと手元に残されていく書籍のデザインなどには、彼らは気の遠くなるような手間暇をかけてとても丁寧な仕事をしています。
ですからMさんのような若い人たちには、デザイン村のヒエラルキーの象徴として君臨してきたポスターの継承など無視して、果敢に向き合ってほしいと思います。ヴィジュアルメッセージの現場は今や、小は携帯電話の画面から、大は建築物に組込まれたり商空間に展開されたりと、大きく変貌をとげようとしているのですから。
これからどんなデザインとかかわっていくのかがひとつの問題となりますね。ひとくちにデザインといっても、もちろん様々な現場があります。たまたま入った職場から活動範囲を専門化していくというケースもあるでしょう。都市部に就職した人に多いケースです。逆に広いジャンルにまたがって全方位的な活動を志す人もいるでしょう。地方ではコンパクトな活動であれば可能となりますが、都市部ではメジャー・デビューを果したデザイナーでないとなかなか許されないことでしょう。
つまり、自分のデザイナーとしての活動範囲をどのようにとるのかという問題は、どこで働くのかという問題と密接にリンクしているわけです。
以前、岐阜県のデザイン・シンポジウムで講演した時に、デザイナーにおけるローカリズムについてこんな発言をしたことがあります。都市部で大きなビルディングを建てるプロジェクトに加わるという満足感もあるでしょう。地方で犬小屋みたいな小さな一戸建てを作りあげるという充足感もあるでしょう。都市部と地方を隔てているものは密度の問題だけです。質的条件は何ら変わることはないはずです。ですから地方で活動するデザイナーはメジャーな仕事に恵まれないということを盾にして、それを決してデザインの質の問題にすり替えてはいけない。と、まあこんな発言であったと記憶しています。どういう現場を選択するかは、若い人にとって悩ましい問題ではありましょうが、大事なことは自分がデザイナーとして社会とどのようにかかわっていくのが、自分にとって一番自然な方法なのかをよく考えてみることだと思います。そうすれば自ずからもっとも自分にふさわしい現場に近づいていくことになるはずです。
どんなジャンルについても言えることですが、今時代が求めているものはハイブリットなのだと思います。あらゆるレベルでの異種混合が必要とされています。新しい発想が求められているなんていう手垢のついたお題目は、まさにこうした必要性から噴き出してきているのです。ハイブリット現象が次々と生まれ出しているバイオテクノロジーのジャンルなどは、現代においては最もエキサイティングな現場のひとつといえるでしょう。どんなジャンルでも、オーソドックスでアカデミックなスタートをきった人々には、自身をこのようにハイブリット化していくことが今求められています。傍流から入ってきた人が活躍するケースが多いという事実も、このことと決して無関係ではないでしょう。
Mさんのポートフォリオを見てそんなことをふと考えました。それはとてもバランスよくデザインが捉えられていたからなのかも知れません。「遊び心」という意味ではなく、まったく異質なものをデザインに取込むラジカルさも欲しい、完成度が高いからこそついそんな欲がでてしまうのでしょうが…。
もうひとつ自分のものにして欲しいものがあります。それは言葉をもつことです。見ればわかるという姿勢はデザイナーを孤立させてしまいます。designの語源はde(前を=見えないものを)sign (しるす=現わす)ことだと言われます。しるそうとするものが言葉に置換えられないから視覚言語と言われるのですが、それはその能力を持った人でないとなかなか解読することはできません。残念ながら多くのクライアントに備わっているものではないのです。真摯にデザインと向き合えば、表現された色や形にはかならず必然性が出てくるはずです。どうしてこうなったのか記録した制作ノートを並行して残しておけば、もう一度客観的に自身を検証することもでき、なによりも確信をもってプレゼンテーションすることができます。自分の考え方を明快に主張することはとても大切なことです。もちろんそれがデザインの言いわけになっては何にもなりませんが、誰にでもわかる平易な言い方を心がけてください。業界用語を羅列しただけの代理店的用語では意味がありません。言葉に置換えてみることで散らかっていた問題がずいぶん整理されてくるものです。現にいま、Mさんにこんなに長い手紙を書いているのも、職場を求める若いデザイナーに自分だったら何を伝えられるんだろうか、少し整理してみたいという個人的動機もあるのです。言葉をもつことでデザインはさらに明快になり、力強くなってくれるはずです。
さて、就職の話をしなくてはなりませんね。私事になりますがかつてぼくは現代美術家を志望していました。しかし、70年代に始まったコンセプチャルアート(観念芸術)に失望してデザイナーを志しました。初めから就職するという選択肢はありませんでした。仕事は0から始めるものだと思っていたのです。デザインのデの字も通用しない商店主なんかと向き合いながら、手探り状態からの出発です。幸運な出会いもあって、クライアント、そして関連業者の人たちとの信頼関係を築きながら何とか綱渡りのようなデザイナー活動を今日まで続けてきました。ですからデザインはまったくの独学なのです。今の自分のデザインを支えているものは、実践の中でおぼえてきたことばかりです。クライアントの企業感覚とエンドユーザーの生活感覚、それを仲立ちするデザイン感覚、この三つのバランスの取り方は実践を通じて鍛えられてきました。これはおそらく特殊なケースなのでしょうが、このようにデザインとかかわってきたぼくに教えられることはあまりないのです。もっと正確に言えば、教えていくことにあまり興味がもてないのです。結局自分で飛び込み、考え、組立てていくしかないんだという気持ちがとても強いので、何か基本的な力をつけたいと考えているデザイナーに与えられるものはあまりありません。現場に対するこだわりが強いのかもしれませんね。教育機関からの誘いや審査員にも興味がわかないのは、受けてしまうと何か現役としての活動が終わってしまうような気がするからなのかもしれません。これまで成り行き上、ボスコで手伝ってくれたデザイナーたちとは、元上司としてでなくデザイナー同士としてのおつき合いをするようにしています。
とは言え、Mさんのようにボスコの仕事に共感を抱いてくれる人がいることは、とてもうれしいことです。時には給料はいらないから修業したいと言い出す人もいたり、以前、スイスにある美術大学の大学院生がデザイン年鑑でボスコの仕事を見て、海外実習の奨学金が国から出るので半年間働いてみたいと希望してきたこともありました。そんな時いつも思うのですが、人にはいくつかの能力というものが与えられていて、与えられなかった能力もあるのだということです。不安定な雇用状況という逆風条件はもちろんありますが、それよりもぼく自身が授かっている能力の問題が大きいように思われます。
Mさんにこうしてご返事を書いているのも何かの縁があるからなのでしょう。就職の希望者としてでなく、デザイナー同士としてのおつきあいをしていきましょう。ぼく自身、デザイナーの遠藤享さんや佐藤晃一さんとの出会いによって、それまでもっていたデザイン観を大きく変えられてきました。大切なことは、物怖じせず興味のあるものにはぶつかっていき、できる限り幻想を振り払って事実を見据えるリアルな体験を、若いうちから積み重ねることなのだと思います。

ボスコの仕事場をリフォームした時につくったブローシュアを同封します。もう5年も前のものになりますが、仕事をする空間や時間は、デザインをすることと同じように大切にしていきたいというぼくらの嗜好や姿勢が反映されたブローシュアとなっています。また共感する表現人たちへのオマージュでもあります。
印刷物はクイックマスターというイスラエル製のオンデマンド印刷機で刷られています。フィルムレスで通常のオフセット印刷に使われるインクとは異るものが使用されています。墨の階調が強調され、押し込みを強く感じさせるので、その版画に近い触感が気に入って時々使っています。
また、この文章はリョービイマジクスの本明朝新小がなで組まれています。(注:本文は縦組みの手紙)源流は金属活字「晃文堂明朝体八ポイント」から始まり、数次の改刻を経て最近デジタル化されたものです。キャラクターの不揃いが逆に判読性を高めていてとても不思議な可読性を発揮してくれる書体です。特に縦組みが美しいので、このところ愛用しています。デザイン情報としてご参考になれば幸いです。ではますますのデザインを。
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お返事どうもありがとうございました。
採用してもらえなかったのは非常に残念ですが、それ以上に感謝しております。
ポートフォリオを送ったのは、そちらの事務所が初めてだったんですが、
まさかこのような丁寧な対応をしていただけるとは思わず、非常に感激しました。
そして、デザイナーを目指して本当に良かったと思いました。
いつかデザイナー同志としてのお付き合いをしていただけるよう
これからも努力していきたいと思います。
本当にどうもありがとうございました。
御社の増々のご発展を心よりお祈りしております。
M


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