Tools image of the graphic designer
of the 20th century

アナデジ雑感

Digital-Analog
2012.9.02

アナログ時代のグラフィックデザイナーたちは、さまざまな道具を駆使して仕事をしていた。例えば、用途に応じて硬さや太さの異なる鉛筆や筆を使いこなす。便利なロットリングというブラックインクで描く極細ペンが発売されるまでは、鴉(カラス)口と呼ばれる道具で微妙に太さをコントロールしながら線を引いていた。常にシャープなラインを維持するために、職人みたいに暇さえあれば鴉口を研いでいた。

鴉口で1mmの中に何本の線が引けるか競ったという逸話も残っている。デザイナー、浅葉克美さんの十八番もこの鴉口にまつわる話で、ぼくはライブで聴いたことがある。

「若い頃、ぼくは1mmの幅の中に12本の線を引くことができました。誰にも負けないと自負していたのに、ぼくよりすごい男が一人いた。何と彼は1mm幅に14本も線を引いてしまった。しかしその後、彼はとうとう気が狂ってしまったんです。ぼくは何とかすれすれのところでやってきたが、何事もほどほどが肝心なのです。」 フツーでないことがデザイナーの勲章だった時代のお話だが、今はフツーの定義も単純ではない。そんな多様性の時代に、フツーを自分なりに認識しながら、やはりフツーでないところからデザインの一歩を踏み出すことの重要性はまったく変わっていないとも思う。

アナログ時代のデザイナーたちの道具といえば、スケッチブックに厚紙やトレーシングペーパー。カラーペンやパステルや水彩絵具にアクリル系絵具。ハサミや用途別に用意されたカッターナイフ。そしてコンパスやスケール類、雲型定規にディバイダーと呼ばれる分割器も必需品だった。加えて、スプレータイプやペーパーセメントといわれるペーストタイプの各種接着剤に、ソルベックス呼ばれていたシンナー系洗浄液と消しゴムや練りゴム、そして砂消しゴム。その他、思い思いのさまざまな道具類をかき集めてきては、日々仕事に取り組んでいた。

やがて、画期的な道具が登場する。それは1970年代後半のに発売されたPPC複写機だ。当時はまだモノクロしかなかったが、複製が簡単にできるこの機材は、すぐにデザイナーには欠かせない道具となった。手間のかかる作業も格段に軽減され、工夫次第で表現領域は大きく広がった。

この複写機が出る前から日常的に使っていたのが、トレスコープというモノクロ現像機。暗室で反射原稿を拡大縮小しながら専用の印画紙に感光させ、溶液で現像する仕組みで、複写機より精度が高く、これがないとデザインの仕事は成り立たなかった。社屋を新築した平成元年はまだこのトレスコープが現役だったので、暗室を作って120万円以上するバキューム付の高位機種を導入した。しかし、僅か2年ほどでこの機械は無用の長物となってしまった。その後20年ほどせっかく作った暗室は物置と化し、トレスコープはあまりにも大きく重いため、簡単に処分できない粗大ゴミとなる。数年前に意を決して業者に処分を依頼したのだが、高額で購入したものの、ろくに使うこともなかった道具の処分にまたお金がかかるなんて、ホント不条理な話ではないか。技術革新の裏にはこうした話がけっこうあって、消費量統計数には不毛な支出が少なからず紛れ込んでいるはずだ。

さて、デザインにまつわる道具の話に戻ろう。パッケージデザインのダミー制作用には、クロマティックという英国製の画材を利用した。転写できる文字などが印刷されたインスタントレタリング(通称インレタ)という製品を画材店から購入して仕事によく使っていたが、クロマティックを使えばオリジナルの手作り転写フィルムが作成できる。まずインクを混色して好きな色のシートを用意する。それに求める形を感光させ、硬化した部分だけが残るように溶剤で溶かして転写フィルムを作成するという仕組みである。でも、機材や消耗品が高価な上に、制作プロセスもかなり面倒くさい。おまけに失敗する確率も高いので、パッケージダミーの制作にはかなりの忍耐と努力が要求された。 こうして書き連ねてみると、何だかデザイナーの仕事って、学校で教わった工作の延長とあまり変わらないような気もしてくるのだが、確かにあちこちと仕事場を動き回っては、手を動かしてばかりいたような気がする。でも、同時に頭もデザインの最適解を探り出そうとあれこれ考えていたので、「頭」と「手」のバランスはそれなりに上手にとられていたんだと思う。(そういえば、アートディレクター榎本了壱さんの主宰する会社は、たしか「アタマトテ・インターナショナル」だった)

また、デザインの最終工程には「色指定」という作業がある。これは厚紙の台紙に黒1色で作成された版下(印刷の前段階である製版のための設計図面のようなもの)にトレーシングペーパーを重ね、そこにカラーペンなどで製版するための色指定を書き込んでいく。カラー刷りの場合はプロセスカラーと呼ばれるCMYKの4色を、ドット状の網点で重ね刷りしてカラーを再現するので、各色を何%で重ね合わせるとこの色になるという指定が必要になる。デザイナーは最後の仕事として、ガイドとなるカラーチャートを手立てに、トレーシングペーパーの上に掛け合わせる各色の%(数値)を書き込んでいく。だから、印刷されるデザインの配色は、事前にデザイナーの頭の中でシミュレーションされて数値に置き換えられていなくてはならない。思えば、よくそんなことができたものだと感心してしまうけど、当時はだれでも当たり前にようにこの作業を完結させていた。アナログ時代のデザイナーは、なんとも不思議な能力を身につけていたものだった。

グラフィックデザイナーという職種は、印刷物制作工程の専門職のひとつで、プロデューサー、プランナー、編集者などが立ち上げた案件にアートディレクターが視覚的な方向付けをする。それを具現化していくのがデザイナーということになる。パートナーとなるのはカメラマンやコピーライター、それから文字組みを担当する写植屋さんなどがここに加わる。こうして何人もの専門職との協同作業を通じて、やがて版下原稿が完成される。次にリレー競技のようにそれは製版屋さん(プリプレス)に手渡され、版下という設計図を読み解きながら、刷版作りに向けて作業は進められていく。アンカーは印刷工場(プレス)だ。ここでの印刷、断裁、製本という工程を経て、やっと印刷物はモノとして完成する。

アナログ時代の印刷文化を下支えしていた、分業化されたアルチザンたちのネットワーク。誰が指揮を執るわけでもなく自然発生的にそれぞれの工程では、「アタマ(勘)」と「テ(手触り)」が表裏一体を成してスムーズに機能していた。全国に点在する、こうした多くの制作現場のネットワークの輪のなかでは、等身大の時間が淡々と流れていた。これはわずか20年ほど前、20世紀最後の10年にさしかかる頃の話である。

そしてぼくらデザイナーたちは、アナログからデジタルへの移行期である1992年から96年までのわずか数年間に、DTPの大変革に巻き込まれることになる。しかしなにもこれはデザイナーに限ったことではない。大袈裟にいえば、世界中のあらゆる職種の労働環境や人々の生活そのものがデジタル技術の登場によって大きく変わってしまったのだ。いつだったか、具合が悪くなった車を工場に持ち込んだことがある。工具も持たず、ボンネットも開けることなく、工場のスタッフは車に乗り込むと、ノートパソコンをダッシュボードのどこかに接続すると、なにやらキーボードをたたいて、やがて「これで大丈夫です」と作業を終えた彼は言った。そんな時代になっていた。

ここでもシステム。あそこでもシステム。色や形や音までも含む、ありとあらゆる情報がデジタルデータとして「0」と「1」の記号配列に置換され、日々世界中を行き交っている。デジタルがもたらしたソーシャルメディアの発達は劇的な社会変革だって実現してしまったし、この新生パワーに押されるように、これまで君臨してきたマスメディアもジリジリと後退を余儀なくされている。

好むと好まざるとにかかわらず、こんなデジタル時代の住人となったぼくらが手に入れたものは一体なんだろう。オリジナルは簡単に複製され、保存され、膨大なバリエーションだっていとも簡単に作り出すことができる。一見ルーティンワークから解放され、自由に活用できる時間が増えたかのようにも見えるが、少なくともデザイナーに限っていえば間違いなくアナログ時代より忙しくなってしまった。長くなるので簡単に言うが、職種が減ってしまった分、残ったものがそれらの作業を引き受けなくてはならなくなったからである。写植屋さんはいま、大都市のごく一部を除いてほとんど姿を消してしまったし、製版業だって壊滅状態に近い。そうして、以前より制作料金は安くなり、制作時間の短縮も余儀なくされて、デザイナーは写植屋さんや製版屋さんの真似事まで引き受け、版下原稿の代わりに入稿データなるものを制作しているのである。もう版下を製版所が受け取りにくることもなく、データはネットを介して送信をされる。returnキーを押すと、何日もかけて作った労作だって、瞬時に飛び立っていってしまうのだ。

「理系」「ハイテク」といったデジタルの対義語としてのアナログを、「古い」「情緒的」「経験主義」というニュアンスで表現するのは明らかな誤用だといわれている。アナログは決して旧式な技術の代名詞なんかではなくて、その世界の可能性はいまだに正確に理解されていないのかも知れない。点と点の狭間は無数の点が連なっていて、計測不可能な連結点は決して数値化できないので再現することも難しい。デジタルは数値で表されるが、アナログは(例えば角度などのように)時計や温度計みたいに連続した量として表されることになる。アナログの世界では、情報の発生時点を正確に記録することができるし、誤差も生じにくい。しかし複製を繰り返すと劣化するし、時間の経過とともに変質してしまうという弱点もある。なら、デジタルさえあれば充分なのかといわれれば、どうもそんな簡単な話でもなさそうだ。便利になったことも決して少なくはないが、それでずいぶん楽になったという実感もない。依然として容易に消えない小さな喪失感がくすぶり続けているのはなぜなんだろう。そんなのアナログ時代のノスタルジーにすぎないよ、と言われるかもしれない。でも、アナログのパワーというか、非効率的だけど、丹念に積み重ねられたものだけがもたらす説得力には侮れないものがあると思う。

今、Face TimeやFacebookが賑やかだ。顔が見えると嬉しいし、もっと大勢とつながったら幸せになる。そんな薄っぺらな幸福観をデジタルの恩恵として押しつけられても、主体のあり方が違うのではないかと、へそ曲がりなぼくは反論したくなってしまう。たしかに生活がデジタル化されたからこそ、アナログの特性にも改めて気づかされることになったわけだけど、これら特性の異なるふたつの道具を前にしてしばし考えてみると、どちらにも明らかな優劣はないように思えてくる。ぼくらは必要に応じて、使い分ければいいんだと思う。だってこれらは所詮「道具」なんだから。それに「デジアナ」でも「アナデジ」でもいいけれど、ふたつを組み合わせる試みも映画のCG制作現場などではすでにはじまっているらしい。人間は「道具」を作り、使いこなし、発展させながら複雑な文明を形作ってきた。変わることのないひとつの事実。「道具」の前にはいつだって、主体となる人間が存在している。


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