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KRÖTE : Panzer Aufkalarug T.W-47 (detail)
S.F.3.D ORIGINAL
Poster & VI plan : Discotheque & Live REIA

2011.8.02

趣味は?と聞かれ、答えに窮するようになってからもうどのくらい経つだろう。子供の頃は漫画や切手、古銭収集、大人になってもプラモや鉄道模型、ブリキおもちゃ、読書はもちろん、レコード・CD収集、そしてギター演奏、ときには麻雀と、およそ趣味に事欠くことはなかったのに、今はどれもこれもすっかり遠ざかってしまった。もちろん読書だってするし、音楽も毎日聴いている。しかし、夢中になる度合いがまったく違うから趣味とは言えない、そんな気がする。
わずかな小遣いを貯めては、せっせと趣味につぎ込んでいた少年時代。新しい対象物に心動かされると、それまで投資してきた宝物を換金して資金を捻出する。こうして手にした新しい宝物は、次の対象物が現れるとまたその元手となっていく。こうした繰り返しからごく初歩的な経済の仕組みを知り、欲しいものを手に入れるためには相応の努力が必要とされるのだということを、幼いぼくは趣味を通じて学んできた。
少年時代にすっかりはまり、大人になってからも夢中になっていたホビーにプラモデル作りがある。なぜか自動車が多かったが、初歩的なものから、次第に手の込んだ大型スケールの模型へと移行していった。完成までには何日もかかるので、まとまった休みがとれるとワクワクしながら部屋にこもっては制作に没頭したものだった。プラモデルショップの展示用にと請われて作ったこともある。なかでも力作は、その車高の低さから「赤い絨毯」の異名をとるFERRARI(フェラーリ)TESTAROSSA(テスタロッサ)モデル。官能的なフォルムをもつ20世紀スポーツカーの傑作だ。8分の1スケールで、ダイキャスト製ボディには実車と同色のフェラーリレッドがあらかじめ塗装されている。室内の床にレザーを貼るほどディティールにこだわって作り込み、完成後は透明のアクリルケースまで特注したほどだった。(TESTAROSSAは、いまも寝室の棚に奉納されている)
こうして長きにわたってプラモに惹かれ続けてきたもっとも大きな理由は、幼いときに刻まれた渇望感だろう。欲しいものがなかなか買えず、満たされなかった思いは、いつまでたっても消えてくれない。成長してからその空いた穴を埋めるかのように次々と買い求めたが、その渇望を満たすことはできなかった。
プラモといえば、何と言っても静岡に本社を置く世界的トップメーカーの「田宮模型」の名が浮かぶ。わけても、1961〜1972年にかけて「タミヤ」のボックスアートを描き続けた小松崎茂の箱絵には、多くの少年たちが心躍らせたことだろう。漫画家の石ノ森章太郎、ちばてつや、松本零士らにも愛され、大きな影響を与え続けたといわれるこの画家の絵が、ぼくにとってはプラモの魅力の欠かせない要素となっていた。生命力の溢れ出すような箱をわくわくしながら開けると、そこには無機的に分解されたパーツが納まっているだけだ。その落差にいつも戸惑いながらも、気づくとまた箱絵に魅せられては、次のプラモを買いもとめている。
ところで「田宮模型」は精緻を極めた製品作りで知られる。メーカーから図面を入手するのはもとより、ときには実車まで購入して、分解、採寸したこともあったという逸話も残る。厳密なスケールダウンを繰り返し、最終的に隠れて見えなくなる部分までも決して手を抜くことなく、細部に至るまで実に忠実に再現していく姿勢は、はるかに玩具の域を越えていた。細部に手抜きをしない日本的特性は玩具の世界で遺憾なく発揮され、タミヤはワールドワイドにその活動の輪を広げてきた。
豆本と着せ替え人形、盆栽、ジュエリーと、あげれば枚挙にいとまがないが、こうした人間の小さなものへの情熱と愛着は一体どこからやってくるのだろう。名前は忘れてしまったけれど、イタリアのプラモデル・メーカーの話をどこかで読んだことがある。正確さを旨とする田宮模型に対し、芸術家肌揃いのこのメーカーは実に鷹揚。スケールだって大体なところがあって、部分的にデフォルメされていたりする。でも全体感が醸し出す雰囲気は、オリジナルにすごく近い。物作りの第一歩は、全体感を鷲掴みすることからはじまるという創造の真理を思い起こさせる話だった。
中沢新一さんの「幸福の無数の断片」には、さらに深い思考が残されている。「物質の抵抗」の章にある「「縮み志向」展」には、構造主義の人類学者レヴィ=ストロースの一節が引用されている。
「縮減は、寸法を縮めたり、対象のもっている属性を減らしたりするが、その効果は、ふつうのやりかたの認識過程をひっくりかえしてしまう、というところにあるように思われる。現実にあるものの全体を認識しようという場合、われわれはまず部分からはじめる傾向がある。対象はもちろん、サイズやら複雑さやらで、われわれの認識に抵抗してくるだろう。そういうときには、対象を分割してしまうというやりかたをとれば、その抵抗をいくぶんやわらげることができる。寸法の縮小は、こういう状況をひっくりかえしてしまう。小さくなれば、対象の全体はそれほど恐ろしいものとは、見えなくなるし、量的に小さくなることによって、われわれには、質的にも簡単になったと思われるのだ…縮減模型では、全体の認識が部分の認識に先立つのである。それは幻想にすぎないかもしれないけれど、知性や感性に喜びをあたえる、そういう幻想をつくりだして維持する、そのことがこういう手法が存在していることの、大きな理由なのだ。(『野性の思考』より)」
こうして日本に「俳句」や「盆栽」が生み出されてきた。だから、オ・ソレ・ミオのイタリア人に嫉妬なんかすることはない。中沢さんはテキストをこう締めくくる。
「小さく縮められた自然や生き物の世界を目の前にするとき、人の心はこまやかな愛情にみたされるようになる。それは世界をチャーミングにする、ひとつの技術なのである。」
ホビーのお陰でぼくの人生も少しはチャーミングになってくれたんだろうか。
さて、ぼくのプラモ行脚は1990年代に転機を迎える。NITTO(日東科学教材株式会社)のS.F.3.Dシリーズとの出会いだ。ブリキのおもちゃを探して、店を閉じた玩具店の倉庫を物色していた時に不思議な商品を見つけた。箱にはSF映画をフィギュアーにしたような兵器や兵士が描かれた、見たこともない近未来的なボックスアートが印刷されていた。よく分からないけどこれは面白そうだと直感したぼくは、とにかくそこに残っていた商品をすべて買い集めることにした。あとで調べてみると、このシリーズを発売したNITTOという会社はすでに廃業していて、それらはすでに入手困難な商品だったことが判明する。偶然とはいえ、その幸運にぼくは感謝した。現在、これらのプラモはプレミア価格で取引されているが、欲しい人は(もちろん定価よりはるかに高い)神戸の六甲模型教材社から通信販売で入手することもできる。
1980年代半ばに発売されたこのS.F.3.Dシリーズの生みの親は、海外にも熱狂的なファンをもつイラストレーター&モデラーである横山宏さん。2D > 3Dを行き来しながら、アカデミックな美術知識を駆使して、ストーリーを想起させるという世界でも例をみないプラモシリーズを生み出した。「S.F.3.D」は横山氏の代表作といわれる『マシーネンクリーガー』がベースとなっている。これについてはWikipediaに詳しい説明が載っているので引用してみよう。
「『マシーネンクリーガー』は、横山がデザインし、自ら造形したオリジナルSF兵器軍を使い、リアプロダクション撮影、多重露光、デジタル合成、そして横山本人の加える画像調整とエフェクトを経て作られた戦場写真を製作、そこに見る側の想像を刺激する「ストーリー」が加えられたいわゆる「フォトストーリー」という技法を発明し、模型界に新しい表現を持ち込んだ」
並走者は編集者の市川弘さん。横山氏が造型、市川氏がサイドストーリーを担当し、1982年にHobbyJAPAN誌に連載されて人気を博したこの「S.F.3.D ORIGINAL」が引き金となって「S.F.3.D」が商品化された。製品化は日東科学が担当したが、あえなく85年に解散・廃業。あとを引き継いだホビージャパン社と横山氏は意匠権と商品化権をめぐって対立し、その後和解するまで5年にわたって法廷闘争が繰り広げられるという不幸な時期もあった。
S.F.3.Dシリーズを巡るこんな物語を知ったのは随分あとになってからのこと。入手した当時のぼくは知るよしもなく、夢中になってすぐに全キッドを作り上げてしまった。(写真:上3点がS.F.3.Dのボルフォル&チオネル社製無人強襲偵察用二足歩行軽戦車クレーテ接写画像)一番下は、ぼくのデザインしたディスコのオープン告知ポスター。(「REIA」は勿論「Star Wars」のプリンセス・レイアから命名された、バブリーな時代のお話)ちゃっかり「S.F.3.D」モデル(軽戦闘偵察機・HORNISSE=ホルニッセ)が、灼熱の星の上を飛んでいる。
仕上げ塗装には苦心した。マット感を出すためにアクリル絵の具を水気を取った固めのブラシで塗り重ねて、錆や古びた質感を再現している。意識したのは、映画「Star Wars」や「Blade Runner」の背景に使われたセットのようなイメージだ。ステレオタイプの未来型フォルムはどうも嘘っぽい。古典的な機械構造が近未来で標準機としての再生を果たしている、そんな設定の方がリアリティを感じる。 (事実、「Star Wars」に使用された模型は、日本のプラモから大きな影響を受けたとジョージ・ルーカスも語っていた)
個々のパーツはどれも見覚えのあるものなのに、合体するとなにやら未知の生物を想起させる不思議な造形ではないか。「S.F.3.D」繋がりで辿っていくと「S.F.3.D コンペ ギャラリー」というサイトがあって、ここにはぼくなどよりはるかにディープな、横山世界に触発されたプラモ愛好者たちの自信作が集結している。しかし、これは何とも男子な世界ではないか。片や女子たちは機械構造のリアリティなどには目もくれず、「バービー」、「リカちゃん」、「Blythe」といったカワイイ世界に夢中になる。両者は、永遠に決して越えることのできない川によって深く隔てられているように見えながら、実は彼らは世界をチャーミングにする技術一家の兄弟姉妹なのだと思う。
世に数多く存在し、人々を夢中にさせてきた「趣味」は、Wikipediaでこのように規定されている。生理的必要時間と労働時間を除いた余暇の時間に、習慣的に好んで繰り返しおこなう事柄やその対象のことを「趣味」という。そして、職業として成立している範囲の事柄を趣味でおこなう人はアマチュアと呼ばれる。
ぼくがすっかり趣味から遠ざかってしまった経緯を自分なりに考えてみると、ひとつの仮説として、こんな風に考えることもできそうだ。ぼくの職業はデザイナーだが、いまは労働に従事しているという意識はあまりない。しかし、昔は食べる術としての労働だと感じた時期もたしかにあった。その後紆余曲折あって、どうやら中年と呼ばれる頃から労働は「楽しい仕事」に変質してきたような気がする。そしてそれに呼応するかのように、趣味はぼくから次第に遠ざかっていった。もちろん趣味で仕事をしているわけではないけれど、「楽しい仕事」が、本来余暇におこなわれるアマチュア的行為の楽しさを吸収してしまったのだと考えている。だから、ただの仕事人間になってしまったとか、忙しいから趣味の時間も削って仕事を消化しているということでは決してない。プロフェッショナルとアマチュアがブレンドされるように、ぼくの趣味は「楽しい仕事」の中にいつのまにかそっと滑り込んできて、相変わらず生き続けている。