from the top
Paper work_Gaikotsu
Drawing_Takehiko Inoue
Drawing_Takashi Murakami

2011.4.02

子どもは昔からガイコツが大好きだ。そこには生い立ちとか年齢や社会的地位などがすっかりそぎ落とされた、人間の原型が象徴されていて、生まれて間もない子どもほどそれを強く直感しているから、怖がることもなくガイコツに強い興味を示すのだと思う。それにガイコツにはどことなく愛嬌を感じさせるところがある。一番上の写真は、20年ほど前に息子が作った紙細工で、先日NHKの「日曜美術館」に登場していた中川一政を見ていたら、ふとその紙細工を思い出した。もちろん中川一政の顔がガイコツに見えたわけではなくて、それはこの画家の凝縮された人間の原型を思わせる風貌と、屈託のない表情に魅力を感じたことが引き寄せた連想だった。
中川一政は1949年から亡くなる1991年まで40年以上、神奈川の真鶴にアトリエを構え、愛してやまなかったという相模湾をのぞむ漁村風景や箱根駒ケ岳、そして薔薇の花などを精力的に描き続けた洋画家だ。自身が日本一大きなアトリエと称していた、幅30メートルほどの防波堤に数十年通ってはイーゼルを立て続けたという、執拗ともいえるその情熱は一体どこから湧き出していたのだろうか。独学の末にたどり着いた自由奔放な味わい。それは絵画のみならず詩や歌、書や随筆などにも遺憾なく発揮され、突き刺さるような色彩と荒削りな筆勢にもかかわらず、どの作品にも等しく品位が漂い立つ。「美術」ではなく「生術」を希求し続けたというこの画家は、モチーフから原型を抉り取るような向き合い方を終生貫いたそうだ。
その原型に凝縮されるものが表現物であれ、風貌であれ、心に届いてくることには変わりがない。たまたま中川一政は表現者として多くの素晴らしい作品を遺した。でも、ぼくはこうした風貌をもつ日本人が実は大勢いて、今も各地で静かに素晴らしい仕事をしているのだろうと想像している。
先月の東日本大震災のあと、印象に残った新聞記事がある。漫画家の井上雄彦さんはツイッターで「スマイル」という作品を時折アップしていたが、11日以降は被災地名のはいったユニフォームを着た子どもたちやお年寄りや動物の作品を発表し、それらをポストカードのセットにして収益を義援金にすることにしたのだそうだ。新聞に数点掲載されていた絵からは(上から2〜3段目)雄弁ではないけど表現し続けてきたものだけが発することのできる視覚を介した「今の言葉」がそこから伝わってくる。ツイッターにはこう書かれていたという。
「自分のいつもの仕事をしっかりやることが大事。僕のやってることは決してそれ以上ではありません」シンプルなコメントだが、腰をすえて自分の仕事と向き合う彼の気負いのない姿勢が伝わってくる。存在が脅かされるようなこの極限状況において、果たして表現がどれほどの力をもてるのか分からないけど、謙虚にできることはしっかりとする。非情な現実を前に、確かに表現なんて無力なのかもしれない。しかし、人間が心を生きていく寄す処とする限り、表現はその心に届くかけがえのない通路の1本となるはずだ。
この記事と向き合うように現代美術家の村上隆さんの作品も紹介されていた。涙し、そして叫ぶ2枚の自画像。( 最下段)ツイッターで震災復興応援画像の投稿を呼びかけたりするのも、戦略家の彼らしい行動。そしてコメントは「何か希望の光を芸術の力でともすことは出来ぬか、と沸き上がる思いがある」。発言は時に残酷なほどにその実像を炙り出してしまう。芸術としか名づけようにないものを生み出す人は、決して「芸術の力」などという抽象的な表現はしないものだ、とぼくは思う。
突然ふりかかる天災、そしてそれに連鎖する人災。犠牲者や被災者の方たちにはほんとうに言葉もない。安全な地域に建つ家の中から、なにか言うことなんてとてもできないし、当面できることといえば義援金を送ることくらいしか思い浮かばない。連日流されてくる被災地の映像。ぼくらの胸を打つのは、この困難の中にあって、あまたの嘆きや苦痛を心に納め、過酷な試練に黙々と立ち向かう被災地の人々の姿である。今必要なのは同情や激励でなく、ともに悲しみ、心に寄り添う姿勢なのだろう。露呈したほころびへの腹立ちをひとまず封印して、社会的な影響力のある人たちはもとより、日を追ってごく普通の人々も何か自分にできることはないものかと考えはじめているように感じられる。こうした自然発生的な気持ちのうねりは実にピュアーなものだと思う。
ところで、あの3月11日を境に、この国を覆うトーンが少し変化してきた。直後から2日間ほどはTVからCMがまったく消えてしまったが、初めて目の当たりにする現実は、いま日本が直面している状況はこういうことなんだと説得力をもって迫ってきた。やがて恐る恐る再開されたCM。そしてそれを覆い隠すようにACのCMが民放各局で、新たな津波のように溢れ出す。どんなに良識的な内容でも繰り返し同じものを見せつけられると、次第にそれは苦痛となってくる。これはもはや生理的な反応といってよい。なぜ各局の責任者たちはそのことに思い至らすことができないのだろう。想像するという人間の基本的な能力が欠如しているとしか思えない。また、メディアにあふれる発言や報道姿勢もAC的なトーン1色に塗りつぶされていくような不気味さが感じられ、何とも居心地悪い気持ちになってくる。繰り返すが、ぼくは沸き起こる善意のうねりの大半は純粋なものだと思う。しかし、多様な考え方を受け入れる度量も必要だ。それが健全な社会というものだろう。この蔓延するフラットなトーンの奥に蠢くものの正体は一体何だろう。
TVにはこんな報道もあった。東京の若者が節電を呼びかけるチラシデザインをネット募集し、たくさん集まった作品をプリントして商店街に繰り出し、手渡ししながら節電を呼びかけているというものだった。善意からスタートした若者らしい邪気のない行動で一見とても健全にみえるが、デザイナーでもあるぼくは、スタイルとしてのエコ運動と同じようにまったく共感できない。被災地のリアリティとの何という落差。ちょっとバイアスがかった意地悪な例かもしれないが、村上春樹の小説「海辺のカフカ」のある一節を思い出した。
カラスと呼ばれる主人公の少年はわけあって高松のある私設図書館に身を寄せる。管理を任されている大島という青年が、ある日現れた二人連れの女性に対して語った言葉だ。二人は、女性としての立場から全国の文化公共施設の設備を点検・レポート・公表している組織の担当スタッフで、女性的見地からこの図書館の設備の不備を厳しく指摘するのだが、大島青年はまったく動じることなくこの二人を追い返してしまう。ちなみに大島青年は意識こそ男性だが、身体的には女性なのである。彼(彼女?)はカラスにこう言うのだ。
「僕はごらんのとおりの人間だから、これまでいろんなところで、いろんな意味で差別を受けてきた。差別されることがどういうことなのか、それがどのくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない。痛みというのは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が残る。だから公平さや公正さを求めるという点では、僕だって誰にもひけをとらないと思う。ただね、僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。つまり早い話、さっきの二人組のような人間のことだよ。…中略… 想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないか — もちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこに救いはない。」(新潮社刊『海辺のカフカ(上)』312〜314p)
ここには悩ましい「私」と「公共」の問題も含まれている。震災後の新聞紙上の発言で思想家、吉本隆明さんが、この切実なときに私事と公、どちらを選ぶべきか、という問題について語っていた。レーニンとスターリンの対立を例にとり、真理に近いのはどっちだと問われたら、比較や善悪の問題でなく人間の問題として「私」をとるレーニンの立場を選ばざるを得ないと語っている。そして、日本にもこれと似た問題提起をした人物がいると、親鸞の思想を取り上げ次のように語っている。
「親鸞は「人間には往(い)きと還(かえ)りがある」と言っています。「往き」の時には、道ばたに病気や貧乏で困っている人がいても、自分のなすべきことをするために歩みを進めればいい。しかしそれを終えて帰ってくる「還り」には、どんな種類の問題でも、すべて包括して処理して生きるべきだと。悪でも何でも、全部含めて救済するために頑張るんだと。この考えにはあいまいさがありません。かわいそうだから助ける、あれは違うから助けない、といったことでなく「還り」は全部、助ける。しきりがはっきりしているのが親鸞の考え方です。」(朝日新聞、3月20日、11面「on reading」)
「往き」を全うするかのように、凝縮して生きた人の風貌は人間の原型に近づいていく。そして、その拓いた通路は太く固く人々の心へと結ばれている。
はたして「還り」は「往き」の折り返しなのだろうか。それとも「往き」と「還り」は交差しているのか、あるいは並走しているのか。いや、「還り」を実現するための「往き」であるのかもしれない。危機と試練に直面するこの浮き足だった日本で、ぼくはうろうろと親鸞の思想のまわりを逡巡している。