上から
山梨市正徳寺の丸石神
(撮影:遠山孝之)
山梨県三富村雷の丸石
雷の丸石と台座

2010.11.03

「丸石」と入力してネット検索すると、トップヒットの自転車メーカー「丸石サイクル」や「丸石製薬」「丸石醸造」など企業サイトのはるか後方に「丸石神-山梨の謎の道祖神・石の民間信仰」というサイト名が現れる。そこで類似ページをクリックすると、他にも10ほどの関連サイトが表示される。いずれも民間愛好家の立ち上げたもののようだが、超マイナーな存在である丸石神に今も密かに惹かれ続けている人々がいるようだ。
丸石とは読んで字のごとく、丸い形をした石のこと。河原石をはじめ、およそ球体の自然石は無数に存在するが、ここ甲州で丸石といったら丸石を祀る道祖神のことである。丸石は縄文中期の住居址から出土したといわれ、やがて道祖神として祀られるようになった。こうした球体道祖神は和歌山や三重など南紀の一部にも残っているものの、その大半は山梨県内に集中して分布する。
県外から丸石ウォッチャーが探索にやってきて地元住人に場所をたずねても誰も丸石のことなど知らない。諦めて帰りかけたら何とその家の裏手にあったというエピソードがサイトで紹介されていたが、それほど甲州では風景に溶け込んでしまっている。文化財に認定されているわけでもないし、ましてや観光資源として認識されてもいない。しかし遙か昔から丸石はこの地で泰然自若と存在し続け、代々人々に見守られながら悠久の時を過ごしてきた。かくいうぼくも長い間丸石を特に意識することもなく過ごしてきたが、ある日を境に身近に感じられるようになってきた。
2003年の暮れも押迫ったある日、中沢新一さんから電話が入り、お正月に丸石巡りをしないかと誘われた。美術家の森万里子さんから案内してほしいと頼まれたのだという。そこで、ぼくがアッシー君となり3人してお正月、丸石見学することになった。暦の変わった1月の3日、待ち合わせたのは地元駅の改札口。霊的世界の実相をヴァーチャルで夢幻的なハイパーオブジェに結晶させる試みで広く知られる森さんは、まるで未来からやってきた巫女のような白ずくめファッションでぼくらの前に現れた。挨拶もそこそこにクルマに乗り込むとさっそく丸石巡りに出発。森さんは初めて見た丸石にすぐに魅了されてしまったようだ。後に森さんは図録テキストでそのときの印象をこう語っている。

丸石は、本当に愛すべき存在です。すべてを受け入れる母性のようでもあり、また、過ぎ去ってしまった命を再生するエネルギーのようでもあります。まるで別世界が丸石に内在している。そう、直感的に感じました。そして、その世界はすべてのものと繋がっているような気がしました。過去も未来も生も死も、そこではすべてがひとつなのでしょう。

ところで、丸石に関連したテキストを読むと、かならずといってよいほど随所に中沢厚という名前が登場してくる。山梨で農山村の民族調査を続け、なかでも40年にわたって道祖神研究にたずさわった、丸石を語る際に欠くことのできないといわれる研究者である。「山梨県の道祖神」や「石にやどるもの―甲斐の石神と石仏」といった著書をはじめ、その文章からは、丸石に寄せる深い愛情がひしひしと伝わってくる。中沢家に誕生した新一さんは若い頃からその父親である厚さんと共にに丸石巡りを重ねていたそうだ。父親同様、誰よりも深く丸石を見つめ続け、多くの丸石に関わる記述も残している。だから今、案内を乞うとしたらこれ以上の適役は見当たらないわけで、森さんは何とも贅沢な丸石巡りを実現したものだ。
この日はとても穏やかな喜びに満ちた1日となった。ぼくは森さんのような若い世代の日本人が丸石と向き合っている無垢な光景を見て、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなんて思ってしまった。こうして日が暮れるまでさまざまな丸石と向き合ったぼくらは、夕食を共にしながらゆっくり語り合い、深夜、森さんを山中湖近くにある別荘まで送り届けてこの長い1日を終えた。
数ヶ月後、7年ごとにおこなわれる諏訪の御柱祭で再び森さんと再会した。曳行の道中、美術について話し合ったひと時も思い出深い。そしてひと月ほど経ったGW明けのある日、ニューヨーク在住の森さんからメールが入った。秋の個展に向けて制作中で、正月の丸石巡りの最後に訪れた三富村雷(いかづち)の丸石(掲載写真下2点)をモチーフとした作品を構想中なのだという。ついては実物の計測をお願いできないだろうかという依頼だった。早速、採寸してきたデータを基に図面を描き上げて送信する。こうして完成したのがムーンストーン(2004年/1820×1145×1815mm/ルーサイト、コーリアン、LED、リアルタイム・コントロールシステム)という作品である。
原寸大の白い台座に乗った真っ白いコーリアンで作られた丸石は、内部から発光するLEDの光によって青からオレンジ色へと変化する。この発光は月の満ち欠けによっておこる満潮と干潮の現象と連動するようにコントロールされている。雷のクローン体、現代の丸石の誕生といった感がある。この作品は、2004年10〜12月に東大総合研究博物館小石川分館の(アート&サイエンス)プロジェクト第二弾として開催された「森万里子 縄文—光の化石 トランスサークル展」で発表された。ここで森さんは古代から繋がる一本の糸の先端にきわめて現代的な技術を介して、プライマル(最初の・原始の)な意識を甦らせようと試みた。この展覧会の図録に掲載されている森さんと中沢さんとのメールによる往復書簡で中沢さんはプライマル(はじまり)をこのように語っている。

「はじまり」ということばが、ぼくはとても好きです。森さんのおっしゃるプライマルですね。はじまりは過去の人間の独占物ではありません。はじまりは、人間が自分たちの知覚や思考を制限づけている壁を取り除くことができたとき、いま、ここが、はじまりの現場なのであるとわかるような、永在的な空間のあり方をさしています。永遠といわず永在と書きました。世界に秩序をもたらす神のあり方は永遠と名づけることができますが、生成と消滅をくりかえしながら、存在するでもなく存在しないでもない、絶妙な中間的空間に滞在しているものたちのことを、キリスト教は「天使」と名付けて、その天使の住まう空間を特別に永在と呼んだのでした。

丸石の背後にはプライマルが呼吸するとてつもない奥行きをもった永在の空間が広がっているのだろうか。中沢さんは、丸石は言語化できない大いなる謎であり、この謎の前に知識は無力であると語っている。そして同時に、信仰でなく、誠実な知性の働きによってこの謎に問いかけ続けなければならないとも語っている。いやはや、森さんはたいへんな世界に踏み込んでしまったようだ。
ところでつい先月までこの丸石に関連した展覧会が、旧四谷第四小学校を再利用する「四谷ひろば」を会場に開催されていた。中沢さんが所長を務めるIAAの所員でもある美術評論家、椹木野衣さんらと企画したもので、本展は一冊の本が起点となっている。
今を遡る70年代、森さんのように丸石を案内してもらおうと中沢厚さんを訪ねてきた人々がいた。美術評論家の石子順造さんとその仲間の彫刻家たちで、彼らは当時、もの派や具体派といった現代美術運動にも関わりをもっていたが、そうした人々と丸石の出会いの記録は、「丸石神—庶民のなかに生きる神のかたち」という書籍に結実した。ここには随行した写真家、遠山孝之さんの貴重な記録写真に包み守られるかのように、石子さんや中沢厚さん、新一さんらの文章が収められている。そして1980年に発刊されたこの本は、丸石調査の途次、亡くなってしまった石子さんへの追悼書でもあった。
その30年後、再び丸石は現代に呼び戻されることになる。新しい美の可能性を模索した石子さんの意思を次代に繋ごうとしたこの丸石調査報告書に、美術への根源的な問いかけを試みようとする椹木さんが再び可能性の泉を見い出したのだ。これが中沢さんの心を動かし、《現代》を切りひらく「丸石の神々」の声にそっと耳を傾けてもらおうと、IAA主催によって展覧会が企画されることとなった。会場には丸石の写真や丸石から啓示を受けて制作された作品などが半月にわたって展示され、初日にはシンポジウムも開催された。
余談だが、広報物(ボスコサイトに掲載)のデザインを担当したぼくは、ささやかな試みとして隅々まですべてを1書体のみでデザインしてみようと考えた。「A1明朝」というオールドスタイルの明朝体で、画線の交差部に写植特有の墨だまりを再現しているため温かみのある表情を持ち、小さくても大きくても高い可読性を示す書体だ。オーソドックスでありながら実はラジカル、こんな表現に憧れるぼくのいまだ道半ばのささやかな試みだった。
さて、このシンポジウムの終盤近くには印象的なやりとりがあった。椹木さんは「丸石神—庶民のなかに生きる神のかたち」の巻末に集録された石子さんのテキスト「石を選ぶ直観」で多くを割いて触れられている人造石《プラストン》の記述に注目する。石子さんの遺稿となってしまったこのテキストで《プラストン》と丸石の関係性が語り尽くされているわけではない。事実、本の編集過程でこの部分を残すべきか討論されたそうだ。ただ石子さんは丸石についてほとんど何も語ることなく亡くなってしまったので、結局残そうということになったのだと、その場に立ち会っていた壇上の中沢さんが経緯を明かしてくれた。ここで石子さんは石に関する日本人の美観を端的に表す言葉として〈いいカタチ〉をあげているので引用してみよう。

〈いいカタチの石〉というのは、たんに造形的な美しさをいい当てようとした言葉ではない。いっそう全感官的な直接性、あるいは具体性を意味する観照の謂であったと思える。つまりここでの〈いい〉は、良いでありながら善いであり、好いでもあるのであって、美学的であると同時に倫理的でもありうる評価なり判断であろう。したがって〈カタチ〉も、石の質感や色調、あるいはそれがおかれている状態までふくめて、形(フォーム)であり型(シェープ)であり形状(フィギュア)でも状態(コンディション)でも環境(エンバイラメント)でもありうる、そのような顕現(アピアランス)であるようだ。

と、このように〈いいカタチ〉を規定してみたとき、はたして人造石《プラストン》にも〈いいカタチ〉というものがあり得るのだろうか。石子さんはここで《プラストン》は〈カタチ〉の模造ではない、〈いいカタチ〉の模造であると言っている。日本人特有の美意識において、石それ自体ばかりでなく、つくばいや灯籠にしても、質感や色調までふくめて、つまるところ〈いいカタチ〉をつくるところにポイントがあったろう、と書き記している。
模造、あるいは人造物にも〈いいカタチ〉はある。この点に椹木さんは強く共感する。しかし、石子さんが「もの派」成立起源に立ち会った功績をもっと再評価すべきであると主張する出演者は、模造は所詮模造、本物はあくまでも本物であると反論し、壇上はしばし紛糾する。中沢さんは両者の間でやや戸惑いの表情だ。

しかしこのやりとりの中には、プライマルな空間の扉を開く鍵にかかわる何か重要なヒントが隠されているような気がしてならない。丸石から何を受け継いでいくのか。民俗学や歴史学のなかに史蹟として丸石を据えて凍結してしまうのでなく、大いなる謎を秘めたこの世界から、別種の宇宙感覚を取り出してみせるというとてつもない難問に挑むことが大切なのだろうと中沢さんも語りかけていた。ここで森さんの作品もオーバーラップしてくる。はじめは失敗したっていい。ローカルな思想を突き詰めたその先に潜む、奥深い普遍性への可能性に向かって、何も語らない丸石にひたすら耳を澄ませる。丸石はどこにもいかない。ずっと昔から静かにそこに在ったように、残光を集めていつだって美しく光りつづけている。