浅葉克巳さん親子

The Democraticratic Party of Japan
2009.11.01

秋以降、政権についた民主党の関連報道が倍増している。これまで野党として露出が少なかった民主党議員たちの動向は、表舞台に移動してから連日スポットライトを浴び続けている。
とりあえずアメリカに倣って、「変化」を選択した我が国の世論。そしていまは期待と不安の入り交じる政権移行期間。政治舞台の明転は移ろいやすい人心の目にはしばらく新鮮に映るだろうが、大切なことは政治を安易に劇場化しないことだ。ほんとうに変化を選択したのかと短兵急に結論を出し急ぎせずに、しばし注視してみる忍耐力が必要とされているんだと思う。政治は生活に直結しているから当然無関心ではいられないが、ぼくは基本的に自分のことをノンポリティカルだと思っている。つまり特定の党派に属することを拒否する人々の一人であって、棄権せずにその都度支持する政党や政治家を選択している平均的な無党派層なのである。
それにしてもかつての与党の凋落ぶりには目を覆いたくなる。良質な保守、そして保守への回帰なんて何言ってんのって感じで、一体何を保ち守ろうというのか。こんな手垢のついた政治言葉にもういいかげんぼくらはうんざりしているし「一緒にやろうぜ!」と気勢をあげられても長期ビジョンそのものがきちんと描けていないのだから、何とも寒々しい気持ちになってしまう。保守と革新の対立軸なんて前世紀末に消失してしまったのに、保守へ回帰すると言われても、そんなの国を担ってきたと思い込んでいる政治家たちの本流意識を主張するお題目にしか聞こえてこない。このように組織の人材が枯渇すると、その危うさはある日突然非情な事実として顕在化する。結末は分かっているのにどうすることもできず、空ろな面持ちで進むことしかできない。これは権力に吸引された末、疲弊してしまった構造体に襲いかかり、これまで幾度となく繰り返されてきた歴史の必然でもある。いつか来るべき山を迎えるためのいまが谷越えと頭をリセットし、精進するしかないですね。
さて、そんなノンポリ・デザイナーがずっと気になっていたのが政権デビューした民主党のシンボルマーク。国旗2枚の各パーツを切断し、縫い合わせて前首相に批判され話題となったあのシンボルマークのことです。じっと眺めていると達磨さんにも見えてくるが、上下に交差する赤い円は無限大「∞」を意味しているそうだ。そして下の円の輪郭がガチガチしているのは、新しいものを生み出していく様子を示していて、まだ成長途中なので輪郭がはっきりしていないということなのだと、民主党議員・よこやま博幸さんのサイトでは説明されている。また、水平線の海面から頭を出した太陽のイメージであるという説もある。つまり真ん中の白い部分がさざ波で、下の円が歪んでいるのは海面に映った太陽だからという「日はまた昇る」のイメージ。じゃあ落日もありうるぜと意地悪なツッコミが入りそうだけど、日本の夜明けを表現しているというところだろうか。作者はArt Directionがグラフィックデザイナーの浅葉克己さん、Designが子息の浅葉弾さん。なるほどと思いつつ、ぼくはまた別な解釈をしていて、上は目指すべき国のイメージ。そして下はまだ粗削りな政党ではあるけれど、目指すべき正円に重なるべく日々研鑽を積んでいるという意志の視覚表現であるとも考えてみた。ただこの解釈の場合、2つの円が完全に重なってしまうという事態はこれまた空恐ろしい。
ま、解釈はともあれ、ずっと気になっていたのはシンボルの下の円の造形についてだ。なんとも下の円の形状は受け入れがたいものがある。作者はこう反論するかもしれない。この造形は手だれておらず素人くさいと言われても、粗削りな理想を追い求める純真さを象徴しているのだと。そういう意味を汲んだとしても、あの形状には決定的に破綻していると直感させてしまうような稚拙感が拭えない。事実ネットでも下の円についての拒否反応は決して少なくないようだ。
そこでお節介もほどほどにと言われそうだが、勝手にリ・デザイン。(ごめんなさい、浅葉さん!!)一番上がオリジナル。下はおせっかいプランの数々なのだが、民主党は寄り合い所帯なんだから、やっぱり輪郭はデコボコしてしまう。でも角はほどよくとれていて、各パーツはリベラルに連結をしている。中段のいろいろなプランのように、その時の党内事情を反映させて微妙に起伏やデコボコの数が変化するなんていうのもいいかもしれない。
シンボルは不変不動。変化してしまったらシンボルじゃなくなってしまう、これが長い間デザイン界での常識だった。でも、SONYのCIやテレビ朝日のVIのように、ロゴ自体をアプリケーションとして機能させ、動きや色を環境によってフレキシブルに変化させるデザインも続々と誕生している。これらSONYやテレビ朝日のロゴを制作担当したのは、社会心理学などをバックボーンとした方法論で注目を浴びてきたイギリスのデザイングループTOMATO。まだSONYのCIが本格的に展開される前、デザイン会議でTOMATOのこのプレゼンテーションを見る機会があった。SONYのロゴがTV画面に現われてくる時の動きや色が、放映される国によって、その日の気候によって、また放映地域の人工密度などによって、微妙にプログラムコントロールされていくというアイデアだ。なるほど、ロゴをグラフィカルでなく社会心理学的に考察すると、ビジュアルをスタイルに還元させないこんなアプローチも可能になるんだと感心したものだった。
そこで、今の民主党はこんな形であると我々は考えています、と1年ごと年頭にサイトでシンボルマークに反映させてみたらどうだろう。時代感覚の多層化したチャンネルに対応して、政治にも柔軟なコミュニケーション能力が求められているのだと思う。現行ロゴを比較的忠実にスライドしたプランが最下段の左。右は今の党の印象に一番近いとぼくが感じるプランである。


Blog Contents