2009.9.02

以前「電子書籍」のことに少し触れたことがある。どうやらこのところアメリカではその電子書籍の市場が急速に拡大しているようだ。この2年ですでに5倍の規模に成長したという記事を目にした。それでもまだ全書籍の1%強にすぎないが、書籍の売り上げは音楽の3倍もある大きな市場なので裾野は想像以上に広いと期待度も高い。
このアメリカにおける急成長のきっかけはアマゾン「キンドル」のヒットだった。さらにその後ソニーも参入してソフトや端末を投入。伸びしろの大きい市場に向けて果敢に攻め込んでいる。音楽がネット配信へと大きく流れを変えた経緯から、どうやらアマゾンとソニーの両社は書籍の電子化が進むのは間違いないと読んでいるのだろう。さらにアメリカ最大の書店大手バーンズ&ノーブルも最近ネット販売を開始したというから、どうやらひと足先にアメリカが本格的な電子書籍化時代に入りつつあるのは間違いない。
ところで先日、朝日新聞の「本の舞台裏」という連載コラムに興味深い記事をみつけた。ジュンク堂池袋本店が開催した「耳から読む・大活字で読むCDブック大活字フェア」の中で本の内容を録音した音訳CD(オーデオブック)を紹介していた。取り上げられていたのはボランティア団体が出版社の委託を受けて制作したもので、単なる朗読にとどまらず図表なども正確に読み上げるのが特徴となっている。これまでの音訳は全国におよそ30万人いるとも言われる視覚障害者を想定したものが多かった。しかし高齢化により需要は確実に広がりつつあるし、ラジオ視聴者には高齢者も多いときく。それに団塊世代だって控えている。この団体ではおよそ60人のボランティアによって単行本なら3週間から2ヶ月、雑誌「週間金曜日」は発売翌週の火曜日には利用者の手元に届れられるそうだ。音訳CDの存在がもっと世間に広まって販売する出版社や取り扱う書店が各地に増えてくれることをこのボランティア団体の代表者は願っているようだが、まだまだタイトル数は限定され、当然価格も通常本より高い。残念ながら現時点では「耳から本を読む」こうした試みは過渡的な実験段階にとどまっていると言わざるを得ない。「電子書籍」や「音訳CD」は、はたして書籍の発展型メディアとなるのか、それとも単なるIT時代のあだ花で終わるのか、着地点はいまだ霧の中である。
似たような試みは過去にもあった。ぼくの書棚に収まる角川書店刊の「ランボー詩集」(金子光晴訳)と大門出版刊の「シリーズ私の講義・西脇順三郎集」の2冊には巻末にソノシートが納められている。今となっては懐かしのソノシートなのだが、当時はバリバリの最先端メディアだった。こんな紙みたいに薄いフィルムから音が出てくることにワクワクしていたのだからほほ笑ましい。どちらも昭和42年(1967)発行で、どうやら高校生になった年に購入したものらしい。そういえば「ランボー詩集」のソノシートは何度も聴いた記憶がある。叙情的なBGMをバックに「いちばん高い塔の歌」の「束縛されて手も足もでないうつろな青春。」なんて一節を思い入れたっぷりに芥川比呂志が朗読するのだが、それはそれで文芸的なアプローチだとは思うけどやはり作品とはまったく別なもの。曲解させる危険も孕む試みでもあった。
音訳CDの可能性は、こうした試みの先には決して見えてこないような気がする。器にどう盛りつけるかでなく、どんな風にも盛りつけることを可能にする「器そのものの実現性」が問われているのだと思う。
先日、キュレーターの長谷川祐子さんと大手出版社の編集者を交えて立ち話していた際、長谷川さんが音訳CDのことを話し出した。外国人の友人が(たぶんiPodで)通勤中にキンドルの音訳された研究書を聴いているという話。目を酷使しすぎた時代から聴覚で視覚をカバーする時代に入るかもしれないから出版社でも検討してみる価値があると編集者に助言していたのだが、ぼくはあの「ランボー詩集」のことを思い出し、文学作品から専門書や研究書までカバーするためにはあまり感情移入されていない透明感のある(機械的?)音声の方が望ましいこと、案外ここがポイントなのかもしれないとその時思った。
現実的には音声による入力が一番手っ取り早い方法だろう。それを素材にしてフィルタリングし、音声から個性を除去していくような工夫がほしい。リスナーは多様だ。だからその多様性を個別に反映できる柔軟性がとても重要になってくる。例えばその時の気分にあわせて音声のスピードコントロールができたり、女性や男性に声質を切り替えられたり、あるいは性別を固定しない中性的なボイスがほしいということもあるかもしれない。もちろんBGMなんかもお好みでバックに貼り付けられる。
リスナーの多様性に応じてカスタマイズできるシステムの実現は決して夢物語ではないだろう。こうして人間の生理に違和感なくフィットできるシステムやテクノロジーが実現されたら、霧なんて案外あっという間に晴れてしまい、「電子書籍」や「音訳CD」がしっかりと大地に根をおろしている光景をぼくらは目撃することになるのかもしれない。