一番上は坂田久さん近影。
2点目は祝還暦Liveでのスナップ。
3点目はSAKATO GUITARS MODELの
「New D-28M model, Serial Number 044.」
4点目はヴィンテージ「Martin D-18 (1941)」
そしてMartinを抱えるぼくの大好きな
マーク・ノップラーとエルヴィス。
下2点が永遠のスタンダード書体「Helvetica」

2017.3.01

略称「アコギ」呼ばれるアコースティックギターは、フォーク、トラッド、カントリーなどの伴奏楽器として親しまれてきたので、むしろフォークギターと呼んだ方がしっくりくるかもしれない。そのトップブランドといえば、やはりMARTINだろう。若い頃、ぼくの周りには「いつかはマーチン」と憧れていたフォーク愛好者たちが大勢いた。フォークギターにはおびただしいブランドが林立しているが、このマーチン、そしてギブソンは世界2大ブランドとして揺るぎない地位を確立している。

MARTINはギター製作を志して1833年にドイツからニューヨークに移住したクリスチャン・フレデリック・マーティンによって創業された。新天地で楽器店とギター製作を開始した彼は、紆余曲折を経て1837年にペンシルベニア州ナザレスに移住し、ギター製作を本格的に開始する。そして、いまや世界中のアコースティック・ギターの標準規格とも言われている14フレット・ドレッドノートが1934年に発表され、アコースティックギターの歴史はここから始まった。なかでもベストセラーモデルのD-28やD-35は、永遠のスタンダードとして、その後に続く様々なメーカーのお手本となり、愛され続けてきた。ちなみにシリーズ名称の“D”は、その大きなボディサイズが、当時(1910年代)世界最大のボディサイズを誇った戦艦「ドレッドノート号」のようだと例えられたことに由来した頭文字なのだという。

フォークギターにはピックガードが付いている。奏法にはピックではじく奏法と指で爪弾くフィンガーピッキングがあるが、ガット(あるいはナイロン)弦のクラシックギターは指弾きのみで基本的にピックは使わない。我が家にもくたびれたクラシックギターとフォークギターが一台づつあったのだが、大学を卒業して郷里に戻ってきた兄が大学時代にウエスタンバンドに参加していたので、新たにスティールギターやバンジョーもそこに仲間入りしていた。ぼくも学校から戻ると、これらをとっかえひっかえ見よう見まねで弾いていたが、スティール弦のフォークギターを抱えて、ピックで弾くとすぐに気分はフォークシンガーになるから不思議なものだ。英訳した辿々しい自作詩にメロディーをつけてオリジナル曲を作り、自宅の裏山にある高台に座って演奏を楽しんでいたのも懐かしい思い出だ。だからフォークギターといえば、いまだにそれはぼくの思春期を象徴する思い出のアイテムなのだ。

このアコースティックギターを自作する工芸家たちが、実は世界中にはたくさん存在していたことをぼくは最近知った。もちろん日本にもアマチュアから工房を構えるプロフェッショナルまで大勢が活動していて、ギター製作学校まで存在している。それらを、ぼくはギター製作者となった知人から教えてもらったのだ。

坂田久さんは地元で長いこと「ハーパーズミル」というカレー屋さんを経営していて、ぼくも彼の作る美味しいカレーがときおり無性に食べたくなり、細く長く通い続けていた客の一人だった。彼は青春時代の放浪期を経て、カフェカレーの原点ともいわれる吉祥寺にある老舗カレー屋「まめ蔵(まめぞう)」で修業を重ねる。この「まめ蔵」を開業した南椌椌(みなみくうくう)さんは絵本やテラコッタの作品で活動を続ける作家でもあり、奥さんは笠井叡に師事した舞踏家の山田せつ子さん。坂田久さんはこの名店で瑞々しい文化の香りと秘伝の味をたっぷりと吸収して、故郷の実家敷地内にログハウス風のお店を建てて、その経験と味を郷里に持ち帰ることにした。

坂田さんは並行して音楽活動も開始する。現在までに自作曲を収めたオリジナルアルバムを三作発表し、フォークシンガー友部正人さんとの深い交友を基点に広がったネットワークから、様々なライブを長年にわたって開催してきた。また、別棟に併設された音楽スタジオはミュージシャンたちのハブとして機能し、今では地元ミュージックシーンの重要拠点ともなっている。こうした活動から自然発生するかのように、40代半ばから坂田さんはギター製作者へとその軌道を大きくシフトしていくことになる。きっかけは奥さんの一言だったそうだ。ミュージシャンとしての大事な表現の相棒でもある数台のアコースティックギターをレストアしたり、リペアしていたが、なかなか思うようにならない。その様子を見かねた奧さんは「なら自分で作っちゃえば?」と言った。「あっ、そうか!」と、その何気ないひと言に納得し、運命の言葉に背中を押された彼はさっそくアコギ製作キットを買い求め、まったくの自己流でギター製作にのめり込んでいく。元々ミュージシャンとして、求めるサウンドの着地点がぼんやりと見えていた坂田さんは、大地から存分に水を吸い上げる若木のようにメキメキとその腕を磨いていったのである。

どの世界にも業界というものが存在する。楽器販売店が製作者と顧客の仲立ちをして商談を進める合理的販売システムによって受注と供給のバランスが保たれていく。しかし、はなから坂田さんはこうした業界という世界の中で活動する気はなかったから、それまで築いてきたミュージシャンとしてのネットワークを通じて細々と販売しながら、着実にその評価を積み重ねてゆくことにした。はじめの頃は展示会に参加しても、業界内からは冷ややかな反応しかなかったそうだ。しかし徐々に彼方此方から好意的な評価が届きはじめ、次第に風向きが変わってきた。弾いてみたらすぐに分かるその音色が力強く活動を牽引し、15年の時を経て「サカタギター」は紛う方なきブランドへと成長した。カレー屋さん、ミュージシャン、音楽プロデューサー、ライブ企画者、録音スタジオ経営と様々に展開してきた、一見回り道にも見えるこれら坂田さんの軌跡のすべてはギター製作という本流へと集約されているかのようだ。これが天職だったと予感している彼のここに至るまでの活動に無駄な瞬間などなかったのだ。

楽器は奏者と一体となって初めて花開く。だから基本的には、楽器は奏者が何を求めているのか知らなければ作り始めることすらできないものだ。そして豊かな包容力をもって奏者のイマジネーションを受けとめなくてはならない。こうした課題と来る日も来る日も向き合って、堂々とした自己流の製作者の道を坂田さんは歩み続けてきた。ギター製作を通じて自分を表現するのではない。逆に何処まで自分のエゴを消し去って製作出来るのか問われ続ける毎日なのだ。そうすれば奏者の世界観とともに成長し、並走していけるような楽器が生み出せるのではないか。そんな境地に近づきつつある坂田さんの話を聞きながら、ぼくはまったく違う、あることを思い起こしていた。

ぼくはグラフィックデザイナーなので使用する書体の選定はとても重要な要素だと常々考えている。和英ともにこれまで世界中で制作されてきた書体は膨大な数にのぼるが、その中で長い時を経て、様々な用途でその特性を発揮し、愛されてきた書体となると、かなり数は絞られてくることになる。オーソドックスで汎用性や可読性に富んでいて、しかも美しい。それがデザイナーにとってのスタンダードとなる。そんなスタンダード書体の横綱ともいえるのが「Helvetica(ヘルベチカ)」だろう。「Helvetica」とはラテン語で「スイスの」を意味する言葉だが、その来歴を辿れば当然スイスに行き着くことになる。

1950年、スイスの活字鋳造所ハース社のエドゥアルト・ホフマン(Eduard Hoffmann)は、当時多く使われていた書体グロテスク(サンセリフ)に変わる新しいサンセリフ書体を作ろうと考えた。サンセリフとは縦と横が同じくらいの太さで設計されたいわゆるゴシック体と呼ばれる原形書体で、当時はグロテスク書体を呼ばれていた。ホフマンは美的センスにも卓越した能力を持ってはいたが、あくまでも経営者でありデザイナーではなかったから、制作をスイス人タイプフェイスデザイナーのマックス・ミーティンガー(Max Miedinger)に依頼する。やがて出来上がった書体にホフマンが修正指示を出し、そのくり返しが数年にわたって続けられた。そうして1957年にやっと完成し、手組み用活字として発表されたのが「ノイエ・ハース・グロテスク」(Neue Haas Grotesk)=「ハース社の新しいグロテスク(サンセリフ)」だった。そして版権をステンペル社に移行した1960年にその名品書体は「Helvetica」と命名された。

簡素で落ち着いていながら力強く、用途を選ばない幅広い汎用性も備えていたので、その後半世紀以上にわたって世界中のデザイナーたちから愛され続け、出版や広告の世界では必要不可欠な書体として名高いが、その誕生の背景には当時ヨーロッパで注目されていたスイス・スタイルの存在を忘れることはできない。ヨゼフ・ミューラー・ブロックマンエミール・ルダーといったデザイナーたちが旗手として活躍していたスイス・スタイルとは、格子状に沿って配置するグリッドシステムや、黄金比などの数値基準を活用したレイアウトをその特徴とするが、思想的にも彼らは国家や宗教に依存しないインターナショナルな思想に共感していたので、そうした無国籍の象徴としてサンセリフ体を積極的に使用していた。そこに「Helvetica」が登場したのだ。

「Helvetica」がここまで書体として普遍的な存在と成り得た理由は何だったのか。諸説あるだろうが、一言でいえば「書体として特徴を持たない点」。これに尽きるだろう。表現を邪魔しない器のような無機質な中立性。つまり中立的な佇まいが、逆にあらゆるタイプの個性を包み込むことを可能にする。使われることで初めて豊かな表情を生み出す懐の深さ。使用サイズの設定や組み方や置き方で様々にその表情を変えることのできる不思議な受容体。

こうして、サカタギターが半世紀以上の時空を隔てて、実は「Helvetica」と地下水脈で繋がっていたことを発見したぼくは、もちろん即座にそのことを坂田さんに伝えたことは言うまでもない。