上から5点
SL 55 AMGの外観と内部スナップ。
下から3点目は陸送された時点の内観。
下2点
車に乗り込む最晩年のジョブスと自宅庭のスナップ。
(右側がSL55 AMG)

2017.1.01

昨年来、年配者による暴走運転事故が急増している。これも高齢化社会がもたらす現象なのだろうが、ぼくだって間違いなく高齢者に含まれるわけで、人ごとでは済まされない。まだ老化による危険性を運転中に感じることはないけれど、いつまでステアリングを握り続けられるんだろうかという漠然とした不安はある。

そこで、年が改まったのでひとつ封印を解くことにする。封印というのも大袈裟だけど、ずっと書くのを戸惑っていたのは、寄せる愛着やうんちくを聞かされたら随分うんざりさせるだろうなという躊躇があったからだ。

実はぼくは4年前からTwo Seaterオープンタイプのスポーツカーに乗っている。車のメカニックは詳しくないし、スペックにもさほど興味はないのだが、若いころから自動車には人間が生み出した単なる工業製品を超えるSomethingを感じていた。現在、人類史上最速のスプリンターであるウサイン・ボルトの世界最高記録は100m、8秒65。1時間は3,600秒だから時速に換算するとおよそ41.62kmの速度ということになる。ところが車で走るぼくらが目撃するのはその2〜3倍の早さで流れる風景なのだ。普通の人間の身体能力なら決して見ることの出来ない風景を、自動車はいとも簡単に見せてくれる道具ということになる。だから、一義的には自走移動を実現する道具なのだが、同時にそれを操る人間に様々な感覚的情報をフィードバックしてくれる道具でもあるわけだ。

動く、曲がる、止まる、これが自動車の基本動作。これを高いレベルで実現し続けているメーカーがメルセデス・ベンツと言われている。もちろん車好きの面々には異論もあるだろうが、世界で初めて車という道具を生み出したメーカーであるベンツには、理詰めで技術を積み上げていく気質が伝統的に培われている。彼らは「人間は必ず間違いを犯すものだ」という前提から出発してモノ作りをする。例えば、操作パーツの位置などはほとんど大きな変更をしないので、新しいモデルに乗り込んでも、すぐに戸惑うことなく馴染むことができるし、人間の移動をサポートするための道具として徹底的に考え抜かれ、濃密に作り込まれている。エンジン音も含めて「乗り心地」「操作性」にはフィーリングとしか言いようのない領域があるからこそ、そこには各メーカーの味わいがあるのだが、「やっぱりこの感じだよね〜」という、何ともいえないズッシリとした「これぞ王道」的な安定感がベンツにはある。

20代で免許をとってしばらくはスバルサンバ、スカイライン、スバルレオーネといった国産の中古車を乗り継いできた。(いっとき、パタパタと独特のエンジン音をたてるポンコツのワーゲンビートルにも乗ったが故障続きですぐに手放す)初めてベンツに乗ったのは、28歳の時。クライアント先のクラシックカーコレクターだった社長さんからプレゼントされた1959年製の「220b」。通称「羽ベン」と呼ばれるアメ車風のテール・フィン付きボディ車で、白い硬めのステアリングはまるでバスのように大きく、ベンチシートも相まってオールデイズなアメリカンスタイルを醸し出していた。喫茶店からパーキングに戻るとヤンキー風の若者たちが「格好いいじゃん」なんて言いながら周りを取り囲みのぞき込んでいたこともあった。今思えば、20代のぼくなんかにはまったく似合わない車だったが、堂々とした風貌とその重厚な乗り心地を味わったぼくは、そこでベンツの洗礼を受けてしまったようだ。

2代目のベンツは30代半ばで横浜の直輸入業者から購入したユーズドカーの「190E」(W201)」。“5ナンバーで乗れるベンツ”と呼ばれた初代コンパクトクラスモデルだ。重厚な乗り心地は残しながら取り回ししやすく、京都まで遠出しても疲れない優れものだったから5年ほど愛用した。そして42歳で初めて新車購入した3代目は排気量2,960cc、SOHC6気筒のステーションワゴン「300TE」。ラゲッジスペースも広く、最大で7名乗れる利便性と高出力がもたらすパワフルで快適なロングツーリングが両立されたミディアムクラスのツーリングワゴンで、まさにぼくの人生のミディアム期間を共にしてくれた思い出の一台といえる。

なぜかここまで3台のボディカラーはすべて濃紺。そして4代目からの愛車はシルバーに変わっていく。ぼくが発売を心待ちしていたのは、2000年に満を持して発表されたCシリーズの上位モデル、排気量2,597cc、SOHC V型6気筒の「C240」。Cクラスでありながら、Sクラスで培った技術を踏襲しているから、まるでSクラスに乗っているような乗り心地を実現したと評価された優れもの。フロントを印象づけているつながった丸目ライトは、赤塚不二夫の「おそ松くん」に出てきて、すぐに「タイホする〜」と叫びながら拳銃を発射する目ン玉つながりのおまわりさんそっくりでなんとも言えない愛嬌がある。ぼくはどうも直線的なデザインより、やや丸みを帯びて、シェイプされてはいるがエレガントな印象を与えるフォルムに惹かれる傾向がある。このC240はとても完成度の高い車で、それから12年乗り続け、まだ家族が乗り継いでいる現役車だ。

ところで、このところ自動車のフロントビューが不機嫌になってきたというか、恐い印象を与えるフロントデザインが増えてきたような気がしてならない。発光部にLEDが使われるようになったことも関係しているのだろうか。それと、現在デザインを担っている各社のデザイナーはガンダムのようなメカ・アニメで育った世代が増えていて、中心的購入層の世代と重なっているのも無関係ではないのかもしれない。最近のレクサスをはじめとするトヨタ車のフロントは、スピンドルグリルと呼ばれる牙を剥いたような意匠で、例えは悪いが、1987年に封切りされたアメリカのSFアクション映画『プレデター』に登場する架空の地球外生命体の顔をぼくは連想してしまう。(気に入って購入したオーナーの方は悪しからず。あくまでもぼくが勝手に抱いた印象にすぎないので)どうやらこれは最近の世界的な傾向で、ベンツも2008年以降のモデルはちょっと強面な印象に変更されてしまったから、ぼくは5代目モデルはどうしたものかと考えこんでしまった。

ちょうどその頃から仕事の関係で出張する機会が増えてきて、目的地まで電車で向かうと乗り継ぎも含めてとても時間がかかってしまう。電車に乗るのが苦手で、元々運転は嫌いじゃないから出張は自動車で移動することにした。往復約350kmの距離を最低月2回。それ以外にも遠出が増えたので、長時間でも疲れず、しかも快適に、より安全に移動できる車が欲しくなってきた。普通に考えたら長距離移動するんだから燃費の良い車種を選択するのだろうが、どこに行ってもプリウスやアクアのお尻ばかり見せつけられてウンザリしていたへそ曲がりのぼくはハイブリッド車にだけは乗るつもりはなかった。高速道路を何時間走っても疲れることなく、心地良く目的地に向かうために、ドライビングプレジャーを優先することにしたのだが、C240は良い車だけど遠出用としてはもうひとつ物足りない。

それまでぼくの中では長い間、漠然とオープンカーへの欲望がくすぶっていた。しかし、二人しか乗車できないし、オープン時の露出感はハンパないから、やっぱり実用的じゃないなと選択外だったが、歳もとったことだし、そろそろ乗っても生意気にはみえないかも、なんて気持ちに変化が生じてきた。「乗るんならやっぱりSLだな」と一度発火してしまった欲望はメラメラと燃え上がってしまったから大変だ。当時の2012年モデルのSLはすでに怖そうなフロントフェイスにモデルチェンジしてしまっていたし、ベンツ車のラインアップでも最上位に位置付けられる新車のSLはとても高額で手が出ない。それに、ぼくの欲しかったSL(Type R230)は丸目ライトの全体感がエレガントなデザインで、バリオルーフとよばれる歴代SLで初めて電動格納式ハードトップを採用したモデルだったが2007年で生産を終了していたので、入手するにはユーズドカーで探すしかなかった。

それからというもの、おびただしい販売業者サイトを夜な夜な検索していると、次第にユーズドカーの販売実態というものが見えてきた。例えば条件のよい個体情報を囮にして、問い合わせすると、それは直前に売れてしまったばかりだがこれはどうでしょう?と別な車を薦めてきたり、売らんかなの姿勢が露骨に感じられる販売業者が多かった。また、ぼくはデザイナーの端くれなので細部の意匠も気になってしまう。親父くさい木目調パネルやシフトノブも嫌だったし、ボディカラーはシルバーと決めていた。そして紆余曲折の末、やっとぼくの要望にかなうモデルが確定した。

それは「SL55 AMG」。ノーマルのSL500をベースにAMGが開発した5.5リッターV8コンプレッサー(スーパーチャージャー)ユニットを搭載したモデル。厳密には5,438ccとなる凄まじい加速力を発揮するこのエンジンユニットの組み立ては、レーシングカーのように1基ごとに一人の担当者がすべて手作業で行い、エンジンにはマイスターである担当者のサインプレートが添えられている。まず、大排気量エンジンのその勇ましい始動音に驚かされる。エキゾーストノートは独特の金属的な音色を含み、youtubeにはSL55 AMGのエキゾーストノートがたくさんアップされているほどだ。

それから、ハイパワーを受け止める先進のブレーキシステムSBCは電子制御で四輪独立した制動力制御を可能とし、ブレーキパッドのサイズもSL500のほぼ倍となり安全・快適性が向上されている。また、快適な乗り心地を実現するハイテク・サスペンションはABC(アクティブ・ボディ・コントロール)と呼ばれる、スプリングの代わりとなる油圧ユニットを採用した複数のパーツが複雑に組み込まれたシステムで2t近い車重をコントロールする。と、まるでCar雑誌のレビューみたいに書き連ねてしまったが、要するに電子部品の塊のようなこのモデルは発表当時、現代自動車工学の結晶と形容されたモデルだった。

当然、このような個体がオークションに出てくる可能性はあまり高くないし、素人が探し出すのは相当難しい。ここは信頼できるプロに託すしかないと考えたぼくが辿り着いたのは、京都にある欧州車専門の修理・販売会社だった。まず、サイトやブログから伝わってきたのは車に対する深い愛情だった。ここまでやるか!というほどの徹底的なメンテナンスは、本当に車が好きなければできないだろうと感じさせるものだったし、欧州車へのノウハウも蓄積されていて信頼できそうだ。さっそくメールで具体的な希望を伝えると丁寧な返信が届いた。なんでもこの会社の顧客のほぼ90%が地元以外の地域のユーザーなんだとか。これも信頼のバロメーターとなる。ワンオーナーで、屋根付きガレージに保管された禁煙車。そして毎年切れ目無く整備されて、その記録もきちんと残されている個体。それがぼくの希望した条件だった。すぐにそんな条件を満たす個体が出てくる可能性は低いものの、業者しか参加できないオークションにはそのうち必ず出てくるはず、気長に待ちましょうということですべてを託すことにした。そして待つことおよそ半年。ある日、やっと「条件にピッタリ叶う個体が出てきました」とメールが届く。オークション会場が東京だったから京都の会社が提携している業者に代理入札してもらうそうで、ぜひとも落札してくださいとお願いし、やっと夕方「無事、落札できました」と報告メールが届く。どうやら元オーナーは神田のマンションに住まう女性で、地下駐車場に保管されていたようだ。それに毎年、芝浦ヤナセでメンテナンス受けていたから、これ以上ないというほどのコンディションだという。やれやれ、待った甲斐があったというものだ。SLに乗る女性はそう多くないから、一体どんな人なんだろうと想像力を巡らせる。もしかしたら、銀座のママか?なんて馬鹿なことを考えているうちにメンテナンスを受けた注文品が陸送されてきた。配送先に指定した知り合いの自動車工場で到着した車のドアを開けると、保護シートにくるまれた室内からは新車の匂いが立ちのぼってきた。こうして一度も会ったことのない業者を介してその車は届けられ、その日からぼくの「SLな日々」がはじまることになる。

スポーツカーの宿命でシートが低いため、乗り降りは決して楽ではないが、ステアリング・フィールは思いのほか軽くて取り回しやすいし、重厚な安定感も流石。自慢のABCサスペンションはコンフォートを選択すると、道路の起伏を吸収してスポーツカーらしからぬソフトな乗り心地を味わえるし、高速道路でその加速力を試すのには検挙されないよう用心しなくてはならないが、なるほどというパワーや運転する歓びを体感することができ、やっぱりこれがSLのフィーリングなんだと実感させられる。燃費も無視できないし、環境に与える影響にも配慮しなくてはならないが、同時に車は操る喜びも与えてくれる。つまり、車は移動を可能にしてくれる道具であるとともに、心の隙間を少しだけ埋めてくれる道具でもあるのだ。たとえそれが錯覚に過ぎず、束の間の幻想なんだと分かっていても、平板な日常からもう一度生き返ったような気持ちになり、少なくともこの瞬間は自由なんだと感じさせてくれる、何ものにも代え難い素敵な瞬間を与えてくれる。

ぼくはかなり後になって知ったのだが、この「SL55 AMG」というモデルは故・スティーブ・ジョブズが讃え愛した車でもあったそうだ。なぜかジョブズはその愛車にナンバープレートをつけることを嫌い、「新車を買った場合は、ナンバープレートを登録してから車両に取り付けるまで最大6カ月間の猶予を設ける」というカリフォルニア州の車両法を活用してリース会社と協定を結んで新車に6カ月間乗ったあと車を売り払い、全く同車種の新車に乗り換えるという行動を繰り返して合法的にナンバープレートをつけない車に乗り続けていたそうだ。自分がナンバーによって規定されることを嫌うほど、彼の美意識は自由を欲していたのだろうか。ともあれ、いまでも彼の自宅の庭には、妻の車の横に寄りそうようにその愛車は保管されている。事実上のジョブズの遺作プロダクトとなったiPhone 4sにも、SL55 AMGと同質の濃密なテクノロジーと硬質な美意識、そしてエレガントな質感が凝縮されている、と「SLな日々」を過ごしてきたぼくは思っている。

さて、「愛車遍歴を辿れば、人生が見えてくる!」をコンセプトにしたBS日テレの人気番組「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE! 」では、毎回、番組終了間際に「あなたにとって、車とは?」というベタな質問をゲストにするのだが、ぼくならどう答えるのだろう。乗馬経験はないけれど、ドライビングにはどこか馬に跨り疾駆する快感にも通じるものが秘められているから、人馬一体に憧れるぼくの答えはこうなるだろう。「車とは?それは愛馬である」。