上からジオラマと鉄道模型の数々。5点目は客車に収まる乗客のミニチュアスナップ。下2点はウォルト・ディズニー・ワールド鉄道でのフロンティアランドとファンタジーランドに向かう機関車の新旧スナップ。

チャーミングな鉄道模型の世界

Miniature model
2016.5.01

その時、蒸気機関車は噴煙を上げながら長野方面に向かっていた。やがて汽車はカーブにさしかかる。そこでぼくは、先頭で車輌を牽引している機関車を一目見ようと、親の制止も聞かずに開いていた窓から身を乗り出した。するとそのとたん、前方から飛んできた煤煙に混じった石炭の燃え滓が目の中に。「ほら、言わんこっちゃない」という親の声と目の中のチクチク、ザラザラした痛みの感覚がいまもリアルに残っている。もう一つ電車にまつわる記憶がある。今はもうなくなってしまった、地元駅にあったヨーロッパ映画のワンシーンを想わせる、重厚な煉瓦の壁に覆われた貨車の発着所の風景だ。
男の子なら誰でも一度は夢中になる電車だが、それからぼくは所謂「鉄ちゃん(鉄道を趣味とする者)」になることもなく、めまぐるしく入れ替わる趣味のリストに電車が加わることはなかった。ただ、成人してからのわずかな期間、鉄道模型に興味を示したことがあった。きっかけは覚えてないが、Nゲージと呼ばれる小さな規格の鉄道模型をレールや簡単なストラクチャー、アクセサリー、シーナリー用品で組み立てた名ばかりのジオラマで走らせてみたりしたのだが、それも長続きすることはなく、その思いつきの痕跡は段ボール箱の中に眠ったままだ。
ところで「鉄ちゃん」の分類は実に多岐にわたっている。車輌研究にのめり込む者。鉄道写真に夢中になる者。走行音や構内アナウンスの録音や音響研究にはまる者。運転や施設設備、そして業務に興味を示す者。(ここから関連業種に就くケースも多いようだ)また、時刻表や駅の研究に没頭する者や実際に乗車したり、その旅情を楽しみとする者など様々に枝分かれしている。そして、決して外すことのできないジャンルが鉄道模型である。
菓子のおまけや手軽な鉄道おもちゃとして作られたのが鉄道玩具。ここを入口にして「鉄ちゃん」になった人も多いことだろう。片や鉄道模型は、基本的に自走する車輌と線路(軌間)が常に対となっている。その歴史も相当古く、Wikipediaによれば、「最も初期の縮尺1/64の鉄道模型は1896年にイギリスの14歳の少年によって造られたMidland Railway 4-2-2。最初の動く模型は20世紀初頭にイングランドで製作された。」とある。
鉄道模型には様々なスケールがある。1番ゲージは縮尺1/32(または30.5)・軌道(レール幅)45mmでアメリカやイギリスなどで一般的なスケールだという。16番ゲージは日本国内の規格名称で縮尺1/76〜87(または〜90)・軌道(レール幅)16.5mmのものを示す。また、日本の鉄道模型の規格には35mm、縮尺1/80・軌間16.5mmのJスケール 、軌間9mm未満のU9規格がある。その他、1972年ニュルンベルク国際玩具見本市においてメルクリンから発表されたのは、商業模型において将来これより小さいものは出現しないだろうとして命名された縮尺1/220・軌間6.5mmのZゲージがある。しかし精密加工技術の裾野が広い日本には、さらに小さい指先に乗るほど小さな軌間3mm・1/450スケールの・極小鉄道模型のTゲージも誕生している。逆に大きいサイズでは縮尺1/22.5・軌間45mmのドイツ語のGross (大きい) に由来するGゲージや縮尺1/64・軌間22〜22.9mmのSゲージがあるが、現在国内で最もポピュラーとなっているゲージは縮尺1/87(3.5mmスケール) ・軌間16.5mmのHOゲージと縮尺1/148 〜1/160・軌間9mmのNゲージだろう。HOゲージとは縮尺1/43〜1/48 ・軌間32mm (国によって微妙に異なる)のOゲージの半分、つまり、Halfの頭文字をとってこのように呼ばれている。海外ではHOゲージが主流のようだが、よりコンパクトなNゲージは現在日本でもっとも普及している鉄道模型と言われている。これらHOゲージとNゲージの楽しみ方は、車輌収集や車輌工作(改造・自作)、そしてジオラマで模型を走らせて運転を楽しんだり、レイアウト・ジオラマを製作したりと分化している。
実は最近、出入りしているジャズ喫茶の常連で鉄道模型にはまっている人物を介して二人のモデラーを紹介してもらうことになった。いずれも人生の先達だが模型にかける情熱は若々しく、しかもディープだ。もう一人、断捨離をしているという人物からはNゲージコレクションを格安で沢山譲ってもらったから、眠っていたぼくの収集癖はこのところまた疼き出しているのである。この断捨離の御仁は鉄道模型よりもっぱら対象を戦車に絞り込んでいて、蓄積された知識も相当なもの。ぼくも模型作りにはまったことがあるから知ってるが、戦車は模型の中でも特にパーツが多いため完成までにはかなりの集中力を要求される。キャタピラを一部品ごとに組み立てていくなんて考えただけでも気が遠くなるが、大晦日、工作に夢中になっていて、気付いたらすでに年が明けていたとその御仁は笑っていた。
さて、ぼくが常連の案内で見学したのは、鉄道模型では一目置かれているというベテランモデラーY氏の自宅の工作室。Y氏は地元高校で40年間数学の教鞭をとり10数年前に退職されたが、それからは1日の大半を工作に充てているという本格派。もっぱらHOゲージの車輌工作にフォーカスしていて、ジオラマまで手を染める余裕はないのだそうだ。ベースとなるのは様々なメーカーから発売されているキットだが、そこからいろいろな改造を加えていく。実車に合わせるため、走行時には見えない底部に装備された部品類も真鍮板を切り出して溶接を繰り返し、塗装技術を駆使してリアルに再現していく。貨車に積まれた石炭は本物の石炭を忠実な縮尺で砕いたものが固められていたり、その車輌の実走音が録音されたCIチップを模型にセットして、サウンドは走行時に再現される仕掛けだ。鉄橋にさしかかる前に必ずかけられるブレーキ音にも抜かりはない。客車の車内には虫眼鏡でないと鑑賞できないほど精密に彩色された老若男女のミニチュアが何輌にもわたって思い思いの位置に配置されている。(5点目の写真参照)しかし、車輌の窓はスモークなので外から乗客は見えない。老練なモデラーが不思議そうな顔するぼくを見ながらコントロール盤を操作すると、何と車内にセットされたLEDのミニライトが点灯し、ノスタルジックな客車の風景が出現する仕掛けに唖然。おまけに先頭車輌に取り付けられた極小カメラによって、走行用に用意された簡易ジオラマを走る光景が工作室のテレビにモニターされているではないか。この情熱とこだわりは一体どこから湧き出してくるのだろう。複雑な配線図も解読して変更を加えながら自作しているので、情熱だけでなく、工学系の知識がなければとても出来るものではない。工作室にはおびただしい車輌が陳列されていたが、並びきらない車輌は専用の箱に収まり、別室に多数保管されているのだという。車輌は高価なものでは数十万の値段もつくというので、所有数を考えると相当な金額になるだろう。マニアにとっては垂涎のコレクションも興味のないものにとっては唯の玩具の山に過ぎない。一般的に鉄道模型のモデラーやコレクターは、昔懐かしいノスタルジーに誘われた世代が多いため、高齢化が進んでいる状況は否めない。コレクターが亡くなった時にはすぐさま駆けつけらるよう情報網を張り巡らせ、査定・買付をする専門業者さえ存在するらしい。
さて、次に件の常連が案内してくれたのは老練モデラーよりさらに高齢の80歳になるK氏宅。何でも個人としてはめずらしい本格的なジオラマを自宅に再現していて、自慢のコレクションを走らせては夜な夜な楽しんでいるそうだ。ジオラマルームに足を踏み入れると、なるほどこれは年季が入っている。一部屋まるまるワンダーワールドではないか。日々、司令室となっているコントロール盤の前に座っては時の経つのも忘れ過ごしているとのこと。出色なのはジオラマ・ストラクチャーのリアリティ。様々な市販パーツや自作パーツを組み合わせては創意工夫を凝らした見事な仕事ぶり。駅舎やプラットフォームの佇まいは子どもの頃に見た記憶が原形となっているのだそうで、ジオラマの駅には「笛吹鉄道」の「雁坂駅」とか実在しないが、地元にある地域名を反映させた架空の名称がつけられていて何とも微笑ましい。こうしたディープな鉄道模型マニアを見ていると、その原動力となるルーツに思いを馳せずにはいられない。おそらくは、数十年にもわたってメラメラと燃え続ける情熱は、幼少期のかすかな遠い記憶が着火点となっているに違いない。かように記憶が生み出す力は想像を超えたものがある。
ウォルト・ディズニーが鉄オタだったのはつとに有名な話だ。大の鉄道マニアだったディズニーの鉄オタ魂に火をつけたのは1946年にシカゴで開催された鉄道博覧会での体験だった。機関室に招き入れられた彼はそこで汽笛を鳴らしたり、会場で機関車のパレードを見たり、運転体験をしたり…。それは彼にとって夢のような体験だったようで、帰宅後、妻にいままでの人生で一番楽しかったと漏らしたとか。この体験からのちのディズニーランドにつながるテーマパーク構想が誕生するのだが、まず再現されたのがアメリカの古きよき時代のパノラマ的風景を一周する架空の「サンタフェ鉄道」の蒸気機関車だ。世界中の人々を惹きつけてやまないディズニーランド誕生の原点は、ウォルト・ディズニーが抱いた鉄道を出発点とした開拓時代の古き良き時代のアメリカへのノスタルジーだった。
鉄道模型やジオラマには、凝縮されたリアリティが顕微鏡的スケールで再現されている。こうした繊細さの極限に挑むような職人芸を好むミニチュア志向は日本人のお家芸でもある。茶室しかり、盆栽しかり、俳句だって世界に類例のない顕微鏡的文学表現ではないか。
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる」
この有名な石川啄木の歌には小さなものへと関心を集中させていく日本人特有の民族性がよく表されていると指摘する韓国の学者の話が中沢新一さんのエッセイで紹介されている。
「ほら、ごらんなさい、と彼は言う。啄木は、カメラをずんずん寄りつかせるようなやりかたで、自分の主題にせまっていこうとしているでしょう。はじめ画面には、ひろびろとした青空とそこにひろがる太平洋がとらえられています。その自然の大きさ、雄大さが主題かと思っていると、たちまちカメラは「寄り」の態勢にはいるのです。ズームアップ開始。海のなかに発見された小島の光景に画面はいっぱいになり、そこでとどまるかと思えば、さらにそこをとおりこして砂浜にたどりつく。そこにはセンチメンタルに歌人がすわりこみながら、泣いている。カメラはなおも容赦なくズームをつづけ、ついにその歌人の手もとにたどりつく。するとそこには、小さな蟹たちが這っているのです。どうですこれが「縮み志向」の発想なのですよ。太平洋から、砂浜の蟹まで、つねに自分の視野を狭くして、自然のなかの小さなものへと関心を集中させていく。大きなものをその大きさのままに受け入れたり、立ち向かったりするのではなく、日本人はまずその大きなものの縮尺モデルをつくりあげ、それをもてあそぶことが好きなのです。日本人とは、そういう特徴をもった民族なのですよ、とその韓国の学者は説明していた。」(物質の抵抗「縮み志向」展より抜粋)
この指摘を受けて中沢さんは考える。日本人はただのミニチュア愛好の民族なのか。小さな模型やモデルをつくろうとする、こういうタイプの「縮み志向」には、部分にこだわるのではなく、まず全体の認識を優先させようという、いさぎよい思いきりが潜在しているのではないか。「縮み志向」は、その背後に、全体の認識への欲望を秘めていて、つまりこれはまぎれもないひとつの芸術的な文化なのだと。小さく縮められた自然や生き物(ここには生き物がつくりあげたノスタルジーの産物も仲間入りさせてあげなくてはならないだろう)の世界を目の前にするとき、人の心はこまやかな愛情にみたされるようになる。それは世界をチャーミングにする、ひとつの技術なのである、と。そう考えれば、決して鉄ちゃんでも何でもないぼくが、鉄道模型やジオラマの世界に吸引力を感じたりするのは、自身に潜在する「縮み志向」の奥部に全体の認識を欲望するもう一人の自分が潜んでいたからなのだと腑に落ちる。少年時代から今に至るまで、精緻で濃密なミニチュアに理屈抜きで魅了されてきたこともやっと理解できるのだ。おかげでこんなぼくの心もひとときこまやかな愛情にみたされ、ほんの少し、ぼくの世界もチャーミングになってくれるのだ。


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