1ブロック目は、
日本のサーカスと見世物小屋イメージ。
2ブロック目は「ジンガロ」イメージスナップ。
3ブロック目は「シルク・ドゥ・ソレイユ」の
「オーヴォ (ovo)」イメージスナップ。

2014.8.01

幾時代かがありまして

茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして

冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして

今夜此処でのひと盛り

今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁

そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて

汚れた木綿の屋根のもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が

安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯

咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら)

夜は劫々(こうこう)と更けまする

落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

[中原中也『山羊の歌』より『サーカス』]

昔、街々を移動しては広場なんかにテントを張ったサーカスをよく見に行った時代があった。ぼくも子ども時分には親に手を引かれてテントに向かったものだった。記憶の中に残っている「木下サーカス」(岡山)や「キグレサーカス」(北海道)は大阪の「ポップサーカス」とともに日本三大サーカスに数えられている。それにもうひとつ、どうしても加えたいのが「シバタ大サーカス」。発祥地は新潟の新発田(しばた)市。どうやらブロガーはぼくと同世代かやや年長者と思われる地元出身者の回想ブログを見つけた。

「私も幼少の頃、弟と二人、叔母に連れられて行った記憶があります。東赤谷駅から赤谷線に乗って、新発田の御諏訪様の境内に張られた新発田サーカスを見に行きました。今でも一番鮮明に覚えている光景は、大きな円球の中でグルグルと高速で走り回るオートバイの演技です。大きな爆音と、タイヤで円球がきしむ音、逆さまになって演技者が落ちないかという恐怖感・・・・弟と二人興奮して見ていたのを覚えています。」

そう!サーカス団の人気演目のひとつだったのがこの円球の中を走るバイク曲芸。キグレサーカスにもこの花形演目が用意されていた。鰯となったぼくも呆けたように眺めた円球は、爆音とガソリンの匂いとともにいまだに生々しく鮮烈にサーカスの記憶として焼き付いている。しかし、シバタ大サーカスは1963年に解散。動物たちは当時あった月岡温泉動物園に引き取られ、団員は離散。さらに組織と一部の人々は「柴田組一家」として極道の道を歩んで行くことになった。サーカス団の中にはこうした闇の側面を抱える団も存在したのだ。もうひとつの消えてしまった「キグレサーカス」は、木暮という苗を借りた名称で札幌を拠点に1942年創業したが、2010年10月に資金繰り悪化によって営業を停止した。「ポップサーカス」は比較的若いサーカス団で、矢野サーカスに所属していた久保田将利が1996年に大阪を拠点に旗揚げした。中国雑技団など8ヶ国から招致した海外アーティストによって構成されたショーも幅広い演目に厚みを加えている。

そして「木下大サーカス」。ここは実に古い歴史をもつサーカス団で、今を遡ること明治10年、興行師である木下藤十郎が岡山市西中島に「旭座」を開設したことが起源となっている。ウィキペディアの概要によると、その後、藤十郎に見込まれた矢野唯助が木下家に婿養子入りし、明治35年に大連で曲馬団を創業、これが木下大サーカスの原点となる、とある。この100年以上の歴史を誇る「木下大サーカス」は、ロシアのボリショイサーカス、アメリカのリングリングサーカスと並んで世界3大サーカスと呼ばれているが、かれらが安定した集客力を誇っているのは、古いサーカスの運営から脱却して、演技内容、音楽、照明といった演出はもとより、観覧するために快適な空間づくりにまで心配りしながら極めてクオリティの高い芸術的エンターテインメントへと進化させたことがその要因となっている。

まさに栄枯盛衰。テーマパークの王者として君臨しているディズニーランドユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)といったエンターテインメントの新たな潮流に呑み込まれ消え去ってしまったサーカス団もあれば、そしてかろうじて生き残ったサーカス団もある。

さて、昔からサーカスといえば、ジンタの響きとともにどこかもの悲しいイメージが付きまとう。

♪♪♪

ブンチャッチャ ブンチャッチャ

空にさえずる 鳥の声

峰より落つる 滝の音

大波小波 とうとうと

響き絶やせぬ 海の音

♪♪♪

これはジンタの楽隊曲で「美しき天然」という曲歌の一節だが、こうした昭和40年代くらいまで街中に流れていたジンタの音色を、少年だったぼくもポンプを手のひらに握って緑色のゴムの蛙を泳がせながら耳を傾けていたものだった。ジンタとはヂンタともいわれる演奏を模した擬声語で、「市中音楽隊」の愛称だ。明治、大正に行進曲、ポルカ、ワルツ等を演奏していたジンタは、大正時代の末に次第に衰退していき、チンドン屋などに取って代わられながら昭和に入ると消滅したが、ぼくの記憶にはその哀調をおびた節回しと音色が残像のようにまだ漂っている。そしてそのジンタの先にはサーカスのテントが張られ、打ち立てられた旗を揚々と風になびかせていたのである。

サーカスのもの悲しさは、大道芸から見世物小屋にまで遡る。大道芸は室町時代の絵巻にも登場するほど日本でも来歴も古く、江戸時代には浅草の見世物や手品(てづま)、新潟地方の瞽女(ごぜ)、津軽地方のボサマ、その他放浪芸など、日本でも盛んに演じられていたといういわゆる乞食芸であったが、その後大道芸は多様な発展を見せながら、ジャグリングやマジック、アクロバット、パントマイム、ウォーキングアクト、スタチュー、ストリートダンスなどを飲み込みながら街角のエンターテイメントへと統合されてきた。最近日本では「大道芸ワールドカップ」などの大型大道芸イベントも開催されるほどの認知度を獲得している一大ジャンルとして、ディズニーランドなどメジャーカルチャーとも拮抗してきている。どのジャンルにもサブカルチャーが存在するのはとても健全なことだと思う。

「さァてお立ち合い。ご用とお急ぎのない方は…」寅さんが生業としていた香具師芸だって大道芸のひとつ。人集めの手段となる啖呵口上が見物人の笑いを誘いながら物売りへと巧妙に誘っていく大衆芸だ。昭和末期に現存する口上名人の香具師、久保田尚氏(故人)の「続・大道芸口上集」がかつて発刊され、さっそくぼくもその奥義を垣間見ようと本を開いたことがある。香具師の大道芸とは、その時どきの場所、客種、人情によって各人各種に口上、演出を変化させた自然流の無数の大道芸人たちの個人技集積体の別称でもあったのだ。

江戸後期には300軒を数えたという見世物を、残念ながらぼくは一度も見たことはないが、昭和50年代までは衰退しながらも見世物小屋はまだ神社のお祭りや縁日などでは見ることができたようだ。(現存する見世物小屋は、新宿花園神社の二の酉に小屋を立てる「大虎興業社」のみとなっている)未だに根強い人気を誇り、各地に点在する「お化け屋敷」のルーツだって、この見世物小屋なのではないだろうか。「さァ、お代は見てのお帰りだよ!」と老婆の呼び込み声が聞こえてきそうな小屋の中には牛女(足がない女性。または足の間接が逆向きになっている)、蛇女、芋虫女、山猫女、蛸女。社会福祉がまだ発達していなかった時代の奇形児など身体障害者の生活手段の一つとなっていた見世物小屋への批判から、現在ほぼ姿を消した見世物は、売られて見せ物にされた奇形児たちの仕事場というイメージがつきまとう。もちろんサーカスに奇形児は存在しないが、どこかサーカスは大道芸や見世物小屋の世界と深い場所で通底しているように感じられてならない。いたずらが過ぎると「サーカスに売っちゃうぞ」とか「サーカスに売られたら身体を柔らかくするために毎日酢を飲まされるんだぞ」とか脅かされたぼくと同世代の人は大勢いるんじゃないだろうか。

さて、もう一つのサーカスの魅力に、動物たちが繰り広げる妙技の数々がある。そもそもサーカス(circus)の語源はラテン語の円周・回転を意味する語とする説と、古代ローマの人間と猛獣の格闘の舞台となった円形競技場に由来する説があるが、いずれにしてもサーカスは動物とは切っても切れない深いかかわりをもっていた。動物曲芸でもっとも一般的なものは馬による曲馬芸。人馬一体という言葉があるが、中沢新一さんの『バルタバス革命』(「ミクロコスモスⅡ、中公文庫)にはこんな記述がある。

「人が馬を調教しているように見えるのは、ものごとの一面にすぎない。調教によって馬は人の知性にしたがって行動することを身につけるが、じつはそのとき馬は自分の肉体に人間の知性を埋め込んで、みずからハイブリッド生物に変貌していこうとしているのである。そして、人は、自分にはないすばらしい運動能力を、自分の存在の一部に組み込んで、人間の側からもハイブリッド生物への変容を、実現しようとしている。人と馬が一体となった怪物「ケンタウロス」の神話は、だからひとつの幻想ではなく、「人、馬に乗る」という革命的な事件がもたらしたことの事実を、ひとつの概念として表現しようとしたものだと言うことができる。」

「馬のサーカス」を誕生させたのは退役軍人フィリップ・アストレー。18世紀中頃、ロンドンで彼が自慢の馬術を資金稼ぎのために人々の前で披露したことにはじまる「馬のサーカス」。テントや小屋の内部に円形のアリーナがつくられ、その回りに桟敷席を設けて芸を見せる形式はこのアストレーの「円形曲馬館」を出発点としているのだそうである。これら「馬のサーカス」のほとんどは戦争の技術として発達した馬術の延長線上にあったのだが、1984年にバルタバスがジンガロを創設すると曲馬の状況は一変する。

「そこへ、バルタバスはまったく異質な思考をもち込んだのである。バルタバスは、人が馬をコントロールするのを見せるのではなく、馬の知性と人の知性が出会い、たがいに思いを語りあい、意志をかよわせて、一体となって美しい「運動する形態」をつくりだす協同作業をおこなう場所に、サーカスのアリーナを生まれ変わらせようとした。」

このフランスの騎馬舞台芸術集団「ジンガロ」は現代における「馬のサーカス」のひとつの極致といえるだろう。サーカスには馬の他にライオンや象、そして熊や虎などが登場し、火の輪くぐりや三輪車、玉乗り、自転車、縄跳び、シーソーなどを使用した芸が披露される。しかしこれらの動物曲芸は調教を基本としているため、サーカスの動物たちは自然な習性を全うすることができず、大切な自由も剥奪されているので虐待にあたると、近年では動物愛護の観点から廃止運動などが展開されている。それは虐待を伴う動物の奴隷ショーであるというのだ。こうして「動物サーカス」は今世界中で逆風にさらされているのだが、ぼくはこの傾向には捕鯨に対する一元的な批判に近いものを感じる。

ところで先日ぼくは、自身としてはほぼ半世紀ぶりとなるサーカスを見物してきた。それは、1984年にカナダ・ケベック州で設立された「シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil=太陽のサーカス)」。大道芸人だった創始者ギー・ラリベルテは動物芸を一切取り入れることなく、ストリートパフォーマンスとサーカスの融合を目指した。演者としての人間を強調する「ヌーヴォー・シルク(新サーカス)」と呼ばれるシルク・ドゥ・ソレイユのショーは大道芸、サーカス、オペラとロックを4大要素として構成され、その結果、プログラムは必然的にミュージカル色の濃いものとなっていて、特に演者の衣装は多彩であり、祝祭の雰囲気を醸し出している。外注では満足できるものが作れないと、全ての衣装デザインと染色や縫製などを自社の専属スタッフが行っているそうだ。また舞台となるテントも外観はシンボルマークを配してサーカスを華麗に主張し、内部空間は観客の心地よさに配慮されているため(例えば暗い階段が乗降しやすいように各ステップの端にはLED照明が組み込まれていたり、誘導アナウンスが間断なく小さな音量で流れていて、内部の温度も一定に保たれるようコントロールされている)ここでは昔ぼくが見たサーカスのような安っぽさは見事に払拭され、これが進化した現代のサーカスなんだと実感させられる。また、おそらくコンピューター制御されていると思われる複雑な機構を持つ大規模なセットやライティングは演目と緊密に連動して、ショーの完成度をさらに高いものにしている。演奏者たちも演者のアクションに対応して演奏するから、そこには見事な一体感が生み出されている。エレクトリックギターとエレクトリックヴァイオリン、シンセサイザーキーボードと女性ヴォーカリストのパワフルなサウンドに包まれて、次々とくり出される妙技に観客は酔いしれる仕掛けだ。なによりも、こんなにも多彩な軽業を可能にする人間の身体の潜在能力に観客は圧倒され、驚かされ、感動させられる。

これまで11回もの日本公演を行い、1,200万人以上を動員しているシルク・ドゥ・ソレイユの最新作は「オーヴォ (ovo)」。生命のサイクルを象徴する『オーヴォ』は、ポルトガル語で”卵”のことで、卵をめぐる草木の下の色とりどりの生き物たちの1日をファンタジックに描いている。演者には日本人も含む東洋人も数人いたが、今回のオーヴォで日本人初となるクラウンの主役を務めるのは谷口博教さん。彼は内村航平の先輩で体操選手を目指したのちに「ウォール」という8m壁を使って行う演目のアーチストだったが、抜群の運動神経に加えてジージーという不思議な声(彼はこれを虫語と名付けている)を駆使する独特なユーモア感覚で今回の道化役の座を射止めたという。

サーカスは人間の身体に潜在的に備わった可能性を極限まで引きだし、組み合わせたり、さまざまな道具を人体と一体化させながら繰り出された信じ難い妙技で観客の視線を釘付けにしていく総合芸術だ。落下傘型テントの裏側に隠された日常へと引き戻す汚れ木綿の屋蓋(やね)は巧妙に闇に溶け込ませ、鰯となった観客のその視線の先では、人間の潜在能力を超えた新たな人間たちが自在に飛び跳ねている。観客が背負ってきた日常は、テントをくぐればたちどころに消え去り、交差する妙技が織りなす束の間の非日常空間が眼前に広がっていく。そして次第にその闇の中からサーカスの本質が姿を顕してくるのだ。闇に溶け込んだテントの屋蓋とともに、演者たちも一人、二人と視界から消えてゆく。やがて最後に残るのは、高い梁から頼りなくぶら下がるブランコ二つ。決して交わることのない二つのブランコは、夜更けの真新しい奇跡が起きるその時まで、この非日常空間でノスタルジアを乗せながら、いつまでも、いつまでも揺れている。

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん